不思議なお話No56 母、逝く 

 

 今年5月、母が彼岸へと旅立ちました。3月を経た今でも、ふと母の面影が浮かぶと、突如、悲しみがよみがえり涙が滲みます。母への思いって、父親へのそれとは異なり、理性を排除した感情だけの部分ってありますよね。僕を包んでいたぬくもりみたいなものが全部剥がされる、そんな虚脱感を伴う感情と云えばよいのでしょうか? 

 でも、僕のこれまで述べてきた自説が正しいなら、母は彼岸、つまり向こう側に移っただけなのです。きっと母は、安らかな日々を送りながら、僕たち残された者たちを見守っていてくれていると思うことにより、少しは心の安らぎが得られます。 

 久々に筆をとる気になったのは、父そして母の死を通して知り得た2つのことについて書きたいと思ったからです。死は終わりではないことは、何度も述べてきましたが、それを証する出来事についてこれから述べさせてもらいます。 

 

その1 亡き母が教えてくれたことこと 

 

 母の入院は4ヶ月ほど続きました。反応があったのは最初の何日かで、すぐに昏睡状態に陥りました。看護婦さんに聞くと、時々目を開け意味不明の言葉を発するとのことでしたが、何度か時間を変えて見舞いましたが、最後まで母の肉声を聞くことはありませんでした。 

  

 そんなある日、以前「不思議なお話NO3 ちょっと感動的な不思議な出会い」で紹介した9歳年下の弟と病院で偶然出合ったのは母が逝く二ヶ月ほど前のことです。病院は家から車で30分の距離です。僕と妻は、週二日通っていましたが、弟は東京に住んでいますのでそうそう来られませんから偶然と言えば偶然です。 

 そして、その帰り、妻を含めて3人でお茶をしましたが、僕たち兄弟の奇妙な会話を聞いていた妻も、別段驚くでもなくフムフムと耳を傾けていました。常に反論ばかりしている妻でしたが、或いは僕の説にかなり汚染されてきたのかもしれません。 

 では、その奇妙な会話を再現してみます。 

 

「お兄ちゃん、実は先週の土曜日の夜中に、お袋が家に来たんだ。」

「本当か?で、どんな様子だった?」 

「別に姿を見たわけじゃあないんだ。ただ音だけ。子供部屋に通じる階段を静かに上る足音が聞こえた。きっと孫たちに会いに来たんだと思う。」 

「やっぱり!」 

「やっぱりって?」 

「実は、俺もちょうど同じ頃、人の気配を感じて、誰か来ていると思っていたんだ。一体誰なんだと思っていたけど、お袋だったのか!」

「多分そうだよ。生きている人の霊って、死んだ人の霊より強いって言うから」 

 

 普通の人が聞いたら目をまん丸にしただろうこの会話ですが、僕たち兄弟は霊魂に関して共通した認識を持っているので、ごく当たりまえの話と言うことになります。以前「不思議なお話NO28 幽霊について」で紹介したとおり、僕は音の幽霊としか出合っていませんが、弟は霊感が強いらしく、目に見えるものを含めて何度も幽霊と遭遇しているのです。 

 兄弟二人、同じ時期に感じた霊の気配が母親であると断じることは出来ません。でも、母親が昏睡状態であることを思えばそうである可能性は大です。 

 

 以上のことから、まずはこの事実、もし、事実と認めたくないのなら、仮説でもかまわないのですが、記憶に留めておいてください。 

 

 事実・或いは仮説1; 霊もしくは魂は、時空にとらわれず自由自在に動き回れるということ。 

 

 次に、これから二つの事実を述べますが、これらは僕の弟、そして姉が体験した出来事です。 

 

 弟の場合 

  先に、僕たち夫婦と弟が病院で偶然に出合ったと述べましたが、それはその場で起こりました。弟は昏睡状態の母の手を握っていました。そして、その時、弟は驚きの声をあげたのです。 

