ツイッター(140文字)で発信したヤクザの親分さんとのたった1週間の心の交流物語。今生きていれば御年90半ば、僕も今年70歳。さて、今生は無理そうですから、あの世でお会いいたしましょう。
検査入院
親分さーん、お元気でしょうか?
その1:30代の頃、心臓病で検査入院した。睡眠中、心拍数が40を切るらしく、先生から「あんたはいつ死んでもおかしくない」と言われたから。でも、最終結論は「肥大のないスポーツ心臓」だって。でも、隣のベッドのヤクザの親分さん、今、どうしているのだろう?時々思い出す。優しい人だったな〜。
その2:病室は6人部屋。僕の右隣がそのヤクザの親分。親分睡眠中に左隣の方がそっと教えてくれた。で、僕 「でもヤクザの親分だったら普通は個室じゃないの?」。
すると彼曰く 「勿論最初は上の階の個室にいたさ。けど、奥さんが言うには、親分は寂しがり屋なんだって」。 どうやら駄々こねたらしい。
その3:「あくまで検査入院ですから」と言うと同室者達が嘲笑。全員が、検査入院がきっかけ。親分が「覚悟しとけ」と肩を叩く。皆ベッドの周りしか動けず、僕は出歩き自由。で、親分は僕を皆の唯一の楽しみ、食事メニュウを探る役に抜擢。阿保らしと思ったが徐々に生唾を飲みつつ厨房へ、いそいそと。
その4:美人の歳若な奥さんが親分を見舞う。カーテン越しでぼそぼそ。外には頭をそり上げた全身筋肉の強面男。でも、奥さんが帰る際、親分が「ちょっと来い」とやって、つるつる頭をどやした。スンマセンと謝る男のバツの悪そうな顔と皆の注目を浴びての照れ笑い。後に看護婦のお尻を触ったと判明。
その5:なんとなく親分に聞いた。「普段、どんなお仕事しているんです?」。親分「うーん色々やってるよ。問屋に商品を卸したり・・原価は限りなくゼロに近い商品なんか」「???」。「他には?」「ダイヤの輸入。お肉に詰めてね」「???」。背筋に冷や汗。ベッドが隣同士、逃げるわけにもいかず。
その6:親分はチラリと僕の方を見て、ベッドから離れる。廊下奥に設置された喫煙所に行くぞ、という合図。就眠前、ウイスキーの小瓶を枕の下から取り出す。互いの目と目を合わせ、起き上がるとカーテンを閉める。
親分さんと距離を置くという決意とは裏腹に、何故か逆らえない魅力的な禁制品ばかり。
その7:夜中、皆寝静まった病室に怪しげな装置が持ち込まれ私の腕のカテーテル(極細電線)とその装置が繋がれた。私の体に異変。連続した大しゃっくり。目覚めて足元の方を見ると怪しげな人物。その口から「電気しゃっくりー」とおどけた声が。この方、私を「いつ死んでもおかしくない」と診断した方。
その8:「電気しゃっくり」の話をすると、親分は大笑い。そこは癌治療薬で有名なある大学病院で、この医者、心臓病の権威らしい。この先生の指示で、或る者はベッドの周囲のみ、親分は20mまでと動ける距離が規定され、その状態が2〜5年続いている。今とは大違いで長期入院者ばかり。兎に角、40年前のお話し。
その9:親分が鞄から週刊誌を取り出して私に渡した。付箋が付いてるところを開くと親分の写真が。◇◇系△△組組長とある。読み進むと「出入りで散弾銃を発射し名をあげる」とある。ひー。親分の話では昔クレー射撃の国体選手だったという。さっと銃を肩に当てターゲットを狙う姿勢が様になってる。
その10:親分の命令で夕飯のメニューを探りに、なんて大袈裟のことではなく厨房のオバサンにメニューを聞くだけ。「豚のソテー」と聞いて、病室に駆け戻る。息せき切って皆に伝えると「おー」というどよめきが。身動きできない人々の生活は単調で退屈。それでも心をときめかせる喜びってあるんだよね。
その11:若い頃色々やった。その頃は宝石鑑別士。親分の肉詰ダイヤの話を聞いて、私がダイヤ輸入会社勤めだと話したことを後悔した。で、今日はお客が来ると云う。恐る恐る「どんな方ですか?」。親分「2年ムショにはいってた。君と同業だから紹介するよ」。「・・・」。冷や汗がたらり。悪への誘い?
