技術系サラリーマン忍者 四郎
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
このシナリオはマンガの原作として書き始めたのですが、読み返してみると1シーンで会話が5ページにわたるものがあったりと、マンガの表現として不適切であることが多々あることに気づきました。やはり餅は餅屋で、いろいろノウハウがあるようです。漫画シナリオコンテストの審査員の目は節穴ではありませんでした。(漫画シナリオ第1作目、見事落選)
というわけで、あくまでも普通のシナリオとしてお読みください。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
○ホテルのバー。午後11時。
カウンターに座る二人の男の背中が見える。
男A「で、野村は何と?」
男B「会社を裏切るつもりはないとほざきやがった。社長には恩があるってよ」
男A「舞は、野村が寝返るのは間違いないと言っていたのに。やはり女ですね、詰
めが 甘い」
男B「俺も舞をもう少し有能な女だと思っていたんだが」
男A「で、どうします」
男B「あの写真を全社にばらまいてみるか?」
男A「ボクちゃんの写真館の写真ですね?」
男B「ああ、ついでに全部盗んでやれ」
男A「ボクちゃん、慌てるでしょうね。でも、舞がどう反応するか?舞と野村のラブシ
ョットですから。あるいは自殺するかも知れませんよ」
男B「あれが、そんなタマかよ。それより狙いは野村だ。あんな写真をばらまかれ
たら会 社にいられなくなる」
○鰍lCプロダクツ・第二技術部フロアー。
50人ほどの機械技術者がパソコンに向かって仕事をしている。窓側の課長
席で、お茶を運んだ石井舞が課長の冗談に大袈裟な笑い声をあげていた。
加西志郎はちらりとその姿を一瞥し、ふんと鼻を鳴らす。画面に目を戻すとメ
ール着信のアイコンが点滅している。すぐさまクリックすると、写真貼付と記さ
れている。メッセージはそれだけだ。添付ファイルを開いた。
志郎「なんじゃこりゃー」
志郎は思わす大きな声をあげてしまって、首をすくめる。写真を再度凝視す
る。間違いない。野村課長と石井舞がラブホテルに入る寸前の写真だ。恐る
恐る野村課長と石井舞に視線を向けた。
しばらくしてあちこちから「うわー」とか「おー」という声が聞こえてくる。写真は
誰彼なく送られていたのだ。フロアー全体にざわめきが広がる。しかし野村も
舞もそれに気付かず話し込んでいる。課長席の電話が鳴った。
野村「はい、野村です。おや、棚橋部長、例の件は、あれで済んだと思っていまし
たが?えっ、違う?はい、はい」
野村は受話器を握ったまま、ひきつっ顔で、せわしなくマウスを動かし続け
る。そして…
野村「ひー、これは、なんていう…」
野村は絶句してしまう。そして受話器を置くと駆けだした。総務部長室へ呼
ばれたのだろう。傍らにいた舞が画面を覗き込む。
舞の顔が凍りつく。
舞 「嘘でしょう、マジ?こんなのあり?」
舞の顔が急激に歪んだ。首を左右に振りながら画面を凝視している。そし
て目から大粒の涙が溢れた。辺りの雰囲気にふと気付く。何人もの社員が舞
を好奇の目で見詰める。舞が絶叫する。
舞 「こんなのイヤー、絶対イヤー、こんなの信じられない」
舞は小走りにフロアーを横断してゆく。志郎は腰を浮かしかけた。躊躇する
まに、舞が横をすり抜ける。ざわめきはフロアーいっぱいにあふれた。下の階
から同期の桜井がフロアーに入ってきた。志郎を目指して歩いてくる。
桜井「おい、見たか?」
志郎「どうやらあの写真は全社にばらまかれたようだ。今、課長が総務部長に呼
び出された。ひでえことしやがる。」
桜井「まったくだ。おい、舞はどうした?慰めてやらなくていいのか」
志郎「今、部屋を出ていった。もう帰ってこないだろう。それに、俺の出番はとっく
に終わっている」
その瞬間、視線の横端に何かが映った。視線を向けると、窓ガラスの向こう
側、逆さになった舞の視線と一瞬絡み合った。いや違う。舞の瞳は何ものを
も捉えてはいない。志郎だけが舞の視線を受け止めたのだ。ほんの一瞬だ。
