再インストール
生き甲斐
義父がその頭脳から加減乗除以外の数式を喪失したのは83歳のことです。つい8年 前まで建築設計事務所を経営し、建築物の構造計算や図面を描く仕事をしていました。そ
れが3ヶ月の入院生活でその技術的な素養の全てを失ったのです。
腎臓癌の摘出は成功裏に終わり、回復も順調でした。退院まで何の危惧を抱くことはあ りませんでしたし、以前のような安穏な生活が再び戻ってくることを当然のごとく思っていました。そして、義父は優しげな笑顔のまま退院してきたのです。
義父が自分の異常に気付いたのは退院一週間後のことです。居間の隅に置いてあるパソコンに久しぶりに向き合いました。スイッチを入れる所までは順調だったようです。義父は、後から聞いたのですが、見舞客に礼状を送ろうとしいたのです。
ひーという悲鳴を聞こえたような気がして、台所で洗い物をしていた私は居間へと急ぎました。泣きそうな顔の義父と目が合いました。するとこう叫んだのです。
「静香さん、俺、何も分からなくなっている。この筆ぐるめのソフトの使い方も、全てのアイコンの意味も何も分からない。どうなっているんだ」
どうなっているかなんて、当然私にも分かりません。
「お義父様、心配しないで。まだ退院したばかりですから、まだ頭が十分に働いていないのよ。そんなに無理しないで、明日か明後日、もう一度挑戦してみたらいかがですか?」
と、言うのがせいぜいでした。もし、明日も明後日も駄目だったらどうしよう、という不安が脳裏をかすめましたが、ほんの一瞬です。
「そうか、そうだな。もう少ししたら記憶が戻るかも知れない」
「そうよ、お義父様。今日はテレビでも見て、ゆっくり休みましょう」
義父は不承不承パソコン台から離れ、ソファーへ移ったのです。
その日の夜中、階下の物音に気付いて、夫を起こしました。すると夫はこう言いました。
「親父が起きてテレビでも見ているんじゃないのか、あの人は宵っ張りだから。お前、見てきてくれよ。俺は寝不足なんだ、頼むよ」
私はしかたなく階段を下りて行きました。居間に灯りがついています。ドアを開けると、 パソコンラックのまえに義父が張り付いていました。私が入ってきたことも気付かず、画
面を食い入るように見詰め、何やら作業に没頭しています。
「お義父様。何をやってらっしゃるの。もう夜中の2時ですよ」
振り返った義父がにやりと笑って答えました。
「ウインドウズの再インストールしているんですよ。うまくソフトが動かないのはウイン ドウズが壊れていたからだと分かったんです。もうちょっとで済みますから、静香さんは
寝てください。起こして悪かったですね」
「いいえ、それより何とかというソフトの使い方や内容は分かったんですか?」
「分かるとか分からないという以前にウインドウズがぼっこわれてしまっていては何にも ならないんですよ。まず、そこから入っていかないと」
私はその晩、階下が気になって熟睡できず、翌朝、目覚まし時計にたたき起こされまし た。朝食の用意の合間に義父の寝室を覗くと、ぐうぐう高いびきです。夫が降りてきたの
で、昨日のことを話すと夫がこう言いました。
「認知症じゃないか?最近は病状を遅らせる薬があるっていう話だ。医者に相談した方が いい。親父を病院に連れて行ってくれないか」
「それはかまいませんけれど、本人にはどう言えばいいのかしら?」
「その通り言えばいいよ。本人だって何も分からなくなっていることは分かっているのだし、認知症を遅らせる薬を処方してもらうと言えば喜ぶんじゃないか」
そして、夫からウインドウズの再インストールについて話を聞きました。インストール とはパソコンに機能を定着させる操作のこと、そしてウインドウズとはパソコンを動かす
基本のシステムのことだそうです。
