不思議なお話No48 トンデモナイお話と情報操作 そのU

 僕はテレビというものを殆ど見ない生活を送っているのですが、夕食をテレビのある居間兼食堂でとりますので、その時間帯だけそれに接することになります。昨日の夕食時に見ていたのはテレビ朝日の「タケシの超常現象マル秘X緊急速報」という番組で、題材に興味があったのでそのまま見続けることにしました。その題材は超能力とUFOです。

 ひとつめは、外国人超能力者のパーフォーマンスでしたが、種も仕掛けもない(と思われる)、彼自身の透視能力を見せつけるものでした。たとえば女性タレントがボールに山盛りになっているコイン(日本円)をひとつかみした総額や、もう一人の女性タレントが、財布に入っていた千円札を彼から見えないようにして、何重にも折り畳み、手に握ったその千円札の紙幣番号を言い当てたりしておりました。
 そして何と言っても痛快だったのは、あの早稲田大学の大槻教授(反トンデモ話勢力の急先鋒)をへこませたことです。
 彼はテレビ局から透視実験の被験者の依頼を受けて、紙に文字とも数字ともとれるものを書き込み、それを誰にも見せず肌身離さず身につけてスタジオ入りしたわけです。
 超能力パフォーマーは難なくそれを透視し、紙に描き出したわけですが、大槻教授はここで、おもむろに別の紙を胸ポケットから出して、こう切り出します。
「テレビ局の方が帰った後で、別の図形を描きました。これを透視してください」
 彼はテレビ局の方が何らかの方法で彼の描いたものを盗み見る可能性を危惧したようです。

 にこりと微笑んだ超能力パフォーマーは、大槻教授に尻を向け、お尻のポケットを突き出します。そしてこう応じました。
「最初に貴方を見たときから、二つのイメージが見えていました。念のためにもう一つのイメージを描いたメモをこの尻のポケットに用意してあります」
 唖然とする大槻教授の顔、パフォーマーが尻のポケットから出した、自分のものと同じ絵の描かれた紙を見て口を半ば開け、司会者の「如何ですか?」という問に、一瞬間を空けます。そして引きつった顔のまま衝いて出た言葉が、
「感心しました」
の一言です。
 超能力者は、悪意や敵意、或いは卑劣な悪ふざけに晒されると、能力の半分も発揮できません。何故なら超能力の源は集中力ですから、そうした悪感情に気を取られて集中力が損なわれるからです。
 しかし、このパフォーマーはそんなマイナスの影響力を嘲笑し、受け流すことが出来る実力の持ち主でした。尻を向けるというパーフォーマンスには思わず笑ってしまいました。明らかに大槻教授の意地悪な思いを見透かしていたのですから。

 次は「UFOを呼べる男」という怪しげな初老の男性がテレビ局の屋上で何やら念じていました。脇には大槻教授の永遠のライバル、トンデモ本を多く出版する会社の社主(或いは編集者?)が上空を見上げ、担当のアナウンサーが現在の空模様などを実況しています。

 別の話題で盛り上がっていたスタジオに、突如、屋上のアナウンサーの興奮した声が、イヤホンを通じて流れます。
「UFOです。UFOが出現しました。」
 モニターに小さな光る点が現れ、妙な動きをみせています。小さすぎて肉眼では見えないと言います。スタジオも騒然となり、タケシと大竹まことがモニターの画面に近づきじっと見入ります。タケシが「もっと寄れないのか(拡大)」と叫んでいました。
 司会進行役不在ですから、ゲストも席から立ち上げり、三々五々モニターに近づいてきます。ついにタケシが「俺たちも屋上に行こう」と言いだし、全員で撮影場所を屋上に移したのです。

 そこで見た光景に僕は思わず唖然としました。「UFOを呼べる男」が涙を滲ませ、それを手の甲で拭う姿が映し出されていたのです。番組の最後には、光る物体がモニター画面一杯に群がり、騒然としたスタジオの全員がモニターに群がるという光景を目にしましたが、それ以上に、この初老の男の涙に、僕は深い感銘を受けたのです。
 大竹まことが、この初老の男の肩に手を回し、
「散々、馬鹿にされてきたんだろう、えー。奇人変人扱いされて、近所でも白い目で見られてきたんだよなー。良かったね、UFOが現れて」
と語りかけると、
「はい、良かった、本当に良かった。(自分が言ってきたことが)これで証明されました」
 その涙は真実に溢れていました。そして、その涙の訳こそ、実は僕の今日のテーマなのです。
 とはいえ、女房の「これって録画でしょう。もし、UFOが東京上空にこんなに現れたら新聞に載るはずじゃない。それがないってことは、この映像はヤラセってことよ」というご指摘に、「はい、はい、おっしゃる通りです」と頷くしかありません。説得するなど無理だと分かっていますから・・・。

