◇ ◇ ◇ ◇ ◇
これを書いた頃、「トエンティフォー」というアメリカの刑事ドラマを見たばか
りでした。事件は時間を追って24時間の出来事として描かれていました。こ
んな風にシナリオが書けたら面白いと思って真似た訳です。どうです、意欲
的でしょう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
○村の公民館一日目午 午後10時半
午後三時から、駐在さんの着任祝いが行なわれている。7時間半にも及
ぶ長丁場。村の主だった連中が、悪酔いし、おだを上げ、宴はまさにたけ
なわである。それにしても、みな声が大きい。
村長が立ち上がり「えへん」と咳をする。5度目の咳で、ようやくざわめきが
引いてゆくが、村長は咳が止まらなくなっている。咳き込む村長。
村人A「おい、おい、大丈夫か、村長」
村人B「村長、意地張って、両刻みの煙草なんて止めろって。こだわりも、度
が過ぎれば偏屈だ」
村人C「まったくだ。ゴホゴホ、咳き込みな がら、煙草吸ってる姿を見るたん
びに、こっちが切なくなる」
加治「村長は大学時代の気分が抜けねえんだ。過去の栄光がよ、忘れられね
えんだ。何と 言っても、村長は、70年安保の申し子だしな」
村人A「何だ?その70年安保って。カーち ゃんの使ってる2007年式のタン
ポンなら知ってるけど」
加治「わざとらしい、何がタンポンだ。そん なボケじゃ、突っ込みようもねえ。
安保はな、日米安全保障条約のことだ。村長は、東京で、その安全保
障条約締結反対って竹振り回してた口だから」
村人A「さすがに、インテリだなー、加治さんは」
村人B「何と言っても、加治さんは、村長と、それから何て言ったっけ、あの気
違い、あいつの倅が帰って来てるべ、村はずれの家に?」
村人A「神保だよ、神保」
村人B「そうそう、その神保と3人で、村の小学校開校以来の神童と謳われた
んだからな。加治さんは大学へ行かなかったけど、もし行ってれば、今
の村長はありえねえ。うらぶれて故郷に帰ってきたとはいえ、何と言っ
ても大学出だからな、村長は」
加治「神保が大学の夏休みに帰って来た時、聞いたんだが、デモでばったり
村長と会っただと。そん時、村長は安保絶対反対って言うところをよ、安
保撤退反対って叫んでいたらしい」
村人A「ほんと、村長は、そそっかしいから。その話は何度聞いても笑っちまう
よ。安保撤退反対だったら、安保賛成じゃねんか」
加治「まったく、あれで村長だから笑っちまうよ。俺の家は貧しかったから、大
学はむりだったんだ。でも、まあ、俺も村で商売を始めて成功した。言
ってみれば一国一城の主だ」
鼻をぴくぴく蠢かせる加治。村長は、村人から水を受け取り、一気に飲み
干す。ようやく咳もいさまり、村人を見回す。
村長「みんな、着任早々で、駐在さんも疲れているみてえだから、先のこと考
えて、そろそろ、あれにすっか。見てたら、駐在さん、さっきから舟をこ
いでるし」
どっと笑い声。舟をこいでいた駐在が目を覚まし、背筋を伸ばしてあたりを
見回す。これを見て、更に大声で笑う村人達。駐在は頭を掻く。
駐在「申し訳ありません。うーいっ。署での引き継ぎに・・手間取って、いっ、し
かも 引越しの準備で昨日は、よく、いっ、寝てないもんですから」
明美「言い訳はいいから、今度ここの呑み助と付き合うコツを、伝授してあげ
っから、仲良くすんべ」
加治「駐在さん、今晩あたり用心してた方がええぞ。明美ばあさんに夜這か
けれっかもしんねえ」
明美「馬鹿こくでねえ。俺の好みはみんな知ってるべ、ほ、そ、お、も、て(細
面)。 ジャニーズ系だ。駐在さんは太面だ。わしの好みじゃねえっつう
の」
再び爆笑の渦。明美ばあさんのしわくっ ちゃな顔を見上げ、河野の背筋
がぞくぞ くっと震えた。
村人A「夜も更けたし、そろそろに締めねえと、明日にさしつかえるべ」
みな、よろよろと立ち上がる。
村人B「さすがに昼の3時から飲んでると立 ってるのも容易じゃねえ。村長、
早く御発 声、宜しくたのむだ」
駐在はふらつきながらも立ち上がり、開放される喜びを満面に浮かべ、手
を擦り合わせ三本締めにそなえる。
村長「駐在さんもそろそろ酔っ払って呂律も 回らねときてる。そんなわけで、
ご指名で ございますので、宴たけなわではごぜえま すが、・・・中締
めに参りたいと思います。 さて、お手を拝借」
中締めと聞いて駐在、仰け反る。
村長「よーお」
三本締めが終わり、みな座に着く。駐在泣き顔。村長が一升瓶をもって駐
在の隣にどっかりと座る。
村長「あと少しで終わるから、河野さん、一杯、遠慮せずに飲んでくれろ」
河野「駐在さんって呼んで下さい。ういっ、その方が、気分が出ます、ういっ、
たとえ 潜入捜査官とはいえ」
村長「なんだ?そのセンニューソウサカンってのは」
河野「えー、ういっ、私、そんなこと言いました。たとえ酔っ払ったとしても、そ
んなこと、はっはっはっは、ういっ、言うわけがない」
村長「いや、言った。確かに言った。この耳 で聞いた、なんつったっけ、ええ
と、センニン・・」
河野「もし、ですよ、もし、私が、秘密で組織かなんかに潜入する捜査官だっ
たら、組織の長である村長にそんなことばらしたら、秘密で潜入した意
味がないじゃないですか。そんな馬鹿な話、ないでしょう」
村長「がっはっはっは、そりゃあ、そうだ」
河野「だからー、村長の空耳ってことですよ、 分かりますか?」
村長「ああ、確かにその通りだ。わしもどう かしている。それはそうと、河野
さんは、そのハイカー達が熊に襲われたんじゃないかと思っているわけ
だ?」
河野「ええ、ういっ、その可能性は否定でき ません」
村長「しかしなあ、熊の巣と呼ばれる山は谷を隔てた、向こう側だ。そこ行くに
は、その前に、この村を通らねばなんねえ」
河野「ええ、ういっ、だから不思議に思いま して、この村を通らずに、ういっ、
その熊 の巣へ行く、道があるんじゃないかと」
村長「ねえことは、ねえ。と言うより、ある には、ある。しかしだ・・・隠し田っ
て知ってるか?」
河野「ええ、何かで読んだことあります。年 貢を逃れるために、代官に気付
かれない所 に田んぼを作ったとか」
村長「そうだ、その隠し田なんだが・・・」
村女A「村長、またその話かよ。もう何十遍 も同じ話してるべ」
村女B「まったくだ。村長は、酒が入ると、壊れたレコードだ。とはいえ、駐在
さんも、さっきから聞いてれば、同んなじことさ、 繰り返して聞いてる。
似たようなもんだ」
河野「あのー、ういっ、もしかしたら、私の記憶違いかもしれないのですが、う
いっ、隠し田の話になると、女性の方が村長に酒 を注ぎに来て、うい
っ、話が途切れたよう な、ういっ、そんな気がするんですけど・・・」
村女A「なーに馬鹿なこと言ってるだ。駐在 さん。村長の隠し田の話を、とろ
ーんと眠 ったような目さして、へー、そうですか、へーなるほど、とか
なんて言って相づち打ってたじゃねえか、酒飲むと何でも忘れる だね」
河野「あれ、ういっ、そうだったですか。ど うも記憶がとぎれとぎれで・・・うい
っ、どうもいかん」
村女A「さあ、さあ、村長、もう一杯、いこう、もう一杯。グッと行こう」
村長、お猪口を取り上げられ、丼を渡される。酒がなみなみ注がれ、村女
が手を添え、無理矢理飲ませる。村長、その場に崩れる。女二人、村長の
足を引きずり、襖を開け、隣の部屋に運ぶ。その部屋には酔い潰れた村
人達の山。
結局、駐在が開放されたのは、午前2時過ぎらしい。らしい、というのは、
踏みつけて壊れた目覚まし時計が、その時間で止まっていたからで、いず
れにせよ、中締め以降の記憶はない。
○ 駐在所 二日目 午前10時
机にうつぶせになり、河野は吐き気を堪えている。突如、河野が便所に駆
け込み、げーげーとやる。戻ってきて再び机にうつぶせる。
河野「純朴を絵に描いたような人達ばっかり だ。やっぱり署長の考えすぎっ
てこと。頭のいい人は、何でも物事を複雑に考える」
○とある警察署、署長室。一月前。
署長「河野君。君には非常に難しい勤務についてもらうことになった。県境の
双神村を知ってるかね?」
河野「いえ、聞いたこともありません」
署長「知らなくて当然だ。人々から忘れ去ら れた山奥の村だ。戸数18戸、
人口43人。実は、あの村に入ったと思われるハイカー がこの3年間
で3人も行方不明になっている」
河野「入ったと思われると言うのは?」
署長「その手前の村までは目撃者がいる」
河野「この三年間と仰いましたが、それぞれ 別々にですか?」
署長「そうだ、毎年一人づつ。時期もほぼ一 致してる。6月から7月にかけて
だ」
河野「駐在所はないのですか?」
署長「あるにはある。だが現在駐在所員はいない。先月川で溺れて死んで
いるのを発見 された。ハイカーの捜索を指示した矢先だった」
河野「つまり、署長は村人が関わっていると?疑っておられるのですね」
署長「その通りだ」
河野「分かりまた。すぐに着任します。それ では失礼致します」
署長「ちょっと待て、何か忘れていないか?」
河野「分かってますよ。潜入捜査官としての 私の偽名でしょう?」
署長「偽名ではない。コードネームだ。今回、潜入するのは、これまでの麻薬
密売組織や人身売買組織と違って、一つの村だ。それで、私もちょっと
凝ったのを考えたんだ、えっへ、えっへ」
署長、冷徹な顔がほころび、無邪気そうな顔を覗かせる。
河野「署長、今回は遠慮しておきますよ。相手は、それこそ純朴な村人達で
すよ。田舎のおっさん相手に偽名なんて必要ないですよ」
署長「偽名ではないと言うのに。いいか、どんな組織に潜入する時でも、コー
ドネームは必要だ」
河野「勘弁してくださいよ。コードネームだと言っても、ドモリの松とか寅とか、
そんなのばっかりじゃないですか。兎に角、今回は本名で行きます」