志郎の顔が驚愕に歪んだ。舞が屋上から飛び降りたのだ。
志郎「おい、大変だ。窓ガラス越しに舞が落ちて行くのを見た」
桜井は一瞬呆然と窓ガラスの方を見詰めたが、刹那、大声を張り上げた。
桜井「誰か、救急車を呼んでくれ。石井さんが屋上から飛び降りたぞ」
志郎と桜井はフロアーを飛び出した。
○葬儀場・焼香を待つ列。
その先には黒い縁取りの中、舞が微笑んでいる。その列の中に志郎と、同
期の青木、桜井がいる。前方には、涙ぐむ母親と舞の弟、その後ろに唇を
固く引き結ぶ男が頭を垂れ、時折白いハンカチで目尻をおさえていた。
桜井「おい、あの男は誰なんだ?石井さんは母子家庭で弟さんと二人姉弟だと
聞いて いたけど?」
青木「あれは婚約者の鍋島貢、鍋島産業の御曹司だ」
桜井「ほー、婚約していたのか。それにしても婚約者が親族の側にいるって変じ
ゃねえかな?」
青木「ふん、悲劇の主人公を演じているんだろう、あいつならやりかねない」。
志郎が鍋島を見詰める。志郎が舞と付き合っていた頃、祖父が勝手に舞の
身辺 調査をしていたのだ。鍋島は祖父の描いた似顔絵にそっくりだ。
祖父の調査によると、舞は志郎以外に4人と交際していた。一人は野村、
二人目はこの鍋島、そして三人目はなんと青木なのだ。四人目は未だに誰
なのか分からない。
青木「とにかく、玉の輿だった」
志郎「そう言えば、舞がかつて言ってたっけ。母親のために大きなな家を建てて
やるんだって」
青木「ああ、俺も聞いた。せっかく待望の玉の輿に乗れたというのに、全く、哀れ
な奴だ」
青木の皮肉な言いぐさに、志郎は顔をしかめ、話題を変えた。
志郎「写真のこと、婚約者はまだ知らないみたいだけど、人の口に戸は立てられ
ずって言うしな」
桜井「そうそう、でも志郎、人のことは言ってられないぞ」
志郎「それはどういう意味だよ?」
桜井「まてまて、その話はお清めの時だ。おい青木。お前も付き合うだろう?」
青木「ああ、だけど先に行っててくれ。葬儀は総務一課の担当だから直接俺には
関係ないけど、一課長に挨拶だけしてくる」
桜井「よっ、さすが出世頭。その気働き、勉強になります」
青木は30歳にして総務二課の係長だ。社長とは距離的にも仕事柄でも近
い位置にいる。厳つい顔に、分厚い胸板。典型的な体育会系だ。モヤシみた
いに細くひょろ長な桜井が自信満々な青木の後ろ姿を見詰めている。
○居酒屋。
喧噪の中、黒服の男三人が酒を飲みながら話をしている。次第に志郎の顔
が不満そうに歪んでゆく。
志郎「冗談じゃないよ。俺がそんなことすると本気で思っているのか?」
桜井「俺が思っている訳じゃない。そんな噂を流している奴がいると言っているん
だ」
青木「ふざけやがって。志郎が写真を配信しただって、馬鹿なこと言うな」
桜井「そうは言っても、志郎が舞と半年付き合って振られたのは皆知っているぜ」
青木「それを恨んでの犯行だって?それは違う。そんなことはあり得ん。絶対に
違う」
志郎「青木がそう言ってくれると心強いよ。ところで、青木はどうして鍋島のことを
知っていたんだ?」
青木「奴のことは社長から聞いたんだ」
志郎「ふーん。まあ、どうでもいいや。人の噂も75日って言うし、言いたい奴には
言わせておけばいい」
青木「ああ、そういうことだ。だけど、俺だけはお前を信じているからな」
桜井「まてよ。俺だって噂なんて信じちゃいない。ただ、志郎の足を引っ張ろうっ
て奴がいると言いたいだけだ」
青木「誰だ、そいつは?」
志郎「もう、その辺で止めようぜ。今日は俺達のかつてのアイドル、石井舞を偲
ぶ会だろう?」
志郎が二人に杯を向けた。
志郎「性格はきつかったけど、可愛いところもあった。そんな彼女の冥福を祈っ
て、献杯しよう」
三人は頷き、献杯し猪口を口に運んだ。かつて舞を囲み4人で何度も飲ん
だものだ。そして志郎が舞を独り占めにした。志郎は、ふと、目の前の空席
で舞が微笑みながら乾杯の仕草をしている姿を見たような気がした。
志郎「どうやら、舞のやつ、そこに座って飲んでるぞ」
ぎょっとした顔で青木が隣の空席を気味悪そうに見る。
青木「おい、じょ、じょ、冗談はよせよ、びっくりするじゃないか」