 さて、随分と長い前置きになってしまいました。そろそろ本題に入りたいと思います。

 前章では、僕が小学校低学年の頃に接したマス媒体(テレビ)に洗脳され、すっかりアメリカファンになってしまったお話をしました。今、各界で活躍している世代は僕と同じような経験をしてきた方々だと思いますので、その心の深層には親アメリカ感情が横たわっていると考えて間違いありません。それほどテレビによる洗脳は人の心に深く染み込むのです。
 一方、マス媒体の本来の役割は、真実を人々に伝えるということです。ケネディ暗殺の現場フィルムはまさにこれにあたります。直後に世界に配信されたのですから、手を加える暇さえ与えなかったでしょう。このフィルムに映し出された映像が全てを語っています。

 そのケネディ暗殺から50年が過ぎようとしていますが、その間に何度となく流された反ケネディ家キャンペーンはそれこそ枚挙に暇がないほどです。これは、明らかに僕らが幼少の頃に経験させられたのと同様の洗脳目的に他なりません。未だに根強いケネディ礼賛の風潮に対し、それを否定するマイナスイメージの定着を狙っています。
 つまり、テレビ媒体、或いはマス媒体(テレビ・雑誌・本全てを含む)と言った方がよいかもしれませんが、それらの持つ一つの大きな側面が洗脳だということです。そして、日本においても、この力によって多くの人々が影響を受け、それをすんなり受けいれてしまう状況が生まれました。ここで言う「それ」とは、原子力発電のことです。

 僕は、かつて心情的には反原発でした。安全性の問題、そして核廃棄物の処理問題を考えたとき、どう考えても技術的確立されているとは言えず、技術革新を将来に先送りした形の見切り発車の感は否めませんでした。ですから万が一の事故を思うと恐怖感の方が優勢だったのです。
 原子力はギリシャ神話のプロメテウスの火にたとえられます。プロメテウスはゼウスの反対を押し切って、天界の火を盗み人類に与えました。これによって人類は飛躍的に文明を進歩させますが、一歩間違えればその火は全てを焼き尽くす危険性をはらんでいるのです。その意味から言えば、まさに原子力はプロメテウスの火ということになります。
 朝日新聞が「プロメテウスの罠」という題名で連載記事を載せていますが、この新聞社はこれまで原子力発電の危険性について警鐘を鳴らしてきたのでしょうか? 朝日新聞に限らず、他の新聞社にもそのことを問いたいのです。実は、あなた方も後述するあの巨大な権力の思惑に荷担していたのではないですか? と。

 ところで、僕の反原発の意識が薄れるきっかけとなったテレビ映像があります。何十年も前のことなので番組内容はすっかり忘れてしまいましたが、山東昭子参議院議員がこのように発言したのを覚えています。
「原発反対を声高に唱える方々は、もう少し原子力発電について勉強なさるべきではないでしょうか? あの方々は、あまりにも勉強不足です」
 彼女の表情には安全性に対する揺るぎない自信と、それを知らずに騒いでいる人々に対する蔑視の思いが滲み出ていました。その高飛車な上から目線の発言に、僕は反発を覚えたものの、言われてみれば確かに原子力発電の技術進歩について一度として調べたこともありませんでした。もしかしたら、僕が抱いていた不安はもう過去のものになってしまったのか、といった印象を持ったことを覚えています。
 恐らく自分の不勉強に対する後ろめたさと、その努力をしたマジョリティに自分も加わらなければ、という焦りが僕の意識に芽生えたのだと思います。さらにこうした発言が各界の著名人の口を借り何度となく映像で流され、ある一つの雰囲気、或いは共通の常識的意識みたいなものが人々の間に醸成されてゆきました。
 反原発発言を繰り返す人々に対して、眉をひそめ、揶揄の言葉で応じ、無視するという対応を自然自然のうちに身につけてしまった。つまりそれ以上考えることを止めさせ、そして知識を求める気を失わせる効果は絶大だったということです。