署長「おい、待て、待てと言うのに」
署長の言葉を無視して河野が出て行こうとする。と、ドアと間違えてクロー
ゼットを開けて後退りして驚く振り。
河野「な、なんと、いったい、何時、誰が、何のために、こんな仕掛を?」
署長「ふん、河野君、それ、もう三回目だよ。最初だけだよ、面白かったのは」
河野「それは失礼しました。それより、署長、偽名のことを根に持って、怒っ
ているんじゃありません?」
署長「ふん、馬鹿な。私は感情を顕にしていたら、生き残れない世界で、ここ
まで這い上がって来たんだ」
河野「では、これはどうです?」
ドアの前まで行き、踵と返して一礼する。そして振り返った途端、ドアに顔
をぶつける。
河野「いてー」
河野がにやつきながら署長を振り返る。その顔には鼻血がべったり張り付
いている。署長は顔をそむけた。
署長「今度は悲惨すぎて笑えたもんじゃない」
鼻に異変を感じ、河野、指で触れて鼻血に気付き、顔をしかめる。
河野「失礼しました。さすがの、私も、鼻血 は想定外でした」
○ 駐在所 二日目 午後12時半。
うつぶして死んだように眠る河野の肩を叩く者がいる。河野は寝惚け眼を
こすり相手を見る。明美婆さんだ。
明美「やっぱり、俺の夜這いを用心して眠れ なかったのか?今頃寝てるって
ことは」
河野「まさか、朝までぐっすりでしたよ」
明美「しまった。散々迷ったが、どうせ駄目だと思って止めちまった。まったく、
加治の野郎、余計なことを抜かしやがって」
河野、おいおい、本気かよ、といった顔 で明美婆さんをまじまじと見る。
ため息を洩らし、気を取り直す。
河野「しかし、みんな酒強いね」
明美「ああ、でも、酔ったら二階さ行って寝るんだ。そんで酔いが醒めたらま
た飲み始める」
河野「ってことは、代わりばんこに、みんな寝てたわけ?」
明美「当たり前だべ。真昼まっから飲むのに、そうでもしなきゃ夜までもたねえ
」
河野「それならそうと言ってよ。俺なんて根が真面目だから、休みなしで、真
面目に飲んじゃったじゃない」
明美「そんな飲み方したら、体がもたねえ。で、どうする?これからやっか?」
河野「馬鹿なことを言ってないで、ところで、今日は何か?」
明美「実はな、隣の家のことなんだがな、あのヤクザが戻ってきちまった。嫁
さん連れてよ。東京でほんまもんのヤクザだった奴だ。どうにかなんな
いか?」
河野「ヤクザだって故郷で暮らす権利はある。ヤクザの足を洗ったのかもしな
い」
明美「足なんか洗うわけがねえ。根っからのヤクザだ。散々悪さして村をおん
出ていった」
トラックのエンジン音が響く。
河野「しかし、トラックの振動で机が揺れるからよく眠れなかった。上の県道は
けっこう往来が激しいね」
明美「ああ、あれか、あれは山の天辺に金持 ちが別宅を建ててる。その資
材が運ばれているんだ。いずれ俺が住んでもいいと思っているが」
河野「いずれ住んでもいいって、金持ちの別宅なんだろう?」
明美「はは、冗談に決まってるべ。あんな山ん中じゃ、運転手付きのベンツで
もなけりゃ、不便でしょうがねえ。俺は本宅でもいいかとも思ってる」
河野「よく分かんないな。本宅って、その金持ちの本宅を明美婆さんが貰うわ
け?」
明美「まあ、そんな埒もねえ、話はどうでも いいよ」
河野「その埒もねえ話は、そっちが始めたんでしょう」
そこに加治の女房が息せき切って駆けつける。加治の家は村で唯一の小
売店だ。何でも売っている。
女房「駐在さん。来てくれろ。神保の奴が暴 れてる」
明美「やっぱりだ。今、神保のことを駐在さんに言ったばかりだ。何かしでか
すと思ってたよ」
女房「父ちゃんが心配だ。早く早く」
明美「おめえの父ちゃんなら心配いらねえ。奴は女には、死ぬ、死ぬって言わ
せても、自分じゃ死なねえ」
女房「それも今は昔だで。今じゃ、いくら誘いかけても、死んだ振りしてやがる
」
ガハハハという女二人の笑い声。河野、唖然として口を開けて二人を見詰
める。
○加治の店の前。二日目 午後12時45 分
二人の男が言い争っている。二人を遠巻きに村人が5人。
河野「神保さん。暴力はいけませんよ、暴力は」
神保「暴力なんて振るっちゃいない。ちょっと胸倉を掴んだだけだ」
加治「いんや、暴力を振るっただ。胸倉を掴むちょっと前、拳で鳩尾をどついた
だ 」
村人が加治に声援を送る。
村人A「んだ、んだ、俺も見てただ。喧嘩のプロは、やることがこすっかれえ。
俺たちが気付かねえと思ったら大間違いだ。こう見えても、動体視力は
プロボクサー並みだからな」
村人B「俺なんか、もっと細かいところまで見ている。鳩尾をどついた瞬間、く
るっと こぶしを回しただ。あれは明らかに空手の心得がある奴の技だ
」
村人C「加治さん、頑張れ、暴力に屈するな」
村人D「そうだそうだ、ちょっとくれえ、東京さ行ってたくれえで、でっけえ面し
やがって。そんなもん、ちっとも偉かねえ」
神保「でっけえ面は元々だ。それに、俺がいつ偉そうにしたって言うんだ」
村人達「ほれ、偉そうに、えばった、今、えばったじゃねえか」
新保「うるせい。この野郎。おとなしく出てれば調子に乗りやがって」
神保の剣幕に、村人、後退りする。
神保「よってたかって、言いがかりつけやがって。東京のヤクザだってそこま
ではしね え。それより、加治、何故、俺には売らないなんて言うんだ」
加治「お前に売るもんなんて何一つなねえだ。麓の町まで行って買ってくれば
いいだろう。元々お前の家は村八分だった」
神保「麓まで二時間もかかる。冗談じゃない。おい、駐在、何とか言えよ。こん
な馬鹿な話があるか?」
河野「加治さん。売ってやったらどうなんだ。あんただってそれが商売だろう」
加治「厭だ。厭だといったら厭なんだ。今日は、とっくに店じまいしただ」
騒ぎを聞きつけ、山本と奥田がやってくる。村では若い方で、40歳前後。
二人とも熊撃ちの名手だ。
山本「加治さん、何かあったのか?」
加治「あったどころの騒ぎじゃねえ。この神保の野郎が、俺をどついたんだ」
奥田「なんだって、どついた?」
奥田、ほくそえみながら村人を見回す。十分に間をとり、みなの注目を集
めているのを確認している。
奥田「どついたのは、いったい、何処の・・・どついた」
河野が思わず相好を崩し近づく。
河野「いいねえ、いいねえ、今のいいよ。才能がほとばしってる。こんな田舎
に置いとくのはもったいない」
奥田、眉毛を上下させる。
奥田「えへ、えへ、そう?」
山本「馬鹿、加治爺さんは、神保ががどついたって言っているだ。文脈が合
わねえっつうの」
奥田「分かってるって。おい、神保」
奥田、再びみなを見回す。十分に間をとって、神保をきっと睨む。
奥田「いいか、よく聞け、神保。東京じゃ知 らねえが、この双神村じゃあ、ヤ
クザなんて目じゃねえ。ここには、なー、いいか、死体を埋める場所な
んてなー・・・山ほど ある。山の中だから。何ちゃって、がっははっはっ
はっは」
奥田、ちらりちらりと河野を見るが、今度は、河野、強張った顔をして固ま
っている。奥田の台詞に動揺して、加治と山本が顔を見合わせる。
山本「おい、奥田。駐在さんの前で、めった なこと言うもんじゃねえ」
加治、わざとらしく声を上げて笑う。
加治「ったくもう、奥田の言うことは、冗談 ばっかりだけんど、どぎついから、
お、思わずぎょっとさせられる。な、なあ山本」
山本「そうそう、信じて馬鹿をみるのは自分 だから、俺は、まず、信じねえ」
口々に取り繕うとする村人達。しかし河野は奥田の台詞に目をまん丸にし
て、驚愕の表情だ。
加治「どうした、駐在さん。まさか、奥田の 言葉を信じちゃいねえだろうな」
河野「まさか。面白い冗談だと感心していたところですよ」
加治「その顔が感心した顔っつう訳か?」
河野「へへへへ、ええ、感心すると、目を丸くするんです」
加治「なんだ、そうか。奥田の言葉を信じてよ、俺達がしょっちゅう人を殺して
、死体 を山ん中さ、捨てるって思われたんじゃ、たまったもんじゃねえ
からな」
村人達、どっと笑って、一様に胸を撫で下ろし、ほっとした様子だ。奥田、
村人達の安堵のどよめきに着いてゆけず、何か面白いことを言わなければ
と焦る。
奥田「そ、そ、そうだよ、そんなに、しょっ ちゅうじゃねえ、なあ、この数年で、
たったの3人だ、なんちゃって、がっはっはっはっは」
村人達、あわてて奥田をの口を押さえる。河野が目を丸くして、再び猜疑
の目。それをみて、加治が言う。
加治「い、い、今も、奥田の冗談に感心してるっちうわけだ」
河野「そ、そ、そうなんですよ。よく分かりましたね。お、お、奥田さんもよくい
いま すよ。はっはっはっは」
河野、神保に近づき小声で言う。
河野「神保さん。今日のところはおとなしく引き上げてくれ。俺が後日話をしと
く。れより、何が欲しい?」
神保「塩だ。塩を買ってくるのを忘れた。」
河野「それじゃあ、駐在所に寄れよ。俺のワ ンパックを進呈しよう」
加治「おい、駐在さん、何をひそひそやってるだ。そいつとは係わらねえ方が
いいぞ」
河野「いやいや、じ、じ、神保さんの過去も知っておかなくては、・・ゴク・・駐在
も勤まりませんから、駐在所にいって、ゆ、 ゆ、ゆっくり職務質問しよう
かと思ってる だけですよ」
河野歩きながら呟く。
河野「失踪したハイカーは三人、奥田も山の 中に埋めたのは三人と言って
いた。単なる偶然なんだろうか」
○ 駐在所。二日目 午後一時
神保「ああ、確かに、俺はヤクザだった。だ が、足を洗ったんだ」
河野「足を洗ったといってもねえ、村人がそれを信じるかどうかだ。離職証明
書みたいなものは発行してもらったの?」
神保「はー?」
河野「だからー、確かにこの方は何何組を離職、つまり組織を離れました、
みたいな証明書だよ」
神保「馬鹿言ってんじゃねえよ。ヤクザの親分がそんな証明書発行してくれる
わけねえだろう」