○八王子の加西家の玄関。
小柄な老人が腕を組んで仁王立ちしている。志郎の祖父、治助である。志
郎が六歳の時、両親は、自動車事故で亡くなっている。以来、この祖父によ
って育てられ、祖父の藤林家に伝わる忍術を仕込まれた。今でも月に一度
山に入る。志郎にとって祖父は育ての親であると共に、忍術の師でもある。
酔っぱらった志郎がドアを開け入ってくる。
治助「おー、酒を飲んでるな。何度も言うが酒を飲むとぶくぶく太るんだ。デブの
忍者なんて格好悪いだろうが」
志郎「爺ちゃん、時には酔っぱらいたいことだってあるんだ。今日は舞の葬式だ
った」
治助は、あんぐりと口を開け呆然としている。そして我に返る。
治助「舞ちゃんが死んだって?なんでまた」
志郎「話はシャワーを浴びた後だ。爺ちゃん、少し待っててくれ」
呆然と立ち尽くす治助を後に残し、志郎は二階へ上がって行く。治助の肩
がこころなしか震えている。そしてすすり上げた。
○加西家居間。
ことの成り行きを話す志郎。目を真っ赤かにして聞き入る治助。志郎が深い
ため息を吐いた。
志郎「その時、目と目が合ったんだ」
治助「ど、どんな目をしていたんだ?、舞ちゃんは」
志郎「虚ろな目だった。怒りも絶望も通り越して虚無の世界を彷徨っていた」
治助「くー、可哀想に。何ということだ。あの舞ちゃんが」
志郎「爺ちゃん、その嘆きようは尋常じゃないと思うけど…彼女を付け回した時、
舞と何かあったん?」
治助「実はな、こんなことがあった。性格を知るためにちょっと試したんだ」
手にしたハンカチで涙を拭い、そして鼻をかんだ。
治助「盲人の振りをして、白い杖をついて赤信号を渡ろうとしたんだ」
志郎「そんな状況だったら誰だって注意するか、手を貸すに決まってるよ」
治助「違うんだ。杖を持った手を導いてくれたうえに、うっ、うっ、別れ際、お爺ち
ゃん、気を付けてねって・・・わーん」
治助がテーブルにつっぷして泣きだし、拳でテーブルを叩いている。
志郎「でも、あの時は、ふしだらで浮気性だって散々罵っていたじゃないか」
治助「しょうがないだろう。由緒ある伊賀の上忍の家の嫁には相応しくなかった」
志郎「・・・・・・・」
治助「いいか、ふしだらで浮気性でも心が優しい女はいる。身持ちは堅いが冷血
な女よりよっぽどましだ」
志郎「だけど一体誰が写真を配信したんだろう?俺がやったことにされそうなの
には参ったけど」
治助「その噂を流している奴は分かっているのか」
志郎「ああ、第一技術部の望月って奴さ。俺は何とも思っていないけど、望月は
何かと俺に突っかかってくる」
治助「そんな奴は放っておけ。それより、舞ちゃんの仇を討ってやるんだ」
志郎「そうそう、爺ちゃんが描いた似顔絵、鍋島にそっくりだったよ」
治助が当たり前だという顔で頷く。
志郎「そう言えば、舞をホテルに連れ込んだのは野村課長とその婚約者の鍋島
だけだと言ってたよね?」
治助「そんな言い方はないだろう。まるで舞さんが尻軽おんなみたいじゃないか」
四郎「だって、爺ちゃんがそう言ったんだじゃないか」
治助「本当は、鍋島とはお食事程度のつきあいで、お前と別れた後くっついたん
だ。まして野村はその次だ」
四郎「爺ちゃん、それはないだろう。爺ちゃんはそんな言い方はしなかった」
治助「そんな言い方はしなかったが、はっきりと言い切ったわけでもない」
四郎「まあ、いいや。終わったことだ」
治助「そういうこと」
志郎「青木はどんな風に舞と付き合っていたの?それと顔が確認できなかったと
いう第四の男?」
治助「顔のない第四の男が舞と会ったのは二回ほどだ。食事を終わると、店の前
で別れている」
志郎「で、青木は?」
治助「青木の方は、散々舞を酔っぱらわせてホテル街に入っていったが、舞ちゃ
んに顔ひっぱたかれ、逃げられた」
志郎「ふーん、そんなことだろうと思った。でも青木はどうも臭い。奴が写真をばら
まいたとは思わないけど、何か隠している」
治助「よし、俺が吐かせてやる。お前が舞ちゃんを自分の課に入れたいからって
総務部長に飲ませた催眠導入剤を使ってな」