 ここで、僕が先に述べた巨大な権力について、僅かに顔を覗かせる程度ですが、大新聞のうちの一社・毎日新聞が日本で初めて勇気を持って記事にしています。
 少し長いですが毎日新聞の記事をそのまま掲載します。どうか最後までお読み下さい。(拡散希望)

◆特集ワイド:「国策民営」 日本の原子力、戦後史のツケ

 毎日新聞 2011420日 東京夕刊

「写真割愛」
 左から藤岡由夫、湯川秀樹、正力松太郎、石川一郎、有沢広巳 危機と対応の混乱が続く福島第1原子力発電所。この国には、この「フクシマ」を含め54基の原子炉がある。そもそも被爆国であり地震国でもある日本に、なぜ、これほど多くの原発が造られたのか? 「原子力の戦後史」をひもといた。【浦松丈二】

◇米国の「冷戦」戦略受け導入 政治主導で推進、議論尽くさず
 <ポダムとの関係は十分成熟したものになったので、具体的な協力申し出ができるのではないかと思う>
 早稲田大学の有馬哲夫教授(メディア研究)が05年、米ワシントン郊外の国立第2公文書館から発掘したCIA(米中央情報局)機密文書の一節である。終戦直後から60年代までに蓄積された474ページにわたるその文書には、日本に原子力事業が導入される過程が詳細に描かれていた。
 「ポダム」とは当時、読売新聞社社主で日本テレビ社長だった正力松太郎氏(1885〜1969年)の暗号名。原子力委員会の初代委員長を務め、のちに「日本の原子力の父」と呼ばれる人物だ。
 「戦後、CIAは正力氏と協力して日本で原子力の平和利用キャンペーンを進めていきました。彼が政財界の有力者とのコネを持っていただけでなく、新聞やテレビを使って宣伝できたからです」。
 有馬教授はそう解説する。米国から日本への原子力導入の働きかけ。そこには米国の「政策転換があった」と言う。転換点はアイゼンハワー大統領が53年12月の国連総会で行った「原子力の平和利用」演説だった。
 ソ連との冷戦で優位に立つため、関連技術を他国に供与して自陣営に取り込む戦略だった。唯一の被爆国でもある日本が原子力を受け入れることの戦略的意味は、米国にとって大きかった。

 一方、正力氏にとっては「首相の座を狙うための政治キャンペーンでもあったことが機密文書から分かります」(有馬教授)。
 54年に日本初の原子力関連予算を要求したのは当時、改進党に所属していた中曽根康弘元首相らだった。予算が衆院を通過したのは、ビキニ環礁での米核実験で漁船員らが被ばくした「第五福竜丸事件」が明るみに出る約2週間前の3月4日。中曽根氏はギリギリの日程で原発関連予算を通す。
 中曽根氏は原子力関連法を次々に提案し、科学技術庁(現文部科学省)の初代長官に就任した正力氏とともに、原子力事業を推進した。だが、急速に原子力へと傾いていったことは、日本に禍根を残す。
「その一つが事故の際の住民への賠償問題です。細部の議論を尽くさずに原発を導入してしまった」。
 有馬教授はそう指摘する。