河野「悪い悪い、ちょとした冗談だ。ところで、どうして、君の家族は村八分に
なったんだ?」
神保「ああ、そのことか。あれは俺がまだ子 供の時分のことだ。カカアが突
然、何の前触れもなく姿を消した」
河野「何だって・・・いったい、そんなことが・・・き、君は・・・子供の時分に、も
う奥さんがいたのか?」
神保「馬鹿野郎。カカアってのはお袋のことだ」
河野「悪い悪い、冗談冗談。で?」
神保「親父は、村人達がカカアを、かっさらったんだって、言っていた。この村
に は古い土俗信仰がある。親父から聞いた話 だが、人間を生贄に
すると言んだ」
河野「人間を、まさか、そんな・・・・」
河野、空を睨む。なかなか冗談が出てこない。
神保「早く何か面白いこと言えよ。今度は随分時間かかってるじゃねえか」
河野「ちょっと待ってよ、そんなに焦らせるなって。ええと・・・。よし、出来た・
・・生贄だなんて、そんなこと絶対許されない。いけにぇことだ」
神保「なんだ、それ」
河野「駄目だ。話が悲惨すぎて、ジョークが凍りついてる。署長の言うとおりか
もしれん。悲惨すぎると冗談にならないってことか?」
神保「何だ、それは」
河野「つまりー、ええと・・・その・・・まあ、いいか。次に行こうー。ところで、そ
の土俗信仰ってのはどんな信仰なんだ?」
神保「牛神さまを祭るんだ。村はずれの牛神家がその宗家だ」
河野「牛神家?どっかで聞いたことあるよう な・・・」
新保「まあ、似てるってば似てるけど、この話は、あんなメジャーじゃないし、
まあ・・・駐在のを真似て、次へ行こう」
河野「うーん、次に行こうと言われても、どうも引っかかる。牛神家ねえ。とこ
ろで、その生贄には村人がなるのか?」
神保「いや、どっかからさらってくるらしい。村人で生贄にされたのは俺のお袋
だけだ」
黙り込む河野。ぶるっと震えるが、首を左右に振って、残酷な想像を打ち
消す。
河野「それって本当の話?21世紀のこの世の中でそんなことあるわけないで
しょう」
神保「いや、あるんだ。確かにお袋の場合、確証があるわけじゃない。親父が
そう言っていただけだから。でも、俺と親父は、祭りの日、村人達から
生贄にされた人間の血だらけの心臓を見せられたんだ。まだ、ピピピク
動いていた」
河野「何だって?人間の血だらけの心臓だって?・・・ピクピクだって」
一瞬の間。
神保「今度はどうだ?」
首をかしげながら河野が答える。
河野「どうも、いかん。背筋が凍るようで、冗談どころじゃない。でも、神保さん
は何故、よりによって、そんな恐ろしい村に舞い戻って来たんだ?」
神保「確かに、怖い。怖くてしょうがない。でも食うためだ。足を洗った途端、
食えなくなった。ここなら畑もある。それに女房にせがまれた」
河野「女房にせがまれた?」
神保「ああ、女房は、テレビで自給自足の番組を必ず見てやがった。それで
憧れていたらしい。恐怖を越えるもの、それは飢えだ。なんちゃって、て
へへへ」
突然、明美ばあさんが髑髏の面を被り窓からにゅーっと顔を出す。二人の
悲鳴。二人、腰を抜かす。面を外して明美ばあさんが笑い転げる。不気味
な笑い声。
河野「ああ、明美ばあさん・・・心なしか、顔が不気味になってる」
これ以降、村人の顔には全員不気味な陰影をつける。
明美「二人で、何をこそこそ話していた?」
二人、うろたえる。
河野「いやー、たまたま神保さんもヤクルトファンだと言うんで、ついつい話が
盛り上がって、なあ、神保さん」
神保「えっ、ヤクルトファン、俺、巨人ファンだけど?」
河野が肘で神保のわき腹をつっつく。
神保「ああ、そうそう、ヤクルトファンだった。あやうく忘れるとこだった」
明美「普通、そんなこと、忘れるか?それは そうと、牛神家の当主のお呼び
だ。牛神家へは、新参者は必ずご挨拶に行くことになってる。神保、お
前も行け」
神保「へい」
河野「おい、なんで、いきなり、へい、なん だ」
神保「分からん。自然に出た」
明美「はっはっはっは。当たり前だ。この辺の者は、何百年も昔から、みん
な牛神家の小作人だった」
神保「へー、小作人魂ってわけか、どうりで。 しかし・・・」
神保、顔を両手でぴしゃぴしゃと叩く。
神保「冗談じゃねえ。俺は新宿では剃刀の竜と言われて恐れられた男だ。何
が小作人魂 だ。舐められてたまるか」
明美「ごちゃごちゃ言ってねえで、そら、行 くぞ」
神保「へい」
河野が「駄目じゃん」と言って、神保の頭を引っぱたく。
○ 牛神家の居間。二日目、午後一時15分
洋風で洒落た調度類。二人応接のソファに腰掛け、落ち着かない。鳴り
響くデンデン太鼓の音。ドンツクドンドンツクツクと響く。男女の念仏を唱え
るの声。
しばらくして、白髪の老人と、孫と思われる妖艶な美女が現れる。二人腰
掛ける。逆に河野は立ち上がる。
河野「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。昨日着任した河野でございます
。今後とも なにとぞ宜しく願いたします」
ふと見ると、神保はソファーから降りて土下座している。河野が神保に耳
打ちする。
河野「おいおい、剃刀の竜は何処に行ったの?」
神保「分かってるって」
神保は立ち上がり、肩をそびやかす。爺さんに睨みをきかす。
牛神「お前が、あの神保の息子か?」
途端に腰を屈め、揉み手をする神保。
神保「へい、そうでごぜえますだ」
河野「おい、おい、剃刀の竜が聞いて呆れるよ、まったく。まして何処の方言
だ」
神保「しょうがないじゃないですか。何百年ですよ。小作人魂は骨身に染み付
いている みたいですから」
牛神「まあ、二人とも座りなさい。そうそう、紹介しよう。妻の由紀だ」
由紀は、二人をじっと見詰め、軽く頭を下げる。見詰められ、生唾を飲み込
む二人。ゴクと音がする。
河野「おいおい、神保君。奥様が異様に美しいからといって、生唾はないだろ
う、生唾は、はっはっはっは・・・」
神保「人のせいにするなよ、駐在さんの方が音はずっと大きかった。それに、
目がとろけてるぜ」
由紀「駐在さんは独身なんですか?」
河野「ええ、女性にはとんと縁がなくて。縁があるのは、このたぐいの野郎ば
っかりです」
神保「おいおい、このたぐいとは、どのたぐいだよ」
河野「おおっ、その調子、その調子。その威 勢を保てよ。元ヤクザなんだか
ら」
由紀「まあ、元ヤクザさんなんですか、すごい」
神保「ええ、宿ではちょっとした顔でしたから、てっへっへっへ」
神保、一瞬、肩をそびやかす。
牛神「宿では知らんが、ここでは新参者に過ぎん。分かっているな?」
神保「へい、それはもう、旦那様、十分に分かっておりますだ、へい」
再度、神保の頭を叩く。あたりを見回し、河野が言う。
河野「しかし、どうも気になるな。似てるようで似ていない。古い日本家屋かと
思えば、洋風、まして、由紀さんが奥さんだなんて。恩人の娘を引き取
って育てた、という訳じゃあない?」
牛神「それは駐在さんの勝手な思い込みだ。牛と犬じゃあ、行って帰るほど
違う。」
河野「遺産相続でもめてるとか?」
牛神「ないない」
河野「でも、もしかして、白いゴムのお面を被った人がいるんじゃありません?
」
牛神「ああ、あれか?あれならいるよ」
ドアが開いて、ぬーっと白い顔が覗く。目も鼻も口もない。二人、悲鳴をあ
げてのけ反る。さっとゴムのお面を取り、明美婆さんがお茶を運び入ってく
る。
河野「なんだ、明美ばあさんか。驚かすなよ。化け物かと思った」
明美「お前がしつこいから、少しだけ期待に応えてあげたまでだ」
明美婆さんは、お茶を配り終えると、応接の椅子に座り、自分のお茶をズ
ズズと音を立てて飲む。
河野「何で、明美婆さんが、ここにいるの?どっかりと、落ち着いちゃって」
明美「もともと、わたしゃ、ここの女中だよ。それに由紀は私の姪でね、まあ、
一緒には 住んでねえが、家族みてえなもんだ」
牛神「ところで、駐在さん。前の駐在の井上さんは本当に残念なことをした。
せっかく 村人とも仲良くなって、これからと言う時に」
河野「本当です。しかし、川で溺れるとは。ところで、確か、一緒に釣りに出か
けたとのは、山本さんと奥田さんでしたよね」
牛神「ええ、あの二人は熊撃ちと渓流釣りが趣味ですから」
河野「井上は、釣りが趣味ではなかったと聞いてます。二人が誘ったのです
かね?」
牛神「そうじゃないですか、三人は仲がよかったから」
河野「前から、一緒に、釣りに行ってた?」
牛神「そんなことは二人に聞いて下さい。私 だって、村人の日常をみんな知
っているわけじゃあない」
河野「はっはっは、仰るとおりです、申し訳ございません」
牛神「とにかく、あの日は川が増水していた。流れに足を取られたのでしょう」
河野「ほほうー。増水した日に、二人は井上を釣りに誘ったわけですか?」
牛神、明美婆さん、由紀が、体を河野の方へ乗り出し、不気味な視線を向
ける。
牛神「駐在さん、何かご不審でもあるのですか?」
三人の視線に度肝を抜かれ、河野は焦る。
河野「め、め、滅相もございません。た、た、ただ、ちょっと不思議に思いまし
て」
三人声を揃えて。
三人「不思議?」
河野「いえいえ、不思議じゃなくて、不審、これじゃもっと悪いか、ええと・・・」
神保「あの、臆病な井上が、増水した川に釣りに行くなんて意外な気がいたし
まして」
河野「そう、そう、まさしく、それ。たはっ はっはっは」
河野、冷や汗を拭う。
牛神「井上さんにはいろいろ世話になった。時には、私の代理まで務めてくれ
た。本当に頼りがいのある人だった、ねえ、由紀」
じろりと、河野を見る。由紀、明美婆さんも身を乗り出して河野を見る。
河野「も、も、勿論、私で出来ることことなら何なりとお申し付け下さい」
牛神「いやー良かった。まさか、こんな成り行きになるなんて、思ってもみませ
んでした。良かった、本当によかった。無理強いするわけにもいかず、