志郎「爺ちゃん、催眠導入剤じゃなくて昔はもっと難しそうな名前で呼んでたけど
、丸薬名、まだ思い出せないの?」
治助はそっぽを向いて聞こえない振りをして広い居間を見回した。
治助「俺の婿さんは良い家を残してくれた。こんな家で余生を過ごせるとはな」
志郎「また、聞こえない振りかよ」
治助「下忍どもに土地を掠め取られ、ちっぽけな畑にすきま風の入るボロ屋。寒
さに震えながらお前の母さんを育てたんだ」
志郎「その丸薬、確か竜のつく名前だったと思ったけど」
治助「・・・もしかして龍角散?」
志郎が諦め顔で首を横に振る。
治助「娘が東京に出ると言った時、反対しなくて良かった。立派な婿さんをつか
まえた んだから」
志郎「爺ちゃん、まだ思い出せない?」
治助「うるさい!俺は古くさい名前を現代風にアレンジして使っているだけだ。お
前は、昔のことにこだわりすぎるぞ」
志郎は肩をすくめた。
○青木の屋敷。午前0時。
黒のスカイラインが大谷石の塀脇に止められている。素封家らしく豪壮な
二階建ての家が聳え建っている。
○車内
志郎「セコムだってよ、爺ちゃん、大丈夫?塀にも赤外線装置があるみたいだ」
治助「塀を飛び越えれば問題ない」
治助は杖をひねり始めた。この杖は特注品で、普段は一メートル程だが延
ばすと2メートル半にも延びる。棒高跳びの要領で飛び越えるのだ。
治助「それにな、側面から侵入すれば警報装置が鳴る。だから上から入るんだ」
今度は、治助が特製の万能忍者ナイフをひとしきり愛でる。これはナイフ、
鋸、錐その他のツールが納められた20センチほど物だ。治助は実践で使
える喜びに浸っている。
志郎「でも、爺ちゃん、何も二日かけることないんじゃないの。今晩、催眠剤を使
えばいいじゃないか」
治助「急いてはことをし損じると言うだろう。 一日目は様子をさぐり、二日目に
実行だ」
志郎「でも睡眠だけは取ったほうがいいよ。二晩寝ないなんて無茶だよ」
治助「馬鹿言え。忍者が敵の城に忍び込んで惰眠を貪る姿など想像も出来ん」
治助が車から降りた。ふと見るとリュックが置き去りにされている。昨晩か
ら治助が何やらごそごそと用意していたものだ。中を覗くと、チョコやキャラ
メルなどお菓子でいっぱいだ。
志郎「何だよ、兵糧丸5粒で十分だなんて言ってたくせに」
呼び止めようとしたその時、治助が塀を飛び越えるのが見えた。志郎は祖
父の技に感嘆の声をあげた。そしてしばらくすると、屋根の上から祖父が手
を振っている姿を捉えた。
数分後、治助は太い梁に結跏趺坐し、自分のうかつさに泣いた。今なら間
に合うのだが、のこのこ四郎の所に戻り、忘れ物を取りに来たとは言えない。
○ホテルのバー。翌日の午後8時。
志郎は舞の婚約者、鍋島貢を尾行していた。鍋島はホテルのバーカウン
ターに座る男に声を掛け隣に腰掛けた。幸いカウンターの前は鏡張りで、
会話は聞こえ なくとも唇を読むことが出来る。
四郎は斜め45度の位置のテーブル席に座った。男の顔を見ようと鏡に目
をやったが、男は立ち上がり後ろを向いたところだ。四郎が視線を向けると
男は横を向いており顔が見えない。しばらくして出口に向かう。直後、鍋島
の携帯が鳴って、短く「ああ」とか「そうか」と返事をしていたが、鍋島も席を
立った。出口を見ると先ほどの男が後ろ向きで佇み、携帯をポケットに突っ
込むところだ。その立ち姿のまま鍋島を待っている。鍋島がその肩を叩くと
そのまま歩き出した。
志郎はじっとその後ろ姿を見送った。
志郎「容易ならざる敵の出現ってことだ。爺ちゃんが顔を描けなかった4人目の
男があいつだ」
志郎は額の汗を拭う。
志郎「爺ちゃんも男の顔が見えなかったんだ。奴は俺の顔を知っていた。だから
顔を悟られぬようこの場を去った」
○青木邸内。午後八時。
屋根裏の梁に両足を掛け逆さに吊りになって青木の部屋を覗き込む治助
。気配は消せても腹の虫は抑えることは困難だ。しかし愁嘆場の主人公二
人は治郎の腹の虫の音に気付くはずもない。
眼下ではソファーでママに肩を抱かれた青木がめそめそと泣いている。
ママ「ご飯二杯で食事を終えたでしょう。心配で部屋に来てみたらやっぱりこのあ