そのウインドウズの基本システムによって様々な表計算とかワープロなどのソフトが作 動するようになるらしく、再インストールするのはその機能に障害が生じた場合、それを削除し再びパソコンに基本システムや表計算等のソフトを導入する作業だということなのだそうです。なんだか難しくて頭がくらくらしてしまいました。
やはり認知症でした。認知症という言葉を医師から聞いても、義父は無表情のままでし た。薬を貰ったその日から服用しましたが、その目に必死さが現れていました。自分でも 怖いのでしょう。脳機能が低下する。これほど怖いことはないのではないでしょうか。
義父は一日中再インストールに夢中になっていました。昼食もそこそこにパソコンに向かいます。ウインドウズを再インストールし、構造計算ソフトそしてCADソフトと続けざまに何枚ものCDをパソコンに挿入しインストールするのです。
夕方、またしても悲鳴が聞こえました。急いで掛けるつけると、義父が振り返って叫び ました。
「静香さん、パソコンが…、パソコンが壊れてしまったよ…」
その声は泣き声に近く、まるで、子供が母親に何かを訴えているかのような響きを伴っていました。
その日、義父の行きつけのパソコンショップに連れて行きました。車で待っていなさい と言うのでその言葉に従いました。というより、認知症ですから、義父が店で何を言い出
すか分からず、気恥ずかしさの方が先にあったのです。
しかし、待てど暮らせど戻っては来ません。車を降りて恐る恐る店のドアから中を覗き 込んだのです。 すると、困惑顔で店員が何かを言っています。その時、いきなり義父が怒鳴りました。
「何を言っているんだ。そんなこと言うなら、もうこの店から何も買わないからな」
物静かな義父からは想像できないほど剣呑な響きがそこなありました。私は急いで車に 戻って素知らぬ振りを決め込んだのです。
義父は憤然と店を出てきました。怒りがその顔に表れています。車の後部座席に座る と息を整え、怒りがようやく収めると、口を開きました。
「静香さん、16号沿いの菱山電気知ってますか?」
「ええ、うちの冷蔵庫、あそこで買いましたから」
「そうですか、それは良かった。では、そこにやってくれませんか」
はい、と返事してアクセルを踏み込みました。菱山電気、知っているどころの話ではあり ません。そこの店長は、私のお茶のみ友達の旦那です。厭な予感がしました。また変なこ
とを言い出されたらどうしよう、という不安がよぎったのです。
店に着くと、車で待っていなさいと言われましたが、一緒に付いてゆくことにしました。修理品受付にパソコン本体を持ち込んで義父が何やら話をしています。やはり困惑顔
で店員が応対していますので、不安になって近づいて話を聞きました。すると、こういうことらしいのです。ウインドウズのインストールCDが何枚かあって、
それを持ち込まないと再インストールは出来ないというのです。義父はウインドウズのCDなど何処にでもあるのだから、店のCDを使えと言い張っていました。
「お義父さん、とりあえずパソコンを預けて帰りましょう。ねえ、店員さん、そのCDを持ってくればいいんでしょう。私が後で届けますので、とりあえず預かってもらえません か?」
こうして一軒目のようなトラブルに合わずに済んだのです。 「これじゃないですよ、奥さん」などと言われながらも、二度目には店員の求めるCDを届けることが出来ました。ほっとして家に戻ると。今度は義父がテニスの支度をしています。テニスはとっくのとうに止めて、3年になろうとしているのです。私は慌てて声を掛けました。
「そんな格好をして何処に行こうとしているの?」
「久しぶりにテニスクラブに行こうと思って」
電気屋まで2往復して疲れ切っているというのに今度はテニスクラブですって。テニスク ラブは歩いて行ける距離ではありません。義父がまだ車の免許を持っていた頃通っていた
のです。まさか送っていけというのかしら?必死で説得に努めました。