私も悩んでおったところです」
河野「無理強いするわけにもいかず、ですか?今のが?」
牛神「何か?」
河野、牛神の視線をかわす。
河野「それより、代理って言うのはどんなことをすればいいのです?私に出来
ることでしょうか?」
牛神「簡単なことです。明日、麓の町で開かれる株主総会に出席して、異議
なしって怒鳴ってくればいいのです」
河野「それなら私にもできそうです。声も大 きいし、うってつけですよ」
牛神「有給休暇を取ればいい。それに謝礼も出します」
河野「謝礼なんて、そんな・・・・いかほど?」
牛神「はー、最後の方が、よく聞こえませんでしたが」
河野「いえ、何も言ってません、てっへ」
神保「そのー、謝礼って、幾ら包んでもらえるんです?」
牛神「5万円ほどです」
河野、満面に笑みを浮かべる。
神保「二人で行ったらまずいですか?」
牛神「結構です」
神保「謝礼の方は?」
牛神「勿論、同じにしますよ」
二人して抱き合い、喜びを分かち合う。
河野「ところで、牛神さんはどうして行けないのですか?」
牛神「明日3時から年に一度の祭りがありましてね。古いしきたりがあるんで
すよ。その祭りを執り行うのが牛神家の何百年も続く使命なのです。ふ
っふっふっふっふ」
不気味な笑いに由紀、明美婆さんも唱和する。
牛神「そうそう、委任状を用意しておいた。これを渡しておきましょう」
河野「分かりました、株主総会の入り口でこれを見せればいいんです・・・あれ
っ、俺の名前が、あれっ、判子も押してある」
牛神「判子なんて三文判で十分ですから。他に何か?」
河野、納得がいかないが、おくびにも出さない。
河野「免許証とか何か身分を証明するものも持っていった方が・・・」
牛神「そんなものはいらん」
神保「私の委任状は?」
牛神「それも、いらん。ワシの代理人に誰も 文句は言わんせん」
河野、神保、改めて牛神の権勢に触れた思いで、顔を見合わせ頷きあう。
牛神「それから一つ言い忘れていた。昨日の歓迎会で、ハイカー云々と聞き
回っていたとか?」
河野「いえいえ、谷の向うに熊の巣と呼ばれる場所があるとか。ハイカーがそ
こに迷い込んだのではないかと思ったものですから」
牛神「あそこに行くにはこの村を通らなければならない。村人が見ていないと
いうことは、ハイカーは来なかったということだ」
河野「仰るとおりです。でも、隠し田のことをちらっと聞きましたが」
牛神「隠し田なんて、私は聞いたこともない由紀、明美ばあさん、隠し田って
聞いたことあるかい?」
二人声を合わせて「ぜんぜん」
牛神「駐在さん、この村では、余計な詮索はしない方がいい」
三人身を乗り出して、じっと河野を睨みつける。
○駐在所の手前 二日目 午後一時半
二人は立ち止まり腕組みして考える。そ してまた歩き出す。
神保「兄い、どう思います?」
河野、ヤクザ歩きになって答える。
河野「どうも、最後の台詞が引っかかりやがる。ハイカー3人の捜索を止めろ
ってことか」
ふと、立ち止まり、神保の頭を叩く。
河野「兄い、じゃないだろう。いつから俺の舎弟になったんだ?俺は警察官だ
って」
神保「まあ、いいじゃないですか、そのくら い。まして、この難局に一人で対
処するより、助っ人がいた方がいいでしょう?」
河野、相好を崩す。そして、ほっと肩の力を抜く。
河野「神保君、兄貴って呼びたまえ。実をい うと・・・。おっと、まずいか、一
般人に、こんなこと、ばらしたら」
神保「兄い、実は、なんて言い出しておいて、途中で止めるなんて、それはな
いでしょう。それに、私は一般人じゃなくて元ヤクザですから、最後まで
仰ってくださいよ」
河野「それはそうだ。警察とヤクザ、同じ穴 の狢だからな。実はな神保、こ
れは絶対秘 密だぞ」
河野、周りを見回す。誰もいないことを 確認する。
河野「実を言うと、俺、田舎の駐在に身をや つしてはいるが、その実体は・・
・県警の潜入秘密捜査官なんだ」
河野、眉毛を上下させ、鼻を蠢かせる。
神保「本当ですか?ヒー、かっこいい。兄いは、秘密捜査官だったんですか」
河野、神保の口を押さえてうろたえる。
河野「馬鹿馬鹿、声が大きいってえの。秘密だって言っただろう」
神保、河野の体をちょこっと押すと、河 野、吹っ飛ぶ。
神保「何だかわくわくしてきますね。ってことは、県警もこの双神村に何かある
と踏んでいるのですね」
河野、起き上がり制服に付いた泥を叩き落とす。
河野「しかし、すごい馬鹿力だな。新宿で鳴らしていたと言うのも頷ける」
神保「そんなことより、県警もこの村を怪しいと睨んでいるんでしょう」
河野「ああ、その通りだ。実を言うと、ハイカーが、この村で数年にわたり、3
人も行方不明になっている。時期はみな6月から7月にかけてだ」
神保「それだー、それに違いありませんよ。明日は7月20日。その祭りの当
日です。ハイカー達はその前に捕らわれて生贄にされたんだ。そして奥
田たちが山に死体を生めた。数も3人とぴったり一致する」
河野「うん、うーん・・・その推理も成りつ・・確かに」
神保「そうに決まっていますよ。だから、祭りの明日、俺達よそ者には村にい
てほしくない」
河野「そうか、祭りの日に、俺達がいると邪 魔だから、株主総会に行かせて
るってことか?」
神保「兄貴、そうとしか思えねえ。俺達さえ いなければ、村の奴らは、やりた
い放題だ、ねえ、どうします」
河野「しかし、なあ、どうも、今一信じられ ないなー。生贄ねえ」
駐在所のそばまで来ると、村人三人が駐在所の横で立ち話をしている。
二人はそっと近寄り聞き耳を立てる。
村人A「由紀さんが生贄ってことだ」
村人B「そういうこった。由紀さんも可哀想に。人身御供ってことだからな」
村人C「しかし、それもしかたがねえ。ここで、生きてゆくためには、俺達も、目
をつぶるしかねえっつうことだ」
村人A「しかし、奥田が言うには、由紀さんは自分から進んでその道を選んだ
って言っていたらしい」
村人B「そこが、分かんねえっつうの。あんな厭なお役目はねえだ」
村人C「身の毛がよだつってえのは、こうゆうことを言うだ」
村人B「まったくだ、本当に身の毛がよだつ、あんな爺さんを相手にするんじゃ
」
河野、大きなくしゃみ。河野と神保、村人の最後の言葉「あんな爺さんを
相手にするんじゃ」を聞き逃す。
二人は互いに顔を見合わせ、頷く。これまで半信半疑であったが、村人の
口から真実が語られたと思い込んだ。
村人達に近づく。村人達は河野のくしゃみに驚いて、二人を見詰めている
。不気味な視線を浴びせているように見える河野、一瞬、怖気づくが、
勇気を振り絞。
河野「やあ、み、み、皆さん、おそろいで。昨日は、わ、わ、私のために、遅く
まで有 難うございました」
村人A「まあ、駐在さんのためってより、み んな勝手に楽しんでいただけだ
が」
村人B「おいおい、そんな言い方はねえだろう。駐在さん、これからもよろしく
な」
河野、意をけっして質問する。
河野「い、い、今、ち、ちょっと漏れ聞いた のですが、ゆ、ゆ、由紀さんが生
贄にされ るって、き、聞こえましたが、そ、そ、そ の・・・」
三人が、身を乗り出して不気味な視線を浴びせる。
三人「そんなこと言った覚えはねえ」
あまりにきっぱりとした口調に、河野も二の句が継げない。
村人A「さい、行くべ」
三人は挨拶もなく二人を残して去る。二人はその後姿を見送るが、一瞬、
ぶるっと体を震わせる。そして駐在所に入り、腰掛ける。河野が考え込ん
でいる。その様子を見て神保が話しかける。
神保「まったく、駐在さんも真っ正直っていうか、何ていうか」
河野「それはどういう意味だよ」
神保「だって、あんな直接的な聞き方じゃあ、村人だって口を閉ざしちゃうよ」
河野「だったら、何て言えばよかったんだ」
神保「例えば、今日、牛神さんちで由紀さんとお話ししてきたのですが、綺麗
なひとですねー。驚いちゃいました、とかなんとか、まずは外堀から入
って行くんです。次第に、核心へ。これがセオリーですよ」
河野「面目ない。実を言うと、俺、上がり性なんだ。それも突発性の。急に上
がっちゃう。しかし、君は時々鋭いね」
神保「そんなもん、刑事物のテレビドラマ見てれば分かるじゃないですか。だ
けど、そんな突発性上がり性の人が、よく、秘密捜 査官なんてやってら
れますね」
河野「それが俺の悩みの種なんだ。それこそ 年がら年中、ハラハラドキドキ
で上がりっぱなし。生きた心地しないよ。でも、秘密 捜査官って格好い
いじゃん」
神保「それじゃあ、すぐに正体がばれちゃうんじゃありません?」
河野「うん、だから最初から危険な任務の時は、ドモリの松とかドモリの寅と
いう名前で潜入するんだ」
神保「何ですか、そのセンスのない名前は」
河野「しかたないよ、直属の上司の署長の趣 味だから。あの人はフーテン
の寅さんの大 ファンなんだ」
神保「だったら今回もそうすれば良かったじ ゃないですか」
河野「へ、すいません。今回は大丈夫だと舐めてかかってたもんだから」
神保「とんでもないですよ。ここの人間を舐 めたら痛い目にあいます。本当
に用心して くださいよ」
河野「分かった。ところで、ここまで来ると、 神保さんの言うことを信じるしか
ない。し かし、由紀さんが生贄だというのが意外だ。まるで、仲間の
ように振舞っていたが」
神保「昔、何かの本で読んだことがあります。生贄になる処女に麻薬かなん
かを飲ませ、歌と踊りと強烈な打楽器のリズムで恍惚境へと誘い、死の
恐怖を神に選ばれた陶酔感に変えてしまうということです」
河野が膝をたたく。
河野「あれだ、ドンツクドンドンツクツクって響いていた太鼓の音。そして念仏。
どれ も今の神保さんの言ったことと、ぴったり 一致する」
神保「それに、あの潤んだ瞳。麻薬かなにか 飲まされているのかもしれませ
ん。きっと そうだ。間違いありません。由紀さんを何とかしないと。こ