りさま。これって虫の知らせよね」
青木「わーん、ママ、ママ、僕、どうしたらいいの。怖くて怖くて毎日生きた心地し
ないんだ」
ママ「どうしてそんな写真を撮ったの?」
青木「社長の友達の息子と舞ちゃんが婚約して、その友達がうちの社長に舞ち
ゃんの素行を調べるよう頼んだんだ」
ママ「そしてボクちゃんが社長直々に調査を命令されたのね?」
青木「そう。でも僕は厭だった。だって舞ちゃんは家格が違いすぎるって僕のこと
を諦めたんだ。前、話しただろう」
ママ「ええ、聞いたわ。舞ちゃんが泣きながらボクちゃんの元を去ったって」
ここでママはハンカチを取りだし涙を拭う。
ママ「馬鹿な娘。もし一度でも家に来てくれていれば・・・。家庭の暖かさに飢え
た彼女を私が優しく包んであげたのに」
青木「社長はそんな二人の関係など知るわけないもの。運命って皮肉だよね」
ママ「可哀想なボクちゃん。運命に翻弄されて…。あなたはドラマチックな生き方
しかないのかも知れない」
青木「でも、ママ。ボクの撮った写真を、誰が盗んだんだろう?ボクのパソコンか
ら消えていたんだ。怖いよー、ママ」
治助はくるりと回転して元にもどると呟いた。
治助「何が硬派だ。何が体育会系だ。ふざけるな、四郎のアホが」
○青木邸の塀際。
約束の時間を少し過ぎていた。塀の遙か上から黒い塊がふわりと降ってき
た。治助が見事に着地して立ち上がった。
車のドアを開け入ってくる。
志郎「随分遅かったじゃないか」
治助「大工仕事に手間取ってな」
志郎「大工仕事?」
治助「屋根を壊したんだ。直すのは当たり前だろう」
すこぶる機嫌が悪い。さもありなんと志郎は首をすくめ、治助がベルトを装
着するとアクセルを踏んだ。しばらくして盛大な鼾が響き渡った。1時間後、
家に着いて起こそうとするが、鼾は鳴りやまない。しかたなく抱き上げて、一
階の寝室に運びベッドに横たえた。
翌朝、寝室に入ってゆくと、鼾はまだ続いていた。脳梗塞かと不安になった
が、二晩寝 ていないのが原因に違いなかった。
志郎「爺ちゃんも、年取ったな」
志郎は一言声をかけ、会社に出掛けた。
○加西家居間。午後8時。
志郎が居間に入ってくる。治助が大きな寿司桶を前に両頬を膨らませてい
る。寿 司桶は既に空である。
志郎「なんだよ、俺の分まで食べちゃったのか?これ5人前だろう」
お茶をずずずっと啜って寿司を流し込む治助。
治助「すまんすまん、5人前頼めばお前の分も残るだろうと思ったんだが…」
志郎「まあいいか、確かカップ麺があったはずだ。おっと、そんなことより爺ちゃ
ん、俺も会ったよ。顔のない男と」
治助の目がきらりと光った。
治助「奴に会ったのか?」
志郎はことの顛末を語り始めた。じっと聞き入る治助。腕を組んで鋭い視線
を志郎に向けている。
治助「奴は同業者だ」
志郎「忍者ってこと?」
治助「そうだ。あの足の運び、視線を感じる鋭さ。並の男であるはずがない」
志郎「それと男は俺の顔を見てすぐに席を立った。つまり俺の顔を知っていたこ
とになる」
治助「まて、お前の顔を知っていただと?」
治助は宙を睨んだ。志郎は祖父の一言を待った。
治助「思い出したぞ。俺がその食事処に入って行った時、奴は一瞬俺を見てい
る」
志郎「つまり、その男は爺ちゃの顔も知っていたってこと?。だから薄暗いレスト
ランの照明を利用して顔を隠し続けたってことか」
治助「おい、大事なことを見落としていたかもしれん。噂を流している男の名
前、何と言ったっけ?」
志郎「望月保」
治助「望月だと。我が宿敵と同じ名字だ。村で唯一人、俺と張り合って忍術を極
めた男がいた。そいつの孫か?」
志郎「言われてみれば、望月は俺達と同じ臭いがする」
治助「奴の親父は下忍だったが話のうまい奴で、お人好しの親父は、そいつに
騙されて田畑を失った」
二人は互いの目を覗き込みながら大きく頷きあう。敵が強ければ強いほど
闘争心が湧いてくるものだ。
志郎「ところで、青木の方はどうだった?爺ちゃん」
治助、青木と聞いて思わずずっこける。そして怒声が飛んだ。
治助「まだまだお前は修行が足りん。何が硬派だ。何が体育会系だ。このアホ
ー」
○社長室前の秘書室。