「お兄ちゃん、お袋がぎゅーっと手を握り返している、こんなこと初めてだ。」 

 僕も手を添えてみました。確かに母の手の筋肉は緊張していて弟の手をきつく握りしめているのです。 

 僕も見舞いの時はベッドサイドで母の手を握るのですが、反応があったのは最初の頃だけで、それ以降はまるで弱々しい電気信号のような震えがあるだけです。僕はまじまじと母の顔を見詰めました。 

 そしてすぐに納得がいきました。弟は末っ子で、まして母が40歳を過ぎて出来た子供ですからまるで孫のように可愛がっていました。まさに母にとっては愛情を余すことなく与えたといってもよいでしょう。ましてなかなか会いに来られないその末っ子が来たのですから、母は魂の限りに握り返していたのだと思うのです。 

 

姉の場合 

 母と姉の間には、或る種の感情的な溝が存在しました。多くの母親がそうであるように母も最初の子である姉に情熱を注ぎました。つまり過大な期待を抱き、それを押し付けたのです。 

 一方、姉は元々人の言いなりになるのを好まない性格ですから、その母に逆らい続けました。当然母の過大な期待は失望へと変わりました。最初の亀裂は小さなものでも、コミュニケーションが減少してゆきますから、姉が成人に達する頃には、りっぱな溝が出来上がっていたというわけです。 

 それでも、母が痴ほう症になり、母がその性格を形作る以前の純真無垢な童女のようになると、姉の心に変化が生じます。心にあるその溝が徐々に埋められてゆくのが、傍から見ていてもよく分かりました。 

  

 前置きが長くなりましたが、それでは姉の話をします。 

 

 姉から電話を受けたのは、母が逝く一月前です。いつになく興奮した口調でしたが、話を聞いて納得がゆきました。母がやはり姉の手を握り返したというのです。それも、強く握りそして離す、それを何度も繰り返すというやり方で。 

 その断続的に手を握るというやり方は、僕がいつも母とのコミュニケーションを取りたくてやっていた方法です。わずかな手の震え程度でも、僕にとって涙がでるほど嬉しかったのです。 

 僕にその程度の反応が示さなかった母が、弟と姉に対して強いメッセージを送りました。めったに来られない弟、なかなか心を開かない姉に対する別れのメッセージ、或いは愛のメッセージを伝えたかったのだと思います。  

 

 さて、ここでは、上述した弟と姉の出来事に関する僕の勝手な解釈ー愛のメッセージ、或いは別れのメッセージーを認めろと言ってるのではありません。皆さんがこの二つの出来事、母が強く手を握ったことをどう解釈しようがかまいませんが、ただ一つの事実(或いは仮説)だけは認めて欲しいのです。それはこうです。 

 

 事実或いは仮説2; 霊もしくは魂は脳の営みによって生じるものではないということ。 

 

 何度も述べてきましたが、母は痴ほう症でした。姉・弟が家に来ても、名前はおろか、互いの関係さえ分からなかったのです。従って、この二つの出来事は、その脳で二人を識別し、反応したのではないことは明らかです。つまり、体から遊離した実態が存在し、その場にいたということです。 

 

 以前、「不思議なお話NO22 臨終の瞬間」で、父が一度離れた肉体に再び戻ってきたことを述べましたが、今回のお話はそれをある程度補強する材料になります。母は遊離した肉体に戻って姉と弟に強いメッセージを送ったのです。 

 

 皆さんも今回の二つの事実(或いは仮説)を元に現実を再構築してみては如何でしょうか? 以下を再度確認してください。 

 

事実或いは仮説1; 霊もしくは魂は、時空にとらわれず自由自在に動き回れるということ。 

事実或いは仮説2; 霊もしくは魂は、脳の営みによって生じるものではないと言うこと。 

 

その2 亡き父が教えてくれたこと 

 

 これから述べることは僕のプライベートに関することですので、奥歯にものが挟まった物言いしかできないのが残念なのですが、このくらいはいいだろうと思われる事実だけを紹介することにします。 