のままでは生贄にされてで殺されてしまう」
河野「分かってる。今夜にでも、忍んで行って、会って話してみよう。それで駄
目なら、祭りに乗り込むしかない」
神保「株主総会へは?」
河野「俺達は行ったふりをする」
神保「でも行かないと、万が一、生贄のことが勘違いだったら、5万円がぱー
ですよ」
河野「俺だってそこまで考えてる。負にダチいる。そいつに1万で株主総会へ
出てもらう。残り4万円が俺達の取り分だ」
神保「兄い、頭いい。で、委任状はどうします」
河野「ダチに連絡とっておくから、神保さん、悪いが今日中に届けておいてく
れ。ダチの携帯を教えておくよ。待ち合わせ場所は駅、 時間は午後4時
半ってことで連絡しておく」
そこに一人の美女が顔をだす。河野、驚いて立ち上がる。あまりの美しさ
にでれーっと鼻の下を伸ばす。神保、振り返り、ちょこっと手を上げえる。
河野「神保さん、もしかして、知り合い?」
神保「知り合いって程でもないけど・・」
河野、ほっと胸を撫で下ろす。紹介してもらおうと、期待に胸を膨らます。
神保「俺の、女房だよ」
河野、愕然として神保、女房を交互に見る。
女房「あんた、行ったきり戻って来ないから どうしたのか、心配になって」
神保、立ち上がり、女房と手を絡ませる。
河野「あんた・・・だって。この神保が?このちんちくりんの・・・」
神保「何か言った?」
河野「いや、いや、別に何も言ってない、けど・・、神保君は随分と美人の奥さ
んを捕まえたもんですね」
神保「何だか、捕獲したみたいな言い方だけど、まあ、気持ちは分かるから許
してあげましょう。紹介します、僕の女房の由香里 です」
由香里「どうも始めまして由香里です。主人を宜しくお願いします。ここに来て
、まだ 間もないものですから、知り合いもいませ んの。どうか、話し
相手になってやって下さい」
河野「僕も、昨日着任したばかりです。こち らこそ宜しく」
神保「兄貴分になってくれるんだって。本当 に頼りになる人なんだ。ねえ、兄
貴」
河野「えー、うーん、まあ、そういうことに しとこう。うん、兄貴分の河野です」
上の県道からトラックのエンジン音が響く。
河野「しかし、よくトラックが通るね。ひっきりなしだ」
由香里「ええ、この山の頂上に牛神家の別邸を建てているんだそうです。奥
様へのプレゼントですって。うらやましいわ」
神保「俺もそのうちイチゴのビニールハウスでも建てて、お前にプレゼントする
よ」
由香里「いやーん、そっちの方が、私、嬉しい。きっとよ」
河野は、抱き合う二人をじっと見るが、すぐ視線をそらし、あらぬ方を向く。
しかし、視線はちらりちらりと舞い戻る。深くため息をつき、いじける。
○牛神家の庭。二日目 午後9時。
二人の男が、木の陰に隠れ、こそこそと話している。部屋から明かりが洩
れ、読書をする由紀の影が映し出されている。
村人A「本当に、気に入れば部屋にあげてれるのか?」
村人B「ああ、間違いない。山本は駄目だったけど、奥田は部屋に招き入れら
れ、やらしてもらったという話だ」
村人B「だったら奥田の女ってことか?」
村人A「いや、由紀さんは一度やった男に興味はないそうだ。由紀さんは、奥
田にこ言った。自信のある殿方の夜這いは大歓って」
二人揃って、ごくりと生唾を飲み込む。
村人B「でも、牛神の爺さんに見つかったら、この村では生きてはいけねえだ」
村人A「それが、大丈夫なんだってさ。爺つあんは、午後8時にはおねむなん
だとくっくっくっく」
二人して、ひとしきり笑う。
村人A「よし、勇気を振り絞って、まず、俺から挑戦してみっか」
村人B「おいおい、ちょっと待て、人声がする。誰か来る」
二人は木の陰に隠れ、新たな侵入者を窺う。
村人A「これは驚いた。新任の駐在だ。おっと神保も一緒だ。奴ら、いつの間
に村の忌まわしき風習に気付きやがったんだ」
村人B「くっくっく、忌まわしき風習じゃねえだろう。近隣じゃあ、そんな噂になっ
ているらしいが、俺達にとっては、村の楽しき風習だ。しかし、奴ら、耳
が早いなー。いったい、夜這いの風習を誰がばらしたんだ」
村人A「加治爺さんじゃねえか。昔は殆どの家のカカアとやったなんて豪語し
ていたが、最近は相手にされねえらしい。だから過去の栄光にしがみ
付いて、昔の自慢話を誰かれなく喋りまくってる」
村人B「今度の駐在は男前だから、奴が本気 だしたら、村の女、総なめだ。
かあちゃん 大丈夫かな」
村人A「そんな心配いらねえよ。駐在さんだって選ぶ権利はある。おまえのカ
カアを相手にするのは加治ぐれえだろ」
村人B「おい、それどういう意味だ」
村人A「おい、でっけえ声だすんじゃねえ。しー」
河野と神保の二人が、木戸を開けて庭に入ってくる。
神保「いくらなんでも、俺が説得するなんて無茶ですよ。こう見えても、元ヤク
ザですよ。いくら上がり性だからって、兄貴は警察官なんだから、やる
べきことはちゃんとやんなきゃ」
河野「それはそうなんだけど・・。平静な時は、言葉がとめどなく出てくるけど、
動揺しちゃうと、頭に血が登って、どもるわ、声は震えるわで、どうしよう
もない。今、胸がどぎまぎして、とっても喋れる状態じゃないんだ、頼む
よ」
神保「それを言うなら、俺だって、どきどきしていますよ」
河野「だって、あんな美人の奥さんを物にしてしまうんだから、神保さんにはど
こか女の心をくすぐるところがあるんだ」
神保「そ、そうかな・・・」
河野「そうに決まってるじゃないか、でなければ、どうしてあんな綺麗な人と結
婚できたんだ」
神保「そおっすか?」
河野「そのつぶらな瞳に、何か秘密がありそうな・・・」
神保「やっぱ?・・・えへ、えへ、じゃあ、やってみましょうか」
河野、神保を拝む。神保、家に近づき戸を、コンコンと叩く。
由紀「はい、どなた」
由紀、戸を開け、部屋の明かりに照らされ佇む神保を見る。浴衣の前がは
だけ、谷間が覗く。由紀は、首を横に振り、人差し指を立てて、これも横
に振る。
由紀「確か、神保さんね。残念でした。私の 趣味じゃありません。お引取り
下さい」
神保「いや、ちょっとお話がありまして」
由紀「私、お話には興味ございませんの」
神保「でも」
由紀「お帰りになって下さい。そう、そう、牛神を起そうかしら」
神保「とんでもねえずら」
這いつくばって、伏し拝む。
神保「お許し下さいまし、お許し下さいまし、奥様、ほんの出来心でごぜえま
すだ」
由紀「あんたじゃ、しょうがないわ」
由紀、未練がましく外を覗く。
由紀「連れはいないの?」
神保「駐在を連れてまいりましただ」
河野、うろたえる。
河野「げっ」
由紀「えっ、駐在さん」
一瞬、逃げようといたが、河野は「職務、職務」と繰り返し、大きく息を吸い
、その場に佇む。由紀は、髪を撫でつけ、襟を正し、外に声を掛ける。
由紀「駐在さん、どうぞお入り下さい」
河野「しょ、職務遂行のために、ま、ま、参 りました。あ、あ、あくまでも職務
です」
由紀「堅苦しいことは言いっこなし。さあ、お上がりになって」
軒下に這いつくばる神保に小声で指示す る。
由紀「誰も来ないよう、見張っておいで」
神保「奥様、受け賜りましたでごぜえますだ」
○由紀の部屋 二日目 午後9時15分
中央に大きなソファーがおいてある。
由紀「ソファーにお掛けになって。今、ブランデーを用意致しますわ」
後姿を上から下まで嘗め回すように見る河野。パンティの線が入っていな
いことを確認し、ゴクっと生唾を飲み込む。由紀はブランデーグラスを河
野に渡しながら、隣に座る。そしてじっと見詰める。
由紀「二人の夜に乾杯」
河野「二人の夜?」
ぎょっとして、ブランデーを一気に空ける。
ブランデーグラスを持つ手が震えている。由紀が震える手を、微笑みなが
ら押さえるが、由紀にもその震えが伝わる。添えた手を離すと由紀の震え
も止まる。
由紀「少し緊張をほぐした方がいいみたい。ちょっとお待ちになって、これでは
先に進まないわ」
由紀は、先ほどの3倍くらい大きなブランデーグラスにブランデーを満たし
、河野に渡す。
河野「ふ、ふ、二人の夜って、い、い、言いましても、私はあくまでも、しょ、しょ
、 職務で」
由紀は河野にしなだれ掛かり、ブランデ ーを無理矢理飲ませる。またし
ても一気 に空ける河野。ふらふらになる。
河野「酔っ払って、緊張が解けたのはいいけど、昨日の今日だから、眩暈が
する」
酔いもまわり、河野は少し緊張が解けた由紀が抱きつく。有頂天で応じる
河野。しかし、職務を思い出す。ふらふらになりながら、しがみ付く由紀に
話しかける。
河野「そうだ、その前に話さなければ」
由紀「終わってから、話せば」
河野「いや、始める前に話そう。実は」
強烈なキス。ふがふがして話せない。もがく河野。ようやく、体を離す。
河野「由紀さん、どうか、隠さないで正直に してほしい。この村の忌まわしき
風習に ついてだ」
由紀「忌まわしき風習ね。ふふふ」
由紀、河野の耳をかじる。
河野「いってってって?」
由紀「忌まわしき風習って言うけど、でも、貴方だって、こうして噂を聞きつけ
て、ここにやって来たわけでしょう。私はここの忌まわしき風習が大好き」
河野は愕然とする。秘密の任務なはずなのに由紀は既に知っている。河
野は心の中で叫ぶ。
「噂を聞きつけ、俺がここにやってきた、だと。ど、如何して、署長がハイカ
ー失踪の噂を聞きつけ、俺を派遣したことを知っているのだ?」
じっと押し黙る河野に、由紀は河野の胸を愛撫する。
由紀「ねえ、もういいじゃない。貴方の言う忌まわしき風習も、今の私には、恍
惚を運んできてくれる楽しき風習」
またしても、河野の独白。
「恍惚を運ぶ、だと。由紀さんは完璧に奴らに洗脳されている。神保の言う
とおりだ。このままでは、由紀さんは、生贄にされてしまう」
河野「ところで、どうして、僕が噂を聞きつけ、ここに来たこと知っているの?