その12:ムショ帰りの二人の客さんが親分訪問。親分は労いの言葉をかけ振り向いて言う。「そうそう、△△君、ちょうどいいから二人を紹介しておこう」。キター、悪の道にまっしぐらか?
親分、二人に「この方は、ここでお友達になったGIAGG(宝石鑑別資格名)の△△君」と紹介。 お、お、お友達?
その13:私と固い握手の後、ムショ帰りの二人は去った。恐る恐る親分に聞いた。
「何の罪で入ったんです?」 「△△詐欺」 親分は押し黙り、私も呆然と口をつぐむ。不安が膨れ上がる。親分の次の言葉は悪の道へのお誘い?気まずく長い沈黙。ちらりと隣を盗み見た。親分、話し疲れて居眠り。ガクッ。
その14:カテーテル(血管に通された極細電線)が心拍記録装置に。そしてランニングマシーン上を走る。徐々に坂がきつくなり歯を喰いしばる。
先生「もう少し坂をきつくするけど大丈夫?」とニヤニヤ。 私「大丈夫だっつーの」と心の叫び。 これが、昨日のこと。今日その結果を聞きに行く。入院7日目。
その15:対面しての長い沈黙。先生の一言をじっと待つ。 「無罪放免だ。結果は肥大を伴わないスポーツ心臓」 ほっとすると共に心で万歳三唱。 最後に心臓まで達していたカテーテルを一気に引き抜いた。何とも奇妙な感覚で体が前のめりに。先生、皆そうなると云ってニヤニヤ。おい、人の体で遊ぶなよ。
その16:私が椅子から立ち上がると、先生は僕に人差し指を向け上下に振って言った。 「いつか君はここに帰ってくる」 おいおい、負け惜しみかい?
こんなことはあったけど、湧き上がる歓喜は抑えようがなかった。ただ、私の喜びは仲間たちの落胆でもあり複雑な心境だった。特に親分の反応が気掛かり。
その17:看護婦さんから私が今日退院すると聞いていて、みな口々に祝福の言葉を掛けるけど、どこか寂し気。たった1週間だったけど中身の濃い時間を共有した。で、親分は看護婦から話を聞くと、ふいと病室を出て行ったという。帰り支度を整え、5分待ったが帰ってこない。そして、みなと永遠の別れ。
その18:自由の世界への帰還。病院を出るとに私の心は歓喜に震えた。でも心の片隅に忸怩たる思い。親分は喫煙所で待っている。お別れの言葉を言う為に。戻るべきか?逡巡の一瞬は永遠のよう。戻れば腐れ縁が続くという不安。歓喜と不安が交錯し最後に不安が勝った。後ろ髪惹かれつつ前に1歩踏み出す。
その19:親分は私を仲間にしようとは思ってもいなかった。退院後ふと思い出した同室者の「親分はもうここから出られない」という言葉が示唆していた。
あの時、膨れ上がる不安がこの言葉を隠した。謝りたいという気持ちと共に、私をお友達と言ってくれたあのワンシーンが、ほろ苦い思いと共に蘇る。
その20:思った通りあのムショ帰りの二人が私の会社を訪れることはかった。結局、私の不安は杞憂に終わった。私は今でも、あの逡巡の後に病院に戻る自分を夢想する。そしてお別れの言葉を交わし、握手して再会を約して別れる。何故それが出来なかったのか?先々の不安に慄いた自分の卑小さが悲しい。
その21:優しい笑顔の記憶はあるけど、39年前のたった1週間のお付き合いだから、その顔の輪郭はすっかり失われている。親分さんはあの頃50代半ばくらいだから、今、生きていれば90歳を越えている。私の寿命も残り少なくなってきた。会えれば一言謝りたい。でも、それはあの世でもいいかな?