「お義父さん、車の免許、お義父さんが警察に返上しましたでしょう。ですからテニスクラブになんて行けませんよ。それにもうお歳ですし、左足も麻痺してまいすからテニスなんて無理です」
「大丈夫ですよ。後ろで走り回るのは無理としても、前衛だったらそう動かずに済みますから。申し訳ないけど、静香さん、テニスクラブまで送ってくれませんか」
「駄目ですよ、お義父さん。お医者さんから3ヶ月は安静にと言われています。絶対に駄目です」
「でも、パソコンの修理ができあがるのは2週間後でしょう。それまで暇だし」
「お義父さんは3年前にテニスクラブは脱会しているんですよ。会費は納めていないし、今日、いきなり行ってもクラブの方は迷惑するに決まってます」
「そんなことないよ。ビジターで千円払えばやらしてもらえるもの」
「駄目です、絶対駄目。3ヶ月は安静なんですから」
義父は私の剣幕に恐れを成し、押し黙るしかありませんでした。
2週間後パソコンの修理が済んだという連絡を受け、店に取りに行って参りました。義父は満足そうにそれを受け取ると、ラックに納めパソコンを立ち上げました。そして、何やら操作を始めたのですが、その作業を見守るうち疑念が沸きました。店員に渡したインストールCDを取りだし、それをCDの挿入口に差し込んでいるのです。 その作業を店にお願いしてやって貰ったのですから、また同じ作業をする必要などないのです。
「お義父様、何しようとしていらっしゃるの?そのCDはもうインストールされているの よ。そのCDはもう使う必要はないの。どこかにしまっておきましょう」
私がCD挿入口からそれを取り出そうとするとその手を払いのけられました。驚いて義父 を見ると、不機嫌そうに顔をしかめています。
「再インストールはパソコンを活かすための大切な作業なんだ。あいつらはそれをいい加 減にしかやらない。だからもう一度最初からやり直す必要があるんです」
厳かにこう言い放ちました。その日も徹夜作業が続きました。翌日、また悲鳴が聞こ えました。パソコンが壊れたのです。
「冗談じゃない、30万円だって。親父が出すんだから文句は言わないけど、もったいな いよ。俺だって、使っているのは会社のお下がりだ。なんでまた、そんな高いの買ったん
だ?」
「もう、お義父様が契約してしまったのですから、しょうがありませんでしょう。お義父様が使えなくなったら、あなたが使えばいいんじゃありませんか」
今日も、義父は再インストールに夢中です。朝からパソコンにへばりついて作業に没頭しています。既にインストールされているウインドウズを削除して、再びインストールするのです。それが終われば、様々なソフトをインストールし、またそれを削除。そして…再び…。もう切りがありません。
私はなんとなく分かってきました。失われた知的能力。そこに唯一残されていた知識が 再インストールの記憶なのです。その作業に没頭しているときだけ、自分が有能だった頃
の誇りと満足が得られるのです。それを得るために再インストールに没頭するのだと。
やらしておけばいいと高を括りました。でも、それが甘い判断であったことはすぐに分 かりました。何度も何度もパソコンが壊れます。その度に泣いてすがるように電気屋に連
れて行けとせがむのです。しかたなく菱山電気に修理を依頼するために通わなければなりませんでした。そんなことの繰り返しです。その後分かったのですが、どうやら、義父の再インストールの手順や操作が間違っていて、パソコンが作動しなくなるのだそうです。
修理といっても店員がちょこっと操作するだけでパソコンは動きます。店員がその手順を教えてくれましたが、素人の私には難しすぎて覚えられません。兎に角一週間預かってくれるよう頼んだのです。その一週間が、私にとって安らぎの一時なのですから。
しかし、これが度重なるに従い、さすがに腹が立ってきました。顔をしかめる店員に向 かって、そこをひとつとなんとかと両手を合わせるのです。勿論、義父に気付かれぬよう