警察関係に知り合いがいたりして」
由紀「あら、良く知っているわね。牛神の甥っ子が県警の幹部よ」
河野「げっ、情報は事前に洩れていたってことか。これはエライこっちゃ」
由紀「あんた、さっきから何訳の分からないことブツブツ言っているの」
河野「由紀さん。どうやら、由紀さんはすっかり奴らに洗脳されているようだ。
どうか目を覚まして欲しい。実は、今日、村人達が由紀さんの噂をする
のを聞いた」
由紀「どんな噂?」
河野「由紀さんが、つまり、その、生贄になるのは可哀想だと言っていた。古
い因習に囚われた村人さえそう思うんだ。僕もそう思う。どうか、目を覚
ましてくれ」
この言葉を聞いて、由紀が怒りを露わにする。
由紀「何オー、因習に囚われた村人さえ、ですって。さんざん私の体を楽しん
でおいて、村の奴らはそんなこと言っているの、許せん」
由紀の剣幕にたじろぐ。
由紀「私は牛神を愛しているわ。村人達を受け入れたのは、あくまでも、性欲
の処理よ。私は進んで牛神と結婚したの。愛していたからよ」
河野「ちょっと待って、酔っ払いすぎて君の言うことがよく理解出来ない。何を
言っているのか頭の中を整理するから、ちょっと 待ってよ」
由紀「明美叔母さんの犠牲になったと言いたいのだろうけど、私は誰の犠牲
にもなっていない。自分から進んで自分の道を選んだ。それが何が生贄
だ。そんな古めかしい言葉、使いやがって」
河野は由紀の「自分から進んで自分の道を選んだ」という言葉に打ちのめ
された。彼女を説得することなど、不可能かもしれない。それでも必死に食
い下がる。
河野「どうか、冷静になってくれ、目を覚ましてくれ。おれの拙い言葉は如何と
もしがたいが、俺の誠意だけは汲み取って欲しい。頼む、もう一言だけ
、もう一言だけ言わせ てくれ」
由紀「何が、目をさましてくれ、だ。ちょとキスしたくらいで恋人面しやがって。
お前だって、忌まわしい風習を聞きつけて、鼻の下伸ばして、のこのこ
やって来たくせに。目を覚ませだと。馬鹿もいい加減にしろ。出てゆけ
ー、出てうせろー」
河野、由紀のあまりの大声に、ほうほうの体で逃げ出す。
河野「えらいこっちゃ。爺さんに見つかったらら、この首がすっ飛んじゃう。神
保、逃げるぞ」
河野が、庭に下りると、神保は既に逃げ出した後だった。
村人A「おい、どうする。奥方はご機嫌斜めらしい。しかし、凄い声だった。今
日のところは退散したほうが、よさそだ」
村人B「明日にすっか?」
村人A「そうすっぺ、そうすっぺ」
○駐在所。三日目 午前9時。
机にうつぶして、河野は吐き気を堪えている。河野は便所に駆け込み、げ
ーげーとやる。戻ってきて再び机にうつぶせる。そこに電話が入る。
河野「もしもし、双神村駐在所の河野です。ふわー。はい。」
河野、急にしゃきっとして答える。
河野「はい、はい、ええ、まだ捜査途中です。お話し出来る段階ではありませ
ん。でも、ちょっとだけ、お話しいたしますと、村には古い風習が残って
おりまして、人間を生贄にするという噂があります」
河野、さらに背筋を伸ばして受話器を握る。その額には玉の汗。「はい、
はい」と答えるのみ。
河野「おっしゃる通りです。くだらない噂に過ぎません。はっ、はっ、ええ、もう
少しまともに捜査をいたします。はい、はい、何ですって?」
河野、思わず受話器を落としそうになる。
河野「それって本当のことですか?」
河野、受話器を耳から離す。署長の怒鳴り声が止むのを待つ。
河野「おっしゃる通りです。署長が冗談は嫌いなのは、よーく存じております。
しかし、何度か、私のジョークに笑った場面があましたが」
河野、再び、受話器を耳から離す。
河野「はい、分かりました。昨夜、午前零時頃、麓の村の宿に泊まっていたハ
イカーを村人らしき二人ずれが襲い、連れ去ったというのですね。その
三人の似顔絵を送ったと。今日、早速、村を捜索します」
河野、思い切り受話器を置く。
河野「馬鹿野郎、クローゼットのドアと入り口のドアを間違えるギャグでは、お
腹を抱えてさんざん笑ってたじゃないか、何が冗談はきらいだ、だ。さ
て、しょうがねえ、ファックスが届いたら出かけるか」
そこにファックスが届く。とりあげてしげしげと見入る。
河野「村人らしき人がこの二人ってわけだ。全然見覚えないけど、とりあえず
村を回ってみるか」
○一軒のこ洒落た家の前。三日目 午前11時
地図を片手に河野が佇む。首を傾げぶつぶつとなにやら呟いている。
河野「へー、これが神保の家?小さいがなかなか洒落た作りだな。奴の趣味
とも思えんが。それはそうと、寝てたらたたき起こさないと。今日の手
はずを打ち合わせなきゃいかん」
声を掛けて、ドアを開ける。部屋の中から鼾が聞こえる。河野は、何度か
声を掛けるが、起きてこないので靴を脱ぎ家の中に入って行く。神保はガ
ウン姿でソファーで高鼾だ。
河野「おい、神保、起きろ。河野だ」
神保「ムニャムニャ、由香里、またかよ。俺 は疲れた眠らせてくれ」
その場で、河野、地団太踏む。
河野「何で、こんな奴が、あんな美人と、く ー、やー、しー」
その他諸々悔しがる。しばらくして、その様子を見詰める神保。神保の視
線に気付き、踊る真似。
神保「今さら遅いって」
河野「気付いてた?意地悪」
河野、大きくため息をつき、どっかりとソファーに座る。
河野「これが現実だ。世の中は、理不尽の塊だ。まあ、いいか、許そう」
神保「いいに決まってるでしょう。まして、誰の許しもいりません。放っておい
てください。他人のことなんだから」
河野「そういえば、奥さんはどうした?姿が見えないが」
神保「牛神さんちの別邸建築現場で、いいアルバイトを見つけて、ずっと通っ
てるんです。今、無収入ですから」
河野「建築現場だったら、お前も働きに行け ばいいじゃないか」
神保「そう言ったんですが、貴方は家で家事 を頼むと言われて、へっへっへ
って、でれ、でれ、でれ」
河野「なんだ、その笑いは。ふーん、いい奥 さんだな。うらましー」
神保「地団太踏まないんですか」
河野「もう、いいよ、諦めた。ところで、なかなか良い家じゃないか。新築だし。
失業者の割りに贅沢じゃないか」
神保「どういうわけか、うちの女房、小金を 持ってまして」
河野「へー、何から何まで、人の羨望を掻き 毟る女房殿だな。それはそうと
、今日の手はずだが、俺の車で1時半には村を出る。ちょっと行った所
で車を隠し、歩いて村に戻る」
神保「祭りは村の鎮守の森です。あそこなら 隠れる場所はいくらでもありま
す」
河野「問題は、奴らが猟銃を持っていることだ。それを用意している可能性が
ある」
神保「こっちには拳銃が二丁」
河野「そこなんだ、問題は・・・。おい、待て、待て。俺は拳銃一丁しか持って
ないぞ。ってことは、お前、まさか」
神保「こんなこともあるかと思って」
河野「こんなこと、普通はないって。しょうがねえな、元ヤクザだから、拳銃の
一丁くらい持っててもおかしくないか。しかし、これ が終わったら、そ
れは俺が押収する。いいな」
神保「えっ、あれ、三下のころ、ドカタやって、やっと買ったんですよ、兄貴ー、
見逃してくださいよ」
河野「駄目、駄目ったら絶対に駄目。それより相手は猟銃だ。猟銃免許を調
べたら、5人も持っていやがった」
神保「猟銃が5丁。あっちは筒が長い分、射程も長い。こっちは5メートルも離
れれば、ちっとも当たらない短銃。弱った。由紀子を残して死ねない」
河野「お袋を残して死ねない。なんてしか言えない自分が悲しいー、えーん」
神保「泣かない、泣かない。しかたないじゃないですか。持てる男、持てない
男、何処にでも転がっている格差の構造ですよ」
河野「言いやがったな、図星を。悔しいが言い返せない。それより、どうする。
どう考えても勝ち目はない」
神保「兄貴、警察に応援を頼むこと出来ないんですか?ヤクザやってて、いつ
も思ってました。警察権力がバックにいたら、俺でも裏の世界で天下取
れるって」
河野「意外と、そんな奴がいたりして。それ はそうと、警察に応援頼むとして
も、生贄なんて誰も信じてくれないよ。そうだろう、二千年前のカルタゴ
じゃあるまし」
河野、鼻を蠢かせる。神保には通じないと踏んだ。
河野「カルタゴって言っても知らんだろう?二千年前の地中海世界の先進国
家だったけど、人間を生贄にしていたんだ」
神保「カルタゴのバール神ですか、なるほど、まさに、バール神は牛神ですか
らね」
河野「バール神て?」
神保「生贄を要求するカルタゴの神の名前ですよ。牛を象徴にする神です。知
ってて言ったんじゃないのですか?」
河野「全然。神保さん、あんた本当に元ヤクザ?」
神保「それより、どうなんです?警察の応援は?」
河野「生贄以外なら信じるかもしれない。頭の良いところで、何かいい知恵な
いかな?」
神保「こういうのはどうです。女房の受け売りなんですが、国際的テロ組織が
日本を標的にしていて、この村に秘密のアジトを建設しているっていう
のは」
河野「そっちこそ、荒唐無稽だよ。だってこの平和ボケした日本にそんなこと
起こるわけないじゃない」
神保「それが甘い、って女房がうんですよ。アメリカもイギリスもテロに対する
備えは厳しい。だから第二の9.11テロが起せない。アメリカ追随の先
進国で唯一それが可能なのは平和ボケした日本だと」
河野「うーん・・・新聞読まないからよく分かんないな」
神保「それじゃあ、止めますか?兄貴が自分で考えれます?」
河野「よーし採用」
神保「有難うございます」
河野「しかし、どう言えばいいのかな」
神保「村はずれの一軒屋に複数の人相の悪い外国人が隠れ住んでいるとい
う噂があり、今日、踏み込むつもりですが、万が一を考えて応援をお願
いしたい、っていうのはどうですか」
河野「いいねえ、いいねえ、それ。後ろから 援護を頼みたいといえば、それ
なりに俺の格好もつく。よし、電話しょう」
神保「落ち着いて、話して下さいよ。突発性上がり性の方は大丈夫ですか?」
河野「大丈夫、大丈夫。どういうわけか、嘘と冗談はぺらぺら出てくるんだ」
河野、署に電話を入れる。
河野「どうも、署長、例の手配写真の男達ですが、村人の中にはいませんで
した。それより、お願いしたいことがありまして」
河野、受話器を耳から離す。署長の怒鳴り声が止むのを待つ。
河野「お願いの前に、ハイカーの捜索、で・ す・か。はい、申し訳ございませ
ん。一応・・・仰る通り、一応って言葉は、おざなりにやるみたいな響きがあ
ります・・・ はい、はい、すいません」
後ろから神保が背中を突っつく。河野その手を払いのけようとするが、神
保、執拗。
河野「止めろって」
神保を怒鳴ったつもりが、受話器を通してその怒気は署長にも伝わった。署
長の声が強張る。
河野「あわわわ、いや、決してそいうわけじ ゃなくて・・・」
河野、受話器を耳から離し、手で押さえる。泣き顔を神保に向ける。
神保「それより耳寄りな情報があります、と言えば署長の怒りもおさまります
よ」
河野、すぐその言葉に従う。
河野「それより、署長、耳寄りな情報があります」
受話器を手で押さえる。
河野「で?」
神保「さっき話したでしょう」
河野「そうそう、実を言いますと、山の中の一軒家に謎の外国人複数が目撃
されておりまして・・・・、・・何ですって・・はい、はい・・・えっー、はい、
はい・・・えー、そんな・・・はい、はい・・・では、2時半に鎮守の森の入
り口で」
河野うな垂れて受話器をおく。
神保「どうしました、随分、落ち込んでいるみたいですけど」
