ツイッター(140文字)で発信した父の戦争体験記です。父は第二次大戦時、日本初、ジェットエンジン付きプロペラ機の搭乗員でした。

父の戦争体験記 


  日本初・ジェットエンジン付きプロペラ機と搭乗員の記録

                       

 親父が戦争体験を語りだしたのは、ちょうど今の私の年齢あたり。悲惨な話は抜きで必死に生きた青春を語ってた。
その1:親父が乗っていた飛行機(親父はその整備兵)はジェットエンジン付き。本土決戦に備えて、米軍飛行機が飛んでくると、それっとばかり飛行機に飛び乗って後方へトンズラしてたって。

父の戦争体験・その2:父の乗っていた飛行機はプロペラとジェットエンジン併用。父曰「ジェットエンジンを点火するとGが凄い」。 Gとは言うまでもなく重力加速度。その圧力で顔さえ変形する。制御出来たの?もしかして本土決戦の特攻用?この疑問は父が亡くなってから抱いた。もう確認しようがない。

父の戦争体験・その3:正月に鹿児島の友人から電話がかかってくると父は楽しそうに長話。父が耳が悪くなり、電話で話せなくなった時、一度、その方と話した。彼は「とうとう電話にも出られなくなったのか」と寂しそうに呟いてた。もしかしたらジェットエンジン付き飛行機のパイロットだったのかな?

父の戦争体験・その4:病室でボーっと中空を眺めてる。そうしている時間は日に日に長くなる。そんな父をベッドの脇で見守っていた。ふと、父の顔に生気が宿り、私を振り向いて口を開いた。 「ジュン(私の名)、オレの飛行機どうなった?あのジェットエンジンのついたヤツ」
白昼夢で何を見てたの?

父の戦争体験・その5:初のジェット機・橘花は有名だが、父達が乗ったジェットエンジン付プロペラ機はパソコンで調べても出てこない。その橘花の登場故なのか父達とその飛行機は朝鮮半島へ。で、日本軍機と知られるまで米軍新型機と勘違いされ友軍から対空砲火の嵐。撃墜されてたら私は存在してない。

父の戦争体験・その6:整備兵の仕事は?という私の問いに父の答えは、離陸と着陸の際の機器の操作、それ以外は敵機対応。敵機対応とは左右二つの側方銃坐、後方一つの銃坐のに次々と飛び移り敵機に機銃掃射を浴びせること。 で、父曰「あれって、ちっとも当らなかった」
互いに高速で飛んでるからね。

父の戦争体験・その7:重大な発表があると云うので全隊員が集められ、ラジオの前で整列。聞こえてきたのはピーピーガーガーという雑音のみ。誰も聞き取れず、自然、皆の視線は司令官に。 「うーん、ようするに、もっと頑張れってことだ」 で、その日も出撃。それが終戦の詔勅と知ったのは基地帰還後。

父の戦争体験・その8:何故か父の乗った飛行機が小松空港へ到着したのは夜。しかも燃料がぎりぎりなのに空港は電力不足で滑走路に光はない。と、ぽつり、松明の明かりが一つ一つと滑走路に沿って灯りだした。 数年後、社宅を引っ越したら隣の爺さんが、小松空港で松明を灯してた人の一人。ありえない偶然。

父の戦争体験・その9:小松空港に到着後、すぐ軍司令部から機密保持の為に飛行機の破壊指令。二人で壊し終えた数か月後、今度はGHQから機体の修復指令。パイロットも呼ばれて二人で作業。で、パイロット曰 「こんなことなら、もっといい加減に壊しておけばよかった」
父もため息交じりに頷いたそうだ。

父の戦争体験・その10:GHQから飛行機修復現場に派遣されたのは豪州兵。最初は訛りがひどくて英語が通じない。 父曰「あいつらサンデイ、マンデイじゃなくてサンダイ、マンダイって発音するんだ」 私「英語喋れたの?」 父「学校で習ってたから日常会話くらい出来たよ」
戦前教育は今より上みたい。

父の戦争体験・その11:二人は修理した飛行機でGHQの指定したで空軍基地に向かう途中。 パイロット「まいったな〜、俺たちどうなる?」
父「うーん」
二人は機体ともども航空母艦に載せられ米国行き。基地の滑走路が見え、父が着陸装置(車輪)のスイッチオン。 「うん?出ない」
で、胴体着陸決定。

父の戦争体験・その12:胴体着陸で機体も体も激しく揺れ動く。 パイロット「早く引けー、早くー」
父は暴れ回る鎖を掴もうと必死。それを引けば燃料の引火を止められ、引けなければ二人とも一巻の終わり。 やっと掴んだ、そして引いた。2人して歓喜の雄叫び。
で、周りを見たら既に静止してたって。

父の戦争体験・その13:この胴体着陸で父のジェットエンジン付き飛行機は大破し、それと共に二人の搭乗員の米国行きもなくなった。 父に米国行きについて聞いた。父曰「行きたくはなかったけど、もし、行ってたら、俺の人生がどう変わったか、それを考えることはある」
行ってたら今の僕はいないね。

父の戦争体験・最終章:傘寿までテニスを続けた父が脳梗塞で倒れ車椅子、最終的にはベッド生活に。ぼーっと宙を見つめ日々を過ごす。辛い毎日だったと思う。もしかしたらあの頃、父は死と隣り合わせで雄々しく戦った若き日々を生きていたんじゃないかな〜。太古の昔から男は戦う生き物だったからね。

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