「写真割愛」」
 衆院内閣委で増原問題について答弁する田中首相(右)と坪川総務長官(前列左)
 ■
 70年3月14日、日本初の商業用軽水炉として、日本原子力発電の敦賀1号機が大阪万博開幕に合わせて稼働し、万博会場への送電を開始した。正力氏はその前年に他界している。続いて新エネルギーとしての原子力に注目したのは、73年の第1次オイルショックと前後して資源外交を進めた田中角栄元首相だった。
 「田中角栄 封じられた資源戦略」(草思社)の著者でノンフィクション作家の山岡淳一郎氏は
「オイルショックをきっかけに石油の限界性が強く意識されるようになりました。そして、高度成長以降、強気の電力需要予測に基づいて全国に原発が造られていった」
と説明する。
 田中元首相は自民党幹事長だった69年、東京電力柏崎刈羽原発の建設誘致に動く。首相末期の74年6月には原発の立地支援のための交付金などを定めた電源3法を成立させた。
「建設業界、電力業界、官僚、学会が右肩上がりの需要予測を利用して原発を推進した。『列島改造』という国土開発に原発が組み込まれた時代だったのです」
 さらに田中元首相は、米国頼みだったエネルギー政策を転換する。
「田中氏は欧州の原子力大国フランスとのパイプを築き、ウラン資源を確保するとともに(プルトニウムを抽出する)再処理技術にも触手を伸ばそうとしました」。そのうえで山岡氏は「先見の明のあった田中氏であれば、そこで原子力だけではなくクリーンエネルギーにも翼を広げておけばよかったのですが……」と語る。
 70年代、2度のオイルショックを経て日本は原発一辺倒に突き進む。
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 世界では、2度の大事故で原発は停滞期に入る。
 79年に米スリーマイル島事故、86年にはソ連(現ウクライナ)でチェルノブイリ事故が起き、欧米で脱原発の機運が高まった。だが、日本は97年ごろまで毎年150万キロワットのペースで原発を拡大させ続けた。
 原子力政策の専門家で、97〜09年に原子力委員会の専門委員を務めた九州大学副学長の吉岡斉教授(科学史)は
「政治は自民党一党で安定し、通産省(現経済産業省)も原発を継続する強い意志を持っていた。2度の大事故の影響は日本では限られていました。世界の情勢に逆行して日本で原発が拡大した背景には、政治と行政の特殊な構造があった」
と話す。
 ところが、90年代初めのバブル崩壊以降の電力需要の低迷で、原発建設はスローダウンしていく。
さらに90年代半ばに発電事業者の新規参入を認めた電力自由化で、原発は岐路にさしかかる。
「通産省内でも『補助金漬けの原発は財政的に問題で電力自由化に逆行する』『特に金のかかる核燃料再処理事業をやめるべきだ』との議論が出てきた。05年ごろまでに再び原発継続の方向で固まったが、市場原理に基づけば原発は成り立たない。電力会社も本音ではやりたくないが、国策に従っているだけです」

 吉岡教授には、忘れられないエピソードがある。
高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ火災事故(95年)を受け、97年に科学技術庁が設置した高速増殖炉懇談会に委員として招かれた。

「写真割愛」
 無人ヘリで撮影した福島第1原発3号機の原子炉建屋上部=15日午前撮影、東電提供 
「ところが、議論のさなかに自民党が存続方針を出してしまったのです。懇談会の結論もそれを追認した。われわれの議論は何だったのかと思いました」

 戦後、日本は米国から原発を導入し、オイルショックで公共事業として推進し、バブル崩壊後も政府の手厚い保護下に置いてきた。政府が計画を立て民間の電力会社が運営する「国策民営」(吉岡教授)の二元体制。それが、福島第1原発の事故対応でも混乱を招いているのではないか。

政治に利用され続けた原子力。
それは資源小国ニッポンの宿命だとしても、代償はあまりにも大きかった。

以上、毎日新聞からの引用

 (この記事を書いた記者の方、ならびにこの記事の掲載を許した毎日新聞社に心より敬意を表します。タブーに挑むその姿に感銘を受けました。また、まだ日本には本物のマスコミ人が残っていることに安堵した次第です。今後の苦難を思うと同情に堪えませんが、どうか信念を貫き通して下さいますようお願い申し上げます※この文章は8年前に書いたもので、残念ながらこの記事を掲載した毎日新聞には、ケネディ暗殺以降の米マスコミ同様、本物のマスコミ人は消えてしまったようです。)

 ちなみに、正力松太郎のCIA工作員としてのコードネームは「ポダム」ですが、読売新聞、及び日本テレビ放送網のコードネームは「ポダルトン」です。
 多くは申しませんが、その裏の裏が見えてきたのではないかと思います。絶対的権力にすり寄れば、富・権力・地位を得るのは容易です。政治家・官僚の中にも米国に魂を売った人々は今でも大勢いると思いますが、それによって彼らは豊かな老後を得るかもしれませんが、実は、失ったものの方が大きかったと思います。僕は因果は輪廻転生に持ち越されると思っています。。

 以上述べてきたことの論旨は、マスコミは、何度も述べてきた闇に隠れた巨大な権力(その正体は恐らく富を求める大・中・小・極小を含めた巨大な経済システムそのもの)の世論を誘導するための媒体に成り下がっているということです。
 そして、その対抗手段として人類はインターネットという媒体を創造したと言うのが僕の持論ですが(エッセイ「インターネットの文化人類学的な意味」参照)、これについてはいずれ詳しく述べたいと思います。
 