秘書がコーヒーメーカーにお湯を注いでいる。東大卒の才媛で美人。志郎
も気がないわけではない。
志郎「社長にコーヒーを出せば今日は帰れるわけだ」
秘書「ええ、それに今日は暇よ。誘う気あるの?」
志郎「いや、君は僕にとって高嶺の花だ。僕が部長にでもなったらお誘いする
よ」
秘書「ふーん、それじゃあ、永遠に無理ってことね」
志郎「はっきり言うね。ちょっと落ち込んじゃうよ」
こんな会話の合間に、志郎は丸薬を親指でコーヒーメーカーの中に飛ばし
た。
社長がコーヒーを飲んで5分も待てば何でも話す状態になる。秘書が帰った
のを確かめ、社長室のドアを開ける。社長は眠っていた。
治助は意味がないと反対したが、志郎としては尊敬する社長が写真を撮ら
せたということが納得出来なかったのだ。四郎、社長の耳にささやく。
志郎「社長が青木に石井舞の素行調査を命じたというは本当ですか?」
社長「いや、友人の鍋島君が彼女はどんな人だと聞いてきた。僕は彼女を知ら
なかったから青木君に聞いたんだ」
志郎「何と?」
社長「だからー、そのまんまだよ。どんな人だって?」
志郎「それだけ?」
社長「ああ、それだけ。青木君は調べますと言って部屋を出ていった。青木君も
彼女のことは知らなかったようだ」
志郎「それで?」
社長「一週間後、きわめて真面目な女性だと報告してきた」
志郎は大きな溜息をついた。
○六本木のディスコ。午後9時。
美少女が細い階段を降りてゆく。茶髪でピアスをした男が少女の肩を掴み
声を掛ける。
男 「はーい、俺と一緒に踊らないか」
少女「キンタマ潰されたくなかったら黙って帰んな、俺はお前みたいな男女が大
嫌いなんだ」
男 「おー、いいねー、そのリアクション。気に入ったぜ」
少女「お前が俺を気に入ったって?」
男は少女の野太い声に目をまん丸にする。刹那、男は悶絶してうずくまる。
少女「俺はお前なんか気に入らん」
少女は変装した治助である。治助はダンスに夢中の男女をかき分け二階
の部屋へと進む。そこに鍋島と望月がいるはずだ。治助の変装がばれるか
否かが問題だった。
部屋に入ると十二畳ほどの部屋に座っていた男女が一斉に治助を見た。
その中に望月がいる。気付いたかどうかその表情からは読みとれない。
治助「この中に鍋島さんって、いる?」
鍋島「鍋島は俺だ。お嬢さん、俺に何の用かな?」
治助「外にお爺さんがいて、貴方と話したいって言ってるの」
鍋島「あの爺か。お前の言った通り、しかけてきたらしい」
望月「そんなところでしょう」
鍋島「おい、望月、どう思う?」
望月「あの爺、何を考えているのやら。ふん、相手はただのくたばりぞこなです。
会ってやったらどうです?」
鍋島「何も知らずに馬鹿な奴らだ。舞の仇でも討つつもりなんでしょう」
治助「もう私、帰るからね、バイバイ」
その場を後にした治助は歓喜で胸がいっぱいになった。望月は治助の変
装に気付かなかったのだ。「勝負ありだ」と治助が呟く。
外に出た鍋島は、誰もいない街路で辺りを見回していたが、すぐに中に戻
った。
鍋島「どうやら、怖じ気づいたらしい。外には誰もいなかった」
望月「ふん、奴らは我々の本当の目的なんて分かるわけがない。もうちょっと
で、野村が落ちる。あと一歩だ」
鍋島「野村はかつてハッカーだった。その能力が買われて、あの会社に入っ
た」
望月「しかも事務系システムと技術系システムの接点を知っている。自分で作
ったんだ から」
○路地裏のスカイラインの車中。
二人の含み笑いが聞こえる。スカイラインの座席に座る志郎はレシーバー
に聞き入っている。その顔は蒼白だ。治郎は彼らの部屋に入り、ちょっとした
隙に盗聴器をしかけていたのだ。
○加西家居間。午後11時。
治助「お前は具体的にどんな仕事をしているんだ?」
志郎「俺は人間型ロボットの肘の動作を制御する装置を設計している。うちは介
護用ロボットの開発では世界一だ」
治助「ふーん、そんな仕事をしてたのか?ところで、事務系と技術系システム、
何処がどう違うんだ?」
志郎「事務系はインターネットで外と繋がっているけど、技術系の方は外とは繋
がっていないってことだ」