に。しまいには、慣れてきた店員がウインクすることもありました。 これは一つの拷問です。こんな話を聞いたことがありました。ロシアで実際に行われた
拷問だそうです。囚人に穴を掘らせ、翌日、それを埋め戻させるのです。その無意味さに 囚人は精神に異常をきたすといいます。義父に付き合う私はこの拷問の犠牲者のような気
になってきました。
「いい加減にしろ、この糞爺」精神的に参ってきた私は、そんなはしたない言葉を心の中で何度も叫び続けていました。無意味なことを繰り返すというのは正に拷問なのです。しかし、義父はその無意味な行為に意味を見いだしています。ですから、どう諭そうと無駄なのです。
3台目のパソコンを購入したとき、夫がいくつものゲームソフトを買い込んできました。 再インストールを止めさせるには、何か面白いソフトを与えて夢中にさせればいいと思いついたようです。夫は帰るなり袋からCDを取りだし言いました。
「お父さん、これ、お父さんの大好きな将棋のソフトなんだ。僕みたいな下手な相手とば かりやっていても面白くないでしょう?これは相手のレベルを選べる。それから、これは
麻雀ソフトなんだけれど、インターネットを通じて知らない人と出来るんだ。それと…」
息子の言葉を遮り、義父が言いました。
「俺はそんなゲームなんてやってる暇はないんだ。これを見てくれ。最近購入したジャバっていうプログラミングソフトだ。これを使って構造計算の新基準のプログラムを組むつもりだからな」
いつの間に買いこんだのか、最新言語のソフトのパッケージを誇らしげに息子の目の前に かざしました。私は呆然と佇む夫の横で、深いため息を吐いていました。
相変わらす再インストールは行われていましたが、手順を思い出したのか、何度再イン ストールしても壊れることはなくなりました。ほっと胸を撫で下ろしたものです。もう間 違いませんようにと心の中で手を合わせました。
それより、私を驚かせたのは、義父が猛勉強を始めたことです。義父は用意周到な方 ですから、いきなりソフトをインストールして動かすようなことはしません。まずは、下
調べから入るのです。
ジャバというプログラミングソフトに付いてきた説明書を隅から隅まで読んでいます。 そして要点を大学ノートに記入しているのです。大学ノートは、もう2冊目になっていて、 見ると難しそうな横文字がノートにびっしり書き込まれ、そこかしこ赤線が引かれていま す。しかし、それを記憶する装置は、義父の頭脳には残っていないのです。それでも努力は 続きました。毎晩、遅くまで勉強している様子です。そしてそのソフトをインストールし て実地に移すのを楽しみにしているのです。そのことが恐ろしくもあり、楽しみでもあり ました。無駄な努力だったと落胆する義父の顔が見たいという気持ちもあったのです。
そんな悪魔的な思いがどこからやってきたのか分かりませんが、あの無駄な努力に付き 合わされたという思いがその核に潜んでいたことは確かです。そしていよいよその日が近
づいてきました。
「やっぱり実地で動かして見ないことにはさっぱり分からない。説明書を3回ほど読んだ けど、どうもあやふやだ。これをインストールして、説明書と首っ引きでやってゆくしか
ないね」
「そうですよねー、それじゃあ、明日、楽しみですね。もう遅いですし、インストールは 明日と言うことで?」
「いや、インストールだけは今日のうちにやってしまうつもりだ。そして実地の勉強は明 日から始めます」
どうにでも勝手にしてくれという思いで居間を後にしたのです。
