先日、あるラジオ番組を聞いていましたら、元コメディアンのキャスターがこんな発言をしていました。「今の資本主義は、富者と貧者の二極化、つまり格差社会を是認しているんじゃないか?」と。彼は、格差社会を是正しようとする力が削がれていている、或いは誰もが見て見ぬふりをしていると言う訳です。
鋭い指摘と言わざるを得ません。まさにそうとしか思えない現実が日本のみならず世界を覆っています。アメリカの富者と貧者の二極化を、対岸の火事よろしく眺めていた日本にもいつの間にか飛び火し、それに危機感をつのらせた政治家が「中間層の育成」をいくら声高に叫ぼうと、その言葉に期待を寄せる有権者はほとんどいません。元コメディアンのキャスターが言った言葉は、そうした無力感をよく言い当てているのです。
巷には、何十年を勤めた会社が倒産し、ハローワークに何度も足を運んでも未だに職につけない中高年やワーキングプアーと呼ばれ、ぎりぎりの生活を余儀なくされる人々がわんさ(全世帯数の一割近く)といます。また、生活保護世帯は終戦直後の200万世帯をすでに突破したそうです。これが今の日本の現実です。
世界に目を向けると、それでも日本の現状はまだよい方としか言いようがありません。失業率だけ追ってみると、日本は平成24年7月時点で4.3%なのに対し、先進資本主義国と言われるEUやアメリカの失業率は平均で10%以上ですし、若年層に至っては失業率50%を越える国など珍しくもありません。
かたや何世代にもわたって王侯貴族並みの生活を維持し続ける階層、そして新興勢力のプチ王侯貴族たちも、彼らに負けず劣らず何世代にわたってもその生活を維持できるだけの富を手に入れ、彼らと肩を並べようと必死です。この構図は規模が違うかもしれませんが、日本でも似たり寄ったりでしょう。
成功して人よりも良い生活をしたいというのは、誰もが抱く正直な気持ちでしょう。それをとやかく言うつもりはないのですが、努力や資格、能力に見合う収入以上の富を求めるのは、やはり非難されるべきだと思います。何故なら、日々の生活の糧を得るために努力し続ける人々に用意された分まで飲み込んでしまうからです。当たり前ですよね、人々が作り出す富の上限は決まっているのですから。
ところで、ラジオで耳にした「今の資本主義は、富者と貧者の二極化、つまり格差社会を是認ているんじゃないか?」という一言は、別な見方をするなら、富を独占する人々が、その富の上限を更に膨らませるための経済システムを既に構築し終えているのではないかという危惧から発せられたのだと思います。
つまり、富イコール権力ですから、経済のルールさえ自ら決めることができるというのは自明の理です。今の資本主義が、格差社会を是認する方向で経済システムが構築されてっしまっているなら、貧者はますます貧し、ますます増えてゆくことになるのです。
その格差社会を是認する経済システムとは、投機というギャンブルの基盤のうえにすべての産業を載せてしまったシステムのことです。巨大な富を握っている人々がその気になれば、どのようにでも操れるのです。何故ならルールは自分たちに都合の良いように作っているのですから。
この経済システムにおいて貧者は当然その埒外に置かれています。ターゲットはこの経済システムの体制側にいない富者の懐です。この懐から富が零れ落ちてゆくに従い、貧者はますます貧し、数を増すと言う訳です。
超低金利で不満爆発寸前の日本の小金持ちの皆様!欲をかいて、株式をどっさり購入するのはやめてくださいね。危ない金融商品が出回っていて、そこには何が仕掛けられているか分りませんよ。一つがハジケれば、すべてがハジケます。実は、ここだけの話。この超低金利も彼らが決めたルールの一つなのです。