河野「どうしよう。謎の外国人と言った途端、興奮しまくって、50人も武装警官
を送り込むだって、どうなっているんだ。と言うより、どうしよう」
神保「賽は投げられちゃったんだから、もう、しょうがないですよ」
河野「そんな無責任な。何もなかったら、どうしたらいいの?まいったな、これ
は」
神保「もう考えるのは止めましょうよ。それ より、そろそろ昼時だから、焼きソ
バでも作りましょうか」
河野「焼きソバ、いいねえ。肉はあるの?肉抜きの野菜ばっかりの焼きソバ
はいただけないよ」
神保「肉って言うかベーコンならあったと思いますが」
河野「ベーコンね、ベーコンの塩の効いた焼きソバも嫌いじゃない」
にこにこと屈託なく笑う河野を見て、神保が呟く。
神保「どんな時でも、どんな物でも美味しく頂ける人は幸せな人。死んだ祖母
ちゃんの言った通りだ」
河野「何か言った?それより、早く支度したら、るんるるるん」
○駐在所の手前。 三日目 午後13時
三人の女が佇む。女達の顔は左半分が不気味な顔、右半分は微笑を湛
えた顔。駐在所に向かう二人に女三人は左半分の不気味な顔を向けてい
る。その前を通り、二人はおどおどしながら駐在所に入る。駐在所から、通
りに佇む女達を上目遣いに見ている。観客に右半分の微笑を湛えた顔を
むけて、女達は話しだす。
女A「見たー?俯いちゃって可愛い。あんな純情そうなのに、駐在さんったら、
由紀さんに夜這いをかけたんですって」
女B「それ、本当なの?誰に聞いたの?」
女A「父ちゃんが、夜中、由紀さんに怒鳴られて、牛神の家から逃げ出す駐在
さんを目撃したんよ」
女C「もしかしたら、あんたの父ちゃんも由紀さんに夜這い掛けるつもりだった
んじゃない」
女A「あの宿六が、まさか。そのくらいの気概があれば言うことないよ」
女B「ってことは、駐在さん、由紀さんに振られたっつうわけだ。つまり、チャン
ス到来だべ」
女A「今夜は祭りだし、何とかうまく誘えればいいんだけんど。なんか、女の芯
が疼いちゃう」
女B「やだよ、スケベ」
女C「さあ、誰が選ばれるか。恨みっこなしよ。私の流し目で、駐在さんを、と
ろかしてやる」
女A「駐在さーん。顔は普通だけど、情熱では誰にもまけませーん」
女C「村で一番の美人でーす。見て見て」
女達は河野に誘惑の視線を送る。しかし女達の左側の顔は不気味に笑っ
ているようにしか見えない。
○駐在所の中 三日目 午後13時5分
女達に気付かぬ振りをする二人。
河野「気が付かない振りをするのも難儀な話だ。あっちはこれ見よがしに俺達
を見ている」
神保「やはり、麓の町に行くかどうか見張っているんでしょうね」
河野「その通りだ。しかし不気味な視線だ。思わず気持ちが萎縮してしまう。
それが奴等の役割なんだろう」
神保「ええ、牛神の差し金でしょう。でも、萎縮してなんかいられませんよ。由
紀さんを救うという使命があるのですから」
河野「そうだ、毅然としよう、毅然と。おい おい、見ろよ、手を振っているぞ。
どういう意味なんだあ?」
神保「バイバイって手を振って、早く行けっ てことでしょうか?」
河野「今度はケツを振っていいる」
神保「さっさと行け、馬鹿野郎・・・ですか ね」
河野「今度はコマネチだ。分かんねえな。コマネチ、コマネチ、やっぱ分からね
え」
神保「確か麓の町に行く一本道の手前はY字路になっていた。やはり早く行け
という合図なのかもしれません。どうします、30分も早いですが」
河野「しかたない、もう行こう。気付かぬ振りをしているのも、不自然だ」
二人は立ち上がり、駐在所から出る。否応無く女達と真正面で顔を合わせ
る。左右が異なる顔に接し、二人、首を傾げる。お互いに挨拶を交わす。
河野「今朝ほどはお邪魔しました。その時にお話した不審な二人、或いは三
人連れには十分注意して下さいね」
女A「大丈夫ですよ。この村には熊撃ちが何人もいっから。悪さなんてしようも
のなら、穴だらけにされちゃうだよ」
河野「随分ぶっそうな村ですね。盗人も命がけですね、この村じゃ」
女A「勿論、冗談ですよ。それよりお出かけですか」
河野「ええ、麓の町まで」
女A「えっ、じゃあ、お祭りには?」
河野「さあ、間に合うかどうか。祭りは何時頃までやってるんです」
女A「夜が更けるまで。ふふ、駐在さんも鉄 砲ぶるさげて、駆けつけてくださ
いね」
河野「て、て、鉄砲ぶるさげてって、な、な、何で知ってるの?俺達の計画を」
神保、河野に耳打ちする。
神保「兄貴、兄貴、鉄砲ってのは、チンポコのことですよ。俺達の計画を知っ
てて言ってるわけんじゃありませんよ」
河野「あー吃驚した、そういう訳か。でも、なんで、祭りにチンポコをぶる下げ
て来いなんて言うんだ?いつでもぶる下げているのに」
神保「昔、親父から聞いたことがあります。この村は堕落しきっていると。実に
卑猥な村だとも言っていましたから」
河野「そういうことか、びっくりした。でも 三人とも、俺に気があるみたいな素
振りだけど」
神保「勘違いですよ、勘違い」
女B「まさかお泊りじゃないんでしょう?」
河野「勿論、帰ってきますよ。鉄砲ぶるさげてね」
三人「いやー、駐在さんも、なかなか言うじゃねえか。調子に乗ってきたな、今
夜が楽しみだ」
河野「僕のは鉄砲というより、どっちかと言うと機関銃かな。だっだっだっだっ
だ、なんちゃって」
三人「きゃー、やだよ。はずかしー」
河野「しかも、黒光りしている」
三人「ぎゃー、すけべー、うれしー」
河野「けっこうこの手のスケベ話は得意なんですよ。口だけですけど」
女B「口だけじゃなくて、本番のほうがもっといいべ」
女達がねっとりと視線を河野に送る。河野、ごくっと生唾を飲む。
神保「今、生唾のんだでしょう、音、聞こえましたよ。本性をさらけ出すまえに
、さっさと出発しましょう」
河野「ほ、ほ、本性って、こ、こ、これのこと?」
川野、もっこりと膨らんだ部分を指す。
神保「そう」
神保、河野の背中を押して、駐車場へ向かう。後ろ髪引かれているようで
、何度も振り返る河野。
女C「何時頃お戻りですか?」
神保「さあ、6時か7時頃には戻れると思いますが」
女A「あら、良かった。それじゃあ、お待ち しております」
駐車場へ向かう二人。
河野「どうも、不思議だ。外で見たら、駐在所の中から見ていた時と、顔の印
象が全然違う。そう思わなかった?」
神保「そうですね、どこか、不気味でいて、何故か、魅了されるような、不思議
な感じですね」
河野「お前もそう思ったのか。いったいこれはどうした訳だろう?見る場所に
よって顔の印象が違う。いや、見る方向によって顔が変わる」
この謎に挑む河野。神保も一緒に考えが、顔が変わってしまった事実に
答えを見い出せない。一瞬、河野の顔がほころぶ。
神保「何か、思い当たりましたか?」
河野「うん、分かった。あいつら、お祭りなんでめかしこんだのはいいけど、普
段化粧なんてしてないものだから、左右対称に描けなかったんだ。田舎
の女は化粧が下手くそ。がはっはっはっは」
神保、何度も首を傾げながら歩いてゆく。
○鎮守の森 三日目 午後2時45分
小さな祠を前に、村人達が集い、その最前列には牛神がひと際大きな声
で意味不明な祝詞をあげ、そして村人達はデンデン太鼓を叩き、念仏を唱
える。
牛神の前には神憑りしたように由紀が踊り狂う。異様な興奮があたりを包
んでいる。河野と神保は岩陰に隠れ、じっとその様子を窺っていた。
河野「あの広場に置いてある、大きな台は何だと思う?」
神保「あのビニールを被せてあるやつですね。やはりあれは、生贄を載せる台
じゃないですか」
二人、ブルブルっと震える。
河野「おい、神保、何としても阻止するぞ、分かっているな」
神保「分かってます。震えていますが、これは武者震いってやつです」
河野「俺のも、そうかしら?」
神保「当たり前じゃないですか。兄いは秘密捜査官なんですから」
河野「分かった。それはそうと、さっきから 見ているが、どうやら、村人達は
鉄砲は持っていないようだ。でも参ったな」
神保「何故です?」
河野「だって、50人もの武装警官が応援に来るんだぜ。相手が武器も持たな
い農民だと分かったら、何言われるか」
神保「でも、署長と話している会話を聞いてましたが、応援を頼むなんて、兄
貴は一言も言ってませんでしたよ」
河野「そうだよなー、そうだ、そうだ。そん なこと、俺、一言も言ってない、思
い出した。署長が何か言ったら、証人になってくれよ、頼むぜ、おい」
神保「それより、もう2時50分ですよ。いくらなんでも遅すぎますよ。いよいよ、
生贄の儀に及んだらどうします?」
河野「いいか、神保、まず、俺が最初に空に向かって一発ぶっ放す。そして、
乗り込むんだ」
神保「合点だ」
デンデン太鼓の音が、念仏を唱える声が、ひと際強く大きく響く。そして急
に止む。牛神の祝詞の声が響く。
牛神「む・の・た・くー・さ・う・ほ・も・ ん・ねー・いー・らー」
村人全員で祠に向かって一礼する。その間にも由紀は踊り狂っている。
牛神「さあ、これから無礼講だ。朝まで楽しんでくれ。今年も豚のバーベキュ
ーだ。焼きそばもあるでよ」
村人、三々五々お喋りをしながら広場に向かう。そこに置いてある大きな
台からビニールを取り去る。そこにはキャンプ用のバーベキューセットが何
台も置かれ、肉や野菜も用意されている。
祠の前では、牛神が踊り狂う由紀をじっと見詰めている。牛神、ため息を
つき、由紀の腕を取る。
牛神「由紀、少し飲みすぎだぞ。せっかくの厳粛な雰囲気が台無しじゃねえか
」
由紀「何が厳粛な雰囲気だ、何が何百年の伝統だ。あの祝詞だって、来年も
豊作頼む、それを逆さから読んだだけじゃないか」
牛神「しかたねえだろう。牛神様は逆さ言葉しか通じねえんだから。それよっ
か機嫌をなおしてよ。たのむよ」
由紀「まったく純情な面しやがって、心では何を考えてる分かったもんじゃない
。村人が何て言っていたか、忘れたの?」
牛神「けっして悪気で言っていたわけじゃねえって。俺達の愛の形が理解でき
ないんだ。老人にしか愛を感じない由紀の心の闇を知ってるのは俺だけ
だ」
由紀「暗い過去の話は止めて。あれは愛する人にしか話せないの」
牛神「そうだろう、だからー、村人一人一人つかまえて、実はな、こういう訳な
んだって話せねーべ。だとしたら、じっと耐えるしかねえじゃねえか。い
いじゃねえか愛があるんだから」
由紀「そんじゃ、この間、銀座のワコーで見た腕輪買ってくれる」
牛神「分かった分かった。あんなもの、いくらでも買ってやるさ。愛する由紀の
ためなら金なんて惜しくわねえ」
由紀「本当、うれしー、ダーリン」
牛神「さあ、俺達もバーベキューに加わろう」
河野、神保の二人は、立ち尽くし、村人達の楽しそうな様子を見ている。
急に振り返り、河野が神保の頭を叩く。
河野「何が生贄だ。この21世紀にそんな馬鹿な話はないと最初から疑ってい
たんだ」
神保「だって、俺と親父は確かに血だらけの心臓を見てるいるんだ」
河野「どうせ豚の心臓か何かだったんじゃないの。お前の親父、あわて者じゃ
なかった?」
神保「ええ、少し」
河野「やっぱりな、あっはっは。そういえば、昼飯食ったの昼少し前だったか
、ちょと腹へってきた。俺達も仲間に加わるか」
神保「そうしますか」
河野、歩きながら神保に掌を突き出す。
神保「やっぱり、覚えてましたか」
河野「当たり前だ」
神保「それで、上司には、どう言うつもりです?」
河野「森で拾ったとでも言えばいいだろう」