翌朝、10時頃起き出して、用意してやったサンドイッチを頬張り、説明書を読みなが ら操作を続けておりました。そして画面に説明書通りの文字を打ち込んで、うーんとか、 あーんとか、何度も唸ってはフリーズして、コーヒーを啜っています。 しばらく固まって動かなくなりました。あの大学ノートを見たら分かるんじゃありませ ん、と嫌みを言いたかったのですがそれは控えました。人の努力を笑うわけにはいかないのですから。たとえ無駄な努力だとしても。台所にも、うーん、という声が何度も聞こえてきました。でもしらんぷりしていたので す。そうやって私の迷惑も考えず、自分の思いだけを遂げようとしてきたのですから、もっと苦しんで当然だと思いました。電気店の店員の哀れむような視線に何度も耐えてき たのですから。
でも、ちょっと覗いてみたくなりました。苦しむ姿を見たくなったのです。ですから、台所から居間を覗いてみました。するととんでもない光景が飛び込んで来たのです。
義父の体が上下に振動しています。ぴこぴこしながら苦しんでいるのです。しかも椅子の上で体が45度も傾いています。私は叫びました。
「お義父様、どうしたの、お義父様」
駆けつけて義父の体を助け起こしました。
「腹が痛むんだ。昨日からちょっと痛かったんだけど…」
体の振動が激しくなってきています。私の頭は真っ白になってしまって救急車の番号さえ 思い出せません。104?107?109だったっけ。携帯を取りだし夫に電話しました。
夫がのんびりした口調で
「どうした、またパソコン、壊れたか?」
なんて聞くから、
「どうしたもこうしたも、あんた、お義父様、体がぴくぴく痙攣しているの。どうしたらいい の?」
って聞きました。言葉が乱暴になったのは、私もそうとう慌てていたのでしょう。
「何だって、すぐに119番で救急車を呼ぶんだ。それから、搬送先が決まったら、俺に知らせろ、分かったな?」
私はすぐに電話を切って119番通報しました。
「こちらは浦和区仲町3の15の6の早川と申します。父がおかしいのです。大至急来て 下さい」
救急車に乗り込んでもぴくぴくは止まりませんでした。私はお義父様の耳元で叫び続け ました。 「お義父様、しっかりして、お義父様、私が分かる?分かったら返事をして、お願い、返
事をして」
義父はぴくぴくを繰り返すばかりです。目はうつろで、意識が混濁しているのです。そ れでも必死で私の呼びかけに答えようとしていました。呼びかけているのが分かっている
のです。ずっと私を見ていますから。
突然、義父の表情に変化が起こりました。目が生き生きとして生気を取り戻してきたの です。顔色も上気しているらしく幾分赤みがさしてきました。私は目を見張りました。ぴ
くぴくは続いていいましたが、回復に向かっているのかと思ったのです。 義父が不意に笑顔を作りました。いつもの屈託のない笑顔です。にこにことして私を見ています。そして、義父は右手を上げ、その手を左右に振りました。私の目を見詰めながら、嬉しそうにこう言ったのです。
「ばいばい、ありがとね、ばいばい、ばいばい」
と。 悲壮感など微塵もありません。でも死ぬものと思い定めていることは確かでした。私は叫びました。
「馬鹿ー、死んじゃ駄目ー、生きるのよ。諦めちゃ駄目。死んじゃ駄目よ、お義父様ー。お願い生きて、生きて欲しいの、お義父様ー」
涙がほとばしりました。
夫が青い顔して駆けつけて来ました。息子夫婦、そして東京で一人暮らししている長女 も病院の待合室で結果を待っていました。集中治療室に入って2時間が過ぎようとしてい
ます。待合室には重い空気が立ちこめていたのです。
腹痛は盲腸でした。ついでに脳梗塞を引き起こしたのです。左手と左足に少しだけ麻痺 の後遺症は残りましたが、そのほかには異常はありませんでした。一月ほど入院しました。
その間、夫と相談してパソコンを納戸に隠したのです。何か言い出せばまた居間にセット してあげればよいのですから。 義父が夫の押す車イスに乗って居間に入って来ました。ゆっくりと見回しながら言いました。
「おー、久しぶりに我が家に戻ったって実感するな、このスペースは」