治助「技術を盗むには、つまり部屋に侵入するしかないってことか?」
志郎「そういうこと、いや、待てよ、一つだけ抜け道があった」
治助「どんな抜け道だ」
志郎「技術系システムがダウンした時、一時的に作成データを事務系に避難さ
せるよう設計されていたはずだ」
治助「それが奴らの言う接点か」
志郎「野村さんは、両システムの設計に携わった。彼なら、外からでもその接点
にアクセス出来る」
治助「恐らく、舞ちゃんは奴らにそそのかされ、寝返るよう野村さんを説得してい
た」
志郎「それがうまくいかず、あの写真をばらまかれた。野村さんが会社を辞めざ
るを得ないよう追い込むために」
治助「許せん、絶対に許せん。野村は誘いを受けているが、まだ迷っているって
言たな?」
志郎「ああ、もしかしたら野村さんも奴らの悪巧みに気付いているんだ。恐ろしい
奴らだって」
治助「おい、志郎、野村を戻すよう社長を説得出来るか?」
志郎「勿論。社長も慰留していたんだ」
志郎がおちゃめに笑った。
志郎「野村さんは両親のいる福岡に戻りたがっていた。福岡支社副支社長の
ポストが空いたままだ」
○居酒屋・午後7時。
げっそりとやつれた野村が、微笑みを浮かべ志郎に手をあげた。志郎が前
の席に 腰掛ける。野村がビールの瓶を持ち上げ志郎のコップに注ぐ。
野村「お前から、誘いがかかるとは思わなかった。でも嬉しかったよ」
志郎「野村さんには何かとお世話になったのに送別会もなくお別れだったでしょ
う。ずっと気になっていたんです」
野村「どうも有り難う。本当に有り難う」
志郎「でも随分とやつれましたね」
野村「ああ、再就職がきつくてな。誰が流したのか、俺が技術情報を他社に漏ら
していたという噂がまっている」
志郎はその言葉を受け流した。誰が流しているかは明らかだ。
志郎「そうそう、もう一人、野村さんのことを気に掛けている人いるんです。後か
ら来ますから」
野村「だいたい想像がつくよ。あのマッチョか?それともモヤシの方か?」
志郎はただ微笑んだだけだ。しばらくして、人の近づく気配を感じて志郎
は、野村の様子を窺った。野村は志郎の頭越しに視線を向け、目を見開
いている。その目
に涙が滲む。そしてゆっくりと立ち上がった
野村「しゃ、社長」
○加西家居間。午前7時半。
治助が声音を発して志郎に聞く。「舞ちゃんの声に似てきたか」と。そのた
びに、志郎がもう少し甲高い声だったとか、色気があったとか注文をつけ
る。治助はたった
一度聞いた声を思い出すのに四苦八苦している。
志郎「爺ちゃん、俺、もう行くよ。会社に遅れちゃうよ」
治助「もうちょっとなんだ、もう少しつきあってくれ。最後の仕上げだ」
志郎「爺ちゃんは一度話をしているんだから何とか思い出せよ」
治助「そんな、つれないこと言うなよ。声が完成しなかったら最後のステージに
は上がれない」
志郎「でも、今日は駄目なんだ。大事な会議があるんだから。じゃあ、行くよ」
○第二技術部のフロアー。午後3時半。
志郎の机の電話がなった。
交換手「外線です。お名前はおっしゃらないのですけど…女性です」
志郎「いいよ、繋いで。・・・もしもし、もしもし、加西です、もしもし・・・」
外線「もしもし、私、舞。志郎、お久しぶり」
志郎の背筋に、ぞぞぞっと冷気を帯びたような電流が走った。それほど舞
の声にそっくりだったのだ。
志郎「爺ちゃん、やったね。そっくりだよ」
治助「ようやく思い出した。あの時の優しそうな顔を思い浮かべた途端だ」
志郎「よし、明日の土曜日、あいつらを家に呼ぶよ」
治助「そうだ。四人で打ち合わせをせんとな。そして、仕上げを御覧じろだ」
○加西家居間
爺ちゃん手作りのご馳走に舌鼓を打つ青木と桜井。ビールの空き缶がずら
りと並ぶ。
桜井「そういえば、お爺ちゃん、さっきから見えないけど…」
志郎「爺ちゃんは隣の部屋で変装しているんだ。見て驚くなよ」
青木「変装って、まさか女装?」
志郎「ああ、そういえば女装だ。実に色っぽい」
桜井「本当かよ、お爺ちゃんの女装が色っぽいわけねえだろう。どっちかと言え
ば何か怖い感じがする」
ドアが開かれた。興味津々の二人。ドアの隙間から美しい脚があらわれる