 また、以前に書いた「不思議なお話」の中に今回と同じ趣旨のことを述べた文章があったのを思い出しましたので、まずはこれを取り上げます。そして次にこれに係わるエピソードを二つだけ紹介することにしましょう。 

 まずは、以前に書いた同じ趣旨の文章です。それは『不思議なお話NO23 「罰の当たりやすい」体質と日本人 』の中の一文で、これを読めば僕の云わんとするところをすぐに理解できると思いますので、以下に引用します。 

 

 「皆さんは仏壇を前に、或いは心の中で、亡くなった肉親や友人に語りかけたことはありませんか?感謝の言葉を捧げたり、悩みを打ち明けたり、近況を報告したりしたことはありませんか?そんな時、その肉親や友人が生きていた時以上に、心と心が繋がっていると感じませんでしたか?或いは、ふと、自分が誰かに守られていると感じたことはありませんでしょうか? 

  僕は、こうした行為、つまり霊に語り掛けることによって、多くの方々が霊界と繋がりを持って生きていると思っています。」 

 

 如何でしょうか? 僕の云わんとするところを理解できましたでしょうか? それは読んで字のごとく、僕は、亡き父と繋がっていることを実感しているということです。仏壇の前で父に語り掛け、感謝の言葉を捧げ、或いは念仏を唱えることによって、父は僕の守り神になってくれたことを実感しているのです。 

 そんな馬鹿な、とお思いでしょう? でも、僕の受けた恩恵が偶然とは思えないのです。仏壇の前で、或いは散歩の最中についつい愚痴ったことが、どういうわけか徐々に解決してゆく過程を何度も信じられない思いで見詰めていました。 

  もちろん単なる偶然と解釈することも可能です。でも、偶然というのは、不思議な出来事を説明するには便利な言葉ではあるけれど、僕の一連の「不思議なお話」の最初の出発点は、偶然を疑い、さらに深く追及することだったことを思い出してください。偶然の出会いって、何か意味があるんじゃないか? そこが出発点でした。 

 とはいえ、僕の個人的思考の最初の出発点など皆様には関わりのないことなので、あくまでも偶然だと言い続けるのも良いでしょう。でも、世の中には科学では割り切れないことがあると云うことだけはお認めになったらいかがでしょうか? 

  

 それでは二つのエピソードを紹介しましょう。 

 

エピソード その1 

 現在、レザークラフトを趣味と実益(オークションに出品)のためにやっています。そして、製作部屋いっぱいに備えられた工具類一式(電動工具類からペンチ・金づち、千枚通し等種々雑多)は父が遺したものが殆どです。 

 そのなかでもお気に入りの電動工具が赤と緑の電動ドリル。特に緑の方は低速ですのでレザークラフトには最適で、あらゆる場面で活躍していたのですが、耐用年数をすでに越えていると思われる代物で、とうとう動かなくなってしまいました。 

 新たな物を購入しなければならないと思いつつ、月〜金は会社勤め、土日はオークション出品準備のため忙しくなかなか買いにいけません。そんな折、会社の車で出かける機会があり、その途中でセコハンショップ・ハードオフを見つけて立ち寄りました。そこで、見つけたものは・・・・。 

 

 なんと、メーカー、型式、色まで同じの電動ドリルです。しかも新品。さらに価格は千円。 

 

 「ど、ど、どっひゃー」 

 これが僕の第一声です。 

 

エピソード その2 

 母の葬儀は父と同じセレモニーホールで執り行いました。父も母も喜ぶだろうと思ったからです。でもちょっと高いのが玉に瑕です。そこで節約できるところは節約しようと、コストの安いインターネットで必要なものを調達したのです。坊さんの手配から戒名、位牌その他ありとあらゆるものです。 

 「戒名の格であの世の位が決まるって、馬鹿言ってんじゃないよ」、などと葬式仏教に堕落したことを罵りながらの作業になったのは云うまでもありません。ご存知ですか? 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の意味を。 