私はどきどきしながら様子を窺っていました。夫もおどおどした様子です。しかし、義父 は姿を消したパソコンのことを口にしません。緊張の時間が過ぎてゆきます。
「静香さん、お茶を頼む」
夫と目を合わせました。二人してほっと胸を撫で下ろしたのです。
「お義父様、今、お茶を入れますわね。そうそう、テレビをつけましょうか」
私はテレビのスイッチを入れて、そそくさと台所へと足を向けたのでした。
その日、義父は一日中テレビを見て過ごしました。パソコンのパの字も口に出しません。 左手と左足に麻痺は残ったものの、立ち上がるのを手助けしてあげれば、杖をついてトイレまで一人で行けます。何度かトイレに立つ以外は、居間のソファーで終日過ごしました。 でも、その後ろ姿がどこか寂しげだったのがちょっと引っかかりました。
でも私はそんな後ろ姿を見ながら、ふふっと微笑みました。あのシーンを思い出したのです。にこっと笑って手を振った義父の表情を思い出しました。義父の顔には死を喜んで迎えようという気持ちが滲んでいたのです。
痙攣を起こす前、義父はジャバのソフトと格闘していました。チンプンカンプンで何も 分からかったはずです。そのことで絶望したのかしら?それとも必死で説明書通り操作を
していただけなのかしら?それは義父しか知らないことです。でも、私はあの嬉しそうな表情を見ています。嬉しそうに手を振る義父の顔を見ている のです。ですから、もしかしたら義父は絶望していたのではないかと思ったのです。あまりの自分のふがいなさに絶望して、死んだ方がましだなんて思ったのではないでしょうか?
だからパソコンが居間から消えたことに気付かぬふりをしている。絶望を乗り越え、すべてを諦めた。そう、「義父は頭を再インストールして帰ってきた」のです。このフレーズが浮かんで、おかしくて思わず声をあげて笑いました。夫が帰ってきたらこのお義父様の再インストールの話を教えてあげよう。二人して苦い思い出にさよならをしよう。そう思いました。
その時、義父の声が聞こえてきたのです。
「静香さん、このテレホンショッピングの番号に電話を掛けて、この番号の商品を注文し てくれませんか」
「この商品って?」
「これですよ、これ」 と言ってテレビ画面を指差しました。見ると、ウオーキングマシン上を人が歩いている姿が映し出されています。
「僕もこれで足腰を鍛えて、もう一度テニスを始めようと思っているんですよ。健康でい ないと、静香さんにも迷惑をかけちゃうことになるから」
私は、左足が麻痺しているの忘れたの、って叫びたくなりました。そしてテニスコートのネット間近で杖をつき前衛を守る義父、それを見守る私、そんなシーンを想像して、目眩を覚えました。おい、おい、勘弁してよー。ん…、まてよ。
その時閃いたのです。義父がテニスクラブに行っていたのは土日だったのです。そのことを思い出しました。だから、こう言ったのです。
「お義父様、どうせ行くなら以前のように土曜、日曜にすればいいんじゃありません?だって、平日ですとお知り合いもいないでしょうから、仲間にいれてくれるか分からないじゃないですか?その点、土日だったら昔の仲間もいるでしょうし…」
一瞬、考えたようですが、すぐに合点がいったようです。
「うーん、そうするか。相田さんや猪俣さんは、まだやっているだろうから、多少びっこをひいていても、混ぜてくれるかもしれない。うん、そうしよう」
何食わぬ顔をして何度も頷きましたが、心の中では思わず「ヤッホー」って叫んでいました。よくよく考えてみれば、何で私ばっかりという不満が渦巻いていたのです。パパときたら自分の親なのに、仕事で疲れてるとかなんとか言って、すべて私に押しつけてきたのです。でも、土日だったら言い訳など言わせません。親の面倒を看るのは子供の義務なのですから。
その晩、夫が帰ってくると、こう話しかけました。 「パパ、面白い話と、憂鬱になりそうな話、どっちから聞きたい?」