。沸き起こる歓声と指笛の音。赤いスカートが現れ、次いで手が、そして、にっ
こりと微笑む舞の顔が。
ぎゃーという悲鳴とともに青木が気を失って倒れた。
志郎「おい、だから、爺ちゃんの変装だといっただろう」
桜井がわなわなと震えている。
志郎「おい、桜井、ビールをぶっかけろ。青木の顔にビールだ」
○静かな住宅街・午後7時。
街灯の光が二人の顔を浮かび上がらせた。二人は肩を並べて歩いてい
る。鍋島 貢と望月保である。望月が警戒して辺りを見回す。
鍋島「何か仕掛けてくると言っていたが、考え過ぎじゃないか」
望月「いや、必ず来ます。あの親子は尋常な親子じゃありません」
二人の後に志郎が忍び寄り、小石を望月に向けて投げつける。石が当た
る寸前、望月が振り返り、石を伸縮警棒で打ち落とす。刹那、望月が何か
を投げた。志郎は首を傾げやり過ごす。
志郎「十字裏剣とはまいったね。目に当たったら失明するぞ」
望月が再び投げようとする寸前、うっと声を上げた。志郎が礫を飛ばした
のだ。そして、チャリンという金属音が響く。
志郎「右手はしばらく使えまい。まだやる気か?」
望月「何をこしゃくな。若、危ないですか家に入ってください。こいつを半殺しにし
てやります」
望月は左利きだった。再び十字裏剣が唸りを発して飛んでくる。志郎は首を
傾げそれを避ける。
志郎は逃げるばかりで反撃しようとしない。右手をだらりと下げ、最後の十
字裏剣を左手にかかげ、望月が志郎に迫る。距離は3メートル。望月が酷
薄そうな笑みを浮かべる。志郎の額に汗が滲み出ている。
望月が渾身の力を込めて手裏剣を打った。一瞬、望月は自分の目を疑っ
た。志郎の立ち位置が50センチも右にずれている。手裏剣は空を切り、黒
塀に突き刺さった。
志郎「この技、会得するのに15年かかった。うちの爺ちゃん、修行となると鬼み
たいに なっちまう。往生こいたわ」
望月が腰から警棒を引き抜いた。一気に踏み込み警棒を志郎の脳天に振
り下ろす。またしても志郎の姿はない。それどころか、手首を握られ、徐々に
ねじ上げられる。うめき声を漏らす。ボキッという音を聞いた。激痛を歯ぎし
りしながら耐えた。
誰か駆けてくる。
桜井「おい、志郎。終わったぞ」
志郎「分かった、すぐ行く」
桜井「でも爺ちゃんの姿がみえないんだ」
志郎「どうせ、女装のまま遊びに行ったんだろう。女装、面白がっていたから」
望月を一瞥し、二人は去ってゆく。
○鰍lCプロダクツ・第二技術部フロアー。
メール着信のアイコンが点滅している。
志郎は動画を立ち上げ再生した。同じものが全社員に配信されている。
○動画が映し出される。
街灯の光が一人の男の顔を浮かび上がらせる。あわただしく男が門扉を開
け自宅に入ろうとしていた。
舞 「貢、鍋島貢」
声を掛けられ、鍋島が振り返る。驚愕の顔がアップになる。ここで1カメから
2カメに切り替わる。暗闇の中、2カメがぼーっと白い煙のようなものを捉え
る。それが次第に舞の姿に収斂されてゆく。その唇がゆっくりと動いた。
舞 「何故、あんなことをしたの?何故あんな合成写真を社内にばらまいたの
?」
鍋島が言葉にならない声を発っし続けるが、ようやく言葉を見つけた。
鍋島「許してくれー、でも俺が悪いんじゃない。全てを計画したのは望月だ。俺
はそれに乗せられただけなんだ」
鍋島が泣き喚き、許しを請う。
ここでいきなり幕が降りてしまう。ザーという雨の降るような画面が続く。
あの日、治助は腸捻転を起こし救急車で病院に運ばれていて、撮影には参
加していない。それを聞いた青木はまた失心した。舞の姿を映した2カメは青
木の担当だった。青木は今日も休んでいる。
舞のセリフは、治助の退院後に吹き込まれたものだ。
志郎の後方から女性の悲鳴が聞こえた。メール配信されたこの動画を見た
のだ。ざわめきがフロアーに広がってゆく。
志郎の目から一滴涙がこぼれた。
舞の僅かに開かれた唇からこぼれた言葉は「愛してい・・」としか読みとれなかった。
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