 江戸時代、お寺には人別帳というものがあり、戸籍の代わりだったため、所謂行政機関の補助業務を担っていたわけです。つまりお寺は権力と繋がっており、檀家の方々は逆らうことができなかったのですね。 

 従って、長きに渡る法要儀礼のスケジュールからそのお布施の額までお寺が勝手に決め、押し付け庶民を苦しめてきたのです。「坊主憎けりゃ・・」の言葉は、庶民の怨嗟の言葉なのです。仏教の経典には深淵な真理が含まれているというのに、まことに残念なことです。このままでは宗教としての発展は望めないでしょう。 

 

 ちょっと横道にそれてしまいました。そうそう、インターネットでした。続きをどうぞ。 

 

 母の葬儀が終ったその晩のことです。部屋に戻ってインターネットを立ち上げました。しばらくメールをチェックしていなかったからです。 

 そして、そこで見出したのは、な、なんと、かつて父の位牌を頼んだ仏壇屋からのプロモーションメールです。年に何回か届いていましたから、たまたま葬儀の日と重なったのだろう、と最初は思いました。 

 そして、メールの中に入っていってホームページを立ち上げます。そこで、49日までに位牌を用意しなければならないことを思い出し、位牌のページをクリックしました。文字ばかりが並んでいましたので、適当に選んでこれもクリックしたのです。 

 画面に浮かんが位牌の写真を見て、何処かで見たような気がしたのです。じっと見つめていると、はたと思い当たりました。すぐさま階段を駆け下り、仏間に飛んでゆきました。 

 

 まさに、父親の位牌とまったく同じだったのです。台座のデザイン、金粉の模様まで。再度部屋に戻って位牌の写真をまじまじと見つめました。そして、説明文をじっくり読むと、夫婦の場合、妻の位牌は少し小ぶりのほうが良いと書いてあります。もちろん、その小ぶりサイズの位牌をすぐさまカートに入れたのは言うまでもありません。 

 これって本当に偶然だとお思いになりますか?(恐らく、葬儀場から情報を得ていたなどという方もいらっしゃると思いますが、この業者は関西ですから、それはないと思います。) 

 

 父は自分の着るものに全く頓着しない人でした。家では年がら年中作業衣を着ていましたし、お客様が集まる正月でさえそれで通していました。技術屋の制服だと思っていたのでしょう。 

 今、仏壇には夫婦位牌が仲良く並んでいます。なかなか良い選択だったね、と父に語り掛けると、にこにこと頷いている父の笑顔が浮かびます。でも、人のこだわりって分かりませんね。着るものにこだわりのない父親が、母とお揃いの位牌にこだわったのですから。とにかく仲の良い夫婦でしたから。

 

 ところで、若い皆さん。いつか、皆さんもご両親の面倒を看ることになります。その時は現実を見つめる勇気をもってください。老いそして死、人によっては老化や痴呆そして精神安定剤による性格の変貌に直面する方々もおられるでしょう。そのすべてを感謝の気持ちで接し、そして見届けてください。それはあなたのためだけではなく、あなたのお子さん達のためにもなるのですから。  

 

 最後の一文に疑問を抱く方もいらっしゃると思いますので、母方の婆さんが残した言葉を紹介します。 

 

 終戦直後、母方の婆さんは、浮浪者を家に連れてきては、しばらく面倒をみて、少し元気になると汽車賃を与えて故郷へと帰していたそうです。婆さんには南方で戦死した息子がいました。その殆どの方が餓死したのだそうですから、空腹で動けなくなっている人を見過ごせなかったのでしょう。 

 ある時、母が婆さんに聞いたそうです。何で一文にもならないことをやるのかと。婆さんはこう云ったそうです。 

「いいかい、あの人たちに施したものは、ワシに返ってこなかったとしても、あんたたちに返ってくるだよ」 

 僕はこの言葉を信じています。何度か九死に一生を得る経験(3回)をし、誰かに守られているという感じた時、いつも婆さんのこの言葉を思い出していました。 

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