神保「兄貴、有難うございます」
後ろから3人ずれの男達が近づく。
男A「村の駐在さんですか?」
河野「そうですが、貴方は?」
男A「宮城県警の内村です。こっちは同僚の佐野といいます。この男は連続
暴行魔です。昨夜潜伏先に踏み込んだですが、逃げられて、山の中を丸
一日追いかけっこですよ」
河野は、麓の村の宿に泊まっていたハイカーを村人らしき二人ずれが襲
い連れ去ったのが刑事だった
河野「駐在の河野です、ああ、ハイカーを二人連れの村人が掻っ攫ったという
連絡がありましたが、刑事さんだったのですか」
河野、何度も頷きながら握手を求める。
河野「それはご苦労さまでした。ちょど良かった。今日は村のお祭りで、バー
ベキューをやってます。まずは腹ごしらいしてください」
男A「それは有難い。食いもんより、まんず飲み物だ、がっはっはっはっは」
女三人がそれぞれビールの入った紙コップを持ってきて、みなに渡す。女
三人は河野に熱い視線を注ぐ。河野、どぎまぎしてビールをこぼす。手錠
につながれた男も手を出す。
男B「おいおい、俺達をさんざん手こずらせやがったくせに、俺達と乾杯しよう
ってわけか」
殺人犯「いやー、刑事さん達も、年寄りのくによく頑張ったと思って。最後の
方は悲惨な感じで、気の毒になっちゃいましたよ」
それを聞いた二人は怒りを顕にする。
男A「だから捕まってやったんだ、なんて抜かしてみろ。そんなこと言えば、ビ
ールを取り上げるぞ」
男は慌ててビールを抱え込む。河野、ビールを立て続けに飲み、既にほろ
酔い加減。ふと、河野は村人達の中に見知らぬ人が3人混じっているの
に気付く。
河野「あの三人は見かけない顔だけど、どこの人?」
女A「駐在さんも、気心が知れてきたことだし、これまで秘密にしてきたこと教
えてやっか」
河野「ええ、教えて下さいよ。二人の仲で秘密ななしってことで」
女A「やーだよ、二人の仲だなんて。それはこれからのこと。実はね、あの一
番年長の男は、借金取りから逃げてて、中年の女は、暴力夫から隠れて
て、あの若い男は、ちょっと頭が弱いの。自殺志願者よ」
河野「もしかして、三人それぞれ一年ごとにやってきた?」
女B「そう、牛神さんが、気の毒に思って、森の奥にある隠し田を貸してやって
、匿ってやっているだ。いつのまにか、夫婦になっちまった。勿論籍は入
れてねえけどな」
二人に気付き村長が声を掛けてきた。
村長「ちょうどいい時に帰ってきた。牛神さんの用事、意外と早く済んだだね。
牛神さんは6時を過ぎると仰ってたが」
ちらりと神保を見て、顔をしかめる。河 野がそれに気付く。
河野「でも、村長さん、なんで神保はみなに嫌われるんです」
村長、神保の顔を窺う。
河野「神保のことは気にすることはないよ。俺の舎弟になったから、むしろ原
因をはっきりさせてみなと仲直りさせたいんだ。神保、いいな」
神保「はい」
村長「実を言うと、神保君のお父さんが、ちょっと問題ありましてね、村人と悶
着を起したんですよ」
河野「ほほう、どんな悶着なんです?」
村長「女房に逃げられまして、ちょっとノイ ローゼぎみだったんです。それで
あることないこと言い出した」
河野「女房が生贄にされたとかなんとか」
村長「そうなんです。奴は警察にも訴えたりして、みんなが参ってしまったんで
す」
河野「神保が言うには、血だらけの心臓を見せられたって言ってましたが」
村長「ああ、あれですか。ちょっと待って下さい。おい、加治、加治よ、ちょっと
こっちさ来い」
加治は牛神と話していたが、二人は振り向くと、村長に近づいてくる。
牛神「ふたりともご苦労さん。謝礼は明日にでも取りに来なさい」
村長が、牛神と加治に耳打ちしている。牛神がうんうんと頷ずく。しかめ面
で牛神が話し出した。
牛神「あれはワシが実業界を引退してこの村に引きこもった頃のことだ。祭り
の日に一頭の豚を村人に進呈したんだ。肉なんてめったに食ったことも
ない連中だったから」
加治「そうだった、肉があんなに美味いもんだと、その時初めて知ったんだ。
んだ、んだ」
村長「だけど、誰も豚を殺したことなんかない。それで、この加治が日本刀も
ってきて、えいっと切りつけたのはいいけど、豚は怒り狂い村中大騒ぎに
なった」
加治「みんな逃げたよ。でっけえ豚だったから。でも、俺も責任感じて、なんと
か仕留めたんだ。豚も、必死だったし、俺も必死だった」
牛神「そんで、この加治があの悪戯を思いついたんだ。まったく大人のなりし
て、心は子供のままなんだから」
加治「違うだ、あれを入れ知恵したのは明美婆さんなんだ。生贄になった人
間の心臓だて言えば、神保が驚くって・・・つい、そそのかされて悪乗りし
ちまった。」
牛神が苦虫を噛み殺したみたいな顔で明美婆さんを睨むが、明美婆さん
は、ふん、とばかりに無視する。
牛神「明美ばあさんは、神保の親父に振られたから、その腹いせだったんだ
ろう」
神保「親父が見せられたのはやはり豚の心臓でしたか」
河野「なー、俺の言った通り豚の心臓だったろう。俺って、時々、天の啓示で
も受けてみたいに真実を言い当てることがあるんだ」
牛神「そんあことはどうでもいいけど、話を戻すと、その直後、神保は村を去っ
た。どんな悲惨な人生を送ったことか。どうなんだ、神保?」
神保「いえ、村を出てからは順調でした。会社を起こして、今、社長してて、杉
並に300坪もある豪邸に住んでます。もっとも、俺は18の時に勘当され
まして、以来行き来はありませんが」
村人達、唖然とする。加治はがっくりとうな垂れる。
加治「あの野郎が、社長、杉並、300坪だ。小学校の時は俺の方が成績良
かったっつうのに。人の人生は分かったもんじゃねえ」
牛神「そうか、奴は成功したか。やはり、にとって双神村は鬼門だったんだ。
おい、神保お前にとっても同じかもしれんぞ」
神保「さあ、どうなんでしょう。それは、今後のことです。それが分かるのは」
河野「それより、どうした、神保。小作人魂が出ないじゃないか。どうしたんだ
?」
神保「うーん、分かりませんが、小作人魂は体ではなく、心に染み付いていた
んでしょうね。恐怖の原因を取り去ったら、卑屈な気持ちも綺麗さっぱり
なくなってしまいました。ふー」
突如サイレンの音が鳴り響く。
河野「いけねえ、忘れてた。おい、おい、どうしよう。武装警官50人が来てた
んだ、どうしよう」
続いてパンパンと銃撃の音。みな驚いてあたりを見回す。「あっ花火が鳴
ってる」と誰かが叫ぶ。流れ弾が木に当たり、村人達はその音が銃声だと
気付く。突然銃撃の音が止む。気が付くと、みな地面に伏せており、ちょろ
ちょろ動き回っているのは河野だけである。
武装警官5名を従え、署長が登場する。河野、諦めて泣き顔になり、署長
を迎える。頭をかきながら。
河野「えっへっへっへ、今、花火が鳴ってま したが、あれ、署長があげてた
んですか」
署長「君にはあれが花火に聞こえたのか?」
河野「えっ、花火じゃない、げー、鉄砲の音だったんですか?」
署長「君は何年警官をやっているんだ」
河野「へ、すんません。でも署長、随分と遅かったじゃないですか」
署長「実は、先行していた覆面パトカーが怪しい外人の後をつけて、アジトを
発見したんだ。だからそこに直行した」
河野「なんだそうだったんですか。どうりで 来ないはずだ・・・えっ、何ですっ
て、アジトですって?なんですかそれ?」
署長「最初に君が怪しいと通報してきたんじゃないか。それより、君の言って
いた山の中の一軒家は何処なんだ。探しながら下り てきたんだが」
河野「あっ・・・と、えーとですね・・・な、な、何と言いますか・・・」
神保「さっき河野さんが一人で踏み込んだけど誰もいなかったって言ってたじ
ゃないですか」
河野「そ、そ、そうそう、それだ。うっかり忘れてた。でも、あそこはアジトじゃな
くてちょっと立ち寄っただけみたいです。生 活の足跡はありませんでし
た」
署長「そうか、それなら、捜査は打ち切りだ。おい、君塚君、全員に連絡だ」
隣に控えていた男が、無線で連絡する。
署長「ところで、河野君、ご苦労だった。またしても大手柄だな。署長賞ものだ
よ」
河野「つまり、怪しいと睨んだ、私の勘が当たったという訳ですね。して、奴ら
は何者だったんです」
署長「実は、警視庁の外事課から、国際犯罪組織のメンバーがこちらに向か
ったという連絡を受けていたんだ」
河野「国際犯罪組織?・・本当ですか、それ・・・」
署長「その主犯格が女でな、日本語ぺらぺらなんだが、国籍は不明。正体を
隠すために今までに2人の日本人男性と偽装結婚を繰り返した」
神保、女と聞いて、身を固くする。
河野「女が主犯格って、その女も逮捕したんですか?」
署長「ああ、この山の頂上に建築現場があるが、そこの地下室を奴等の隠れ
家にするつもりだったようだ」
神保、これを聞いて驚愕し、一歩署長に近づいて、話しかけようとするが、
牛神がそれを遮る
牛神「何だって、ワシの別宅には地下室なんて作っていない。ワシが聞いて
いたのは、地盤が悪いので、地盤改良するということだったが」
署長「まさか、その金まで出したのですか」
牛神「ええ、女房がやいのやいの言うものですから」
こそこそと由紀が逃げ出そうとしている。署長がじっと由紀の顔を見詰め
る。
署長「おい、あの女も逮捕しろ。主犯格の女の妹だ」
武装警官が逃れようとする由紀を追いかけて捕まえる。キーキー声を張り
上げ抵抗するが、男の力には敵わない。
署長「金持ちの老人を狙う結婚詐欺師です。どうやら、今度の狙いは牛神さん
だったようですね」
牛神、愕然として由紀を見る。よろよろと由紀に近づく。
牛神「由紀ー、由紀ー」
由紀は、牛神を見て、鼻で笑う。
由紀「長生きしろよ、お爺ちゃん」
牛神、呆然と、引かれてゆく由紀の後姿を見詰める。ふと、振り返り、明美
婆さんを睨む。
明美「違うんだ、俺は、インターネットで姪っ子を募集しただけだ。そんな女だ
ったなんて知らなかった」
署長「どうやら、そこの御婆さんにも事情を聞かなければならないようだ」
明美婆さんは、腕組みして宙をにらんでいたが、大きく息を吐いた。覚悟を
決めたようだ。
明美「しょうがねえか、牛神家の財産に目が眩んだ私が悪いんだ」
話しかけるきっかけを待っていた神保に署長が顔を向ける。
署長「ところで、神保さん、命拾いしましたね。奥さんの前の旦那、2人とも行
方不明です。殺された可能性もあります」
神保、呆然とその場に、佇む。河野、保に近づき、その肩に手を置く。
河野「おい、神保、堪えろ、男なら。でも、 もし、堪えられなければ泣いてもい
いぞ。思い切り」
牛神「おーい、おいおい、おーい、おいおい、由紀、由紀ー」
牛神の所憚らぬ泣き声に、神保、つられて声を上げて泣き出す。牛神、神
保、二人、互いに肩を抱き泣き崩れる。遠巻きに、村人達が二人を見詰め
る。やはり、神保にとって、双神村は父親同様、鬼門であったようである。
河野、二人の号泣する姿に、涙を誘われる。そっと涙を拭う。こうして、河
野の長いようで短い48時間が終わろうとしていた。
これで終了です。賞金30万円はゲット出来たのかって?残念ながら落選です。でも、そんなことは慣れたものです。こうなればやけくそで、金、金、金と賞金額が100万円のマンガ原作に挑みました。
次回は「技術系サラローマン忍者・志郎」をお届けします。
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