 さて、話を戻します。「不思議なお話No42 みんな騙されてんじゃないの?」において、天下の大新聞・朝日新聞がコンノケンイチ氏の著作「ビッグバン理論は間違っていた」をバッシングしたことを紹介しました。天下の大新聞がわざわざ一冊の本を取り上げるなど、前代未聞のことです。
 世の中には定説という多くの学者が納得する学説がたくさんあります。ですが、その定説が将来に渡って定説であり続けるかというと、そうではありません。ましてビッグバン理論は定説などではなく、これに疑問を呈する学者もたくさんいるのです。
 にもかかわらず、朝日新聞はこのビッグバン理論だけが正しいという記事を掲載しました。このように一つの学説に対する偏った支持は大新聞の取る立場ではありません。常にこれに反する学説についても言及すべきでしょう。しかし、敢えてコンノケンイチ氏の著書を取り上げバッシングした裏には何か隠された意図があります。
 それは、反ビッグバン理論を声高に唱える人々に対して、かつて反原発を唱える人々を、胡散臭い人々と印象づけるために採用してきた手法をそのまま適用しているということです。
 ですから、或る意味で、コンノケンイチ氏の説は、学会から注目されてえいるということです。原子力も同様ですが、それによって食べている人々が五万といますし、とくに原子力のは場合巨額の補助金がありますから、さらに利権が絡んできます。ビッグバン理論にしても規模は小さいものの同じ経済原理が働くのです。
 ということは、もしそれが否定されると、その日の糧を失うわけですから彼らも必死です。必死だからこそコンノ氏の仮説が気になるのです。本当の意味でトンデモナイ仮説なら、いつもしているように無視すればよいのですから。

 マスコミ(主に文字媒体)は、真理を追究する人々を根拠のない空論を吐くトンデモナイ輩と決めつけることにより、多くの優れた仮説を闇に葬ってきました。コンノ氏の例は前代未聞で、あのような直接的な否定のしかたは例として少ないとしても、間接的に影響力をふるってきたのです。
 例えば僕が最も関心を寄せる日本史に限ったとしても、古事記・日本書紀に反する仮説のことごとくがトンデモ諸説の扱いを受けています。謎の四世紀の問題、神代文字及び古史古伝の真偽論争、漢字伝来時期等々、数えれば切りがありません。
 優れた作家(殆どが在野の研究者)達が、無視されるのは良い方で、執拗な批判に晒され、或いはトンデモ作家とレッテルを貼られ、歯噛みして涙を飲んでいるのです。既に無念の思いのままこの世を去った方もおられます。

 僕が昨日見たタケシの番組で、手の甲で涙を拭う初老の男に感銘を受けた理由がお分かり頂けたでしょうか? その理由は、僕の知る多くの作家(在野の研究者)達の悔し涙を思い起こさせたのです。
 彼らの主張全てが正しいわけではないにしろ、一片の真実に肉薄している可能性はあるはずです。彼らのうれし涙が見られるのは何時のことなのか? その壁はあまりに厚く巨大です。マスコミは常に権力の側にあるのですから。でも、いつかはその壁の一角が崩れ去ることを期待し前に進むしかありません。
 ですので僕は今、若い研究者の方々に期待しています。そして、彼らに敢えて言います。トンデモ本は宝の山であると。その中から真理の煌めき見い出し、さらに磨きをかけ世に問い続けてほしいのです。

 歴史は過去の事実の積み重ねですが、これまでのマスコミのやり方は、彼らのその仮説の一部を取り出しその矛盾点をあげつらね、仮説そのものを全否定するというやり方です。でも歴史に関して言えば、一人の作家の仮説全てが正しいことなどあり得ません。全てを見通している神様ではあるまいし、それは不可能というものです。
 若者達にアドバイスします。あなた方はその逆をすればよいのです。まず優れた作家の特徴はこれまでとは異なる視点、或いは方法論を持っていますので、これを踏襲します。また歴史はその流れが重要ですから優れた仮説の大筋を掴みます。次に矛盾と指摘されたその一部に対し、作家のあげた根拠を再検討し、或いは別の角度から見直し、それを修正してゆけば良いのです。
 簡単そうに書きましたが、実は長く険しい道程になることをでしょう。ですが、それは日本人にとって、ひいては人類にとって大きな貢献を果たすことになります。何故なら我々の知る歴史には意図的に隠された部分が潜んでいますが、それを謎を解く鍵は日本の歴史の真実にあるからです。
 そんな馬鹿なとお思いでしょう? でも僕はそれを信じているのです。

 これについてはいずれ書こうと思っています。

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