不思議なお話No47 トンデモナイお話と情報操作 そのT

 今回のお話は、題名にもあるように第47番目ですから、本来は、これまでそうしてきたように「トンデモナイお話」の最後に追加すべきなのですが、散々迷ったあげく最初に配置することにしました。何故なら今回は、僕がトンデモナイ諸説に興味を抱く根本原因について述べようとしているからで、皆様がこれから読まれるであろう僕のエッセイを、僕と同じ視点で読んで欲しいと思ったからです。

 今の世は、トンデモナイ諸説(映像を含む)がインターネットを通じて垂れ流しにされています。とは言え、僕も何億分の1であってもその一翼を担っているわけですが、実は僕の場合、外部からの情報については、常にその裏の裏を読もうと無い知恵を絞っていますし、それが読み解けず、且つ、それでも一片の真実があるかもしれないと感じたら、それについて出来るだけ論評は避け、そのままの記述を紹介するという姿勢を貫いています。
 何故そうするかと言えば、それをどう判断するかは読む方の自由ですし、或いは僕より頭脳明晰な方が、その背後にある真実を読み解いてくれるかもしれないと思っているからに他なりません。

 それでは、僕が何故トンデモナイ諸説に惹かれるのかお話します。そもそも僕のそうした性向の原因は、僕らの世代が体験した暗い過去に根ざしており、従って最初に僕たちの世代の特殊性について言及しようと思います。
 それは、僕たちの世代がテレビ媒体に初めて接したのが、小学校低学年の頃であり、それこそ多感な時代に突如現れたテレビ媒体に、魂を抜き取られたかのごとく取り憑かれたということです。
 その頃に流されていた映像は、日本にはそのノウハウがまだありませんでしたから、アメリカで製作されたテレビ番組がメインでした。テレビもそれほど普及しておらず、子供たちはテレビのある家に押し掛けて、固唾を飲んでドラマのテーマ曲を聴き、これまで見たこともない映像の世界に心躍らせたものです。
 そこに描かれていたのは、素朴で、どこまでもお人好しで、正義感と信念に満ちた力強いアメリカ人の姿でした。彼らもそのような人物を理想としていたということでしょう。ホームドラマはほのぼのとして優しさとユーモアに満ち、西部劇のヒーローは毎週のように事件に巻き込まれるという忙しさですが、エネルギッシュに悪人どもをなぎ倒しておりました。

 そして僕らが最も目を瞠ったのは、彼らの物質的な豊かさ、特に食べ盛りな僕たちが度肝を抜かれたのは、見たことも聞いたこともない豪華な食事です。
 子供が鳥のもも肉を丸かじりする映像を、僕はそれこそ生唾を飲み込み、目をまん丸にして見詰めていました。その時に感じたのは、こんな国と戦争して勝てるわけはなかったのだと、分別など微塵もない子供ながら妙に納得したのですから、今にして思えば、あの時代のテレビドラマは、アメリカの日本国民に対する洗脳の一環だったのかもしれません。

 そして、僕らの大好きだったアメリカにおいて、あの衝撃の事件が起きます。1963年11月22日金曜日、テキサス州ダラスにおいて、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが暗殺されたのです。その映像は世界に配信されましたから、13才であった僕も、リアルタイムでその映像に接っしました。その衝撃は今でも忘れることは出来ません。
 オープンカーの座席に座るケネディの頭部で何かが弾けたように見え、そしてガクッと項垂れます。妻のジャクリーヌは、腹這いになってオープンカーの後方に手を伸ばして何かをつかもうとしていました。ジャクリーヌは遺体が搬送された病院で、その手にしたケネディの脳の破片を医者に手渡しています。
 その事件の直後、現場近くで実行犯としてリー・ハーヴェイ・オズワルドが逮捕されますが、わずがその二日後には、マフィアとも繋がりがあると噂されるバーの経営者、ジャック・ルビーによってこの主犯とされるオズワルドは射殺されてしまいます。
 こうして、オズワルドは証言台に立つこともなく、「俺は嵌められた」という言葉のみを残してこの世から消え去りますが、かつて海兵隊でロシア語を学び、ロシアに亡命したことのある彼が、唯のネズミであるはずはありません。
 また借金だらけのバー経営者・ジャック・ルビーが事件直前急に羽振りがよくなったという証言があり、金で雇われた暗殺者だった可能性は大です。このジャック・ルビーも数年後、獄中で急に悶え苦しみだし、敢え無い最後を迎えます。

 大学時代、その時の衝撃を未だ引きずっていた僕は、ケネディ暗殺に関する書物を読みあさりました。そして、アメリカ政府の公式見解であるオズワルド単独犯行説、そして後方からの銃弾が致命傷ということに関して浮かび上がる疑惑の数々。後方からの銃弾がケネディの脳を後方に飛ばした? 
 僕は怒りに震えました。いったいあれは何だったのか? 事件直後、画面一杯に「SHAME」という文字を映し出し、あのような事件を引き起こした自国の政治風土を「恥辱」と心の底から叫んだマスコミ人は何処に消えてしまったのか、という怒りでした。
 その怒りをさらに増幅させたのは、その膨大な調査資料及び証拠品の数々が2039年まで封印されているという事実です。それについて書かれたウィキペディアの記事を参考のためにそのまま掲載します。以下をお読み下さい。

『証拠物件の公開が政府によって、2029年(下院暗殺調査委員会)もしくは2039年まで不自然にも制限されている。資料はアメリカ公文書図書館に保管されているが公開されるのは2039年とされている。しかし、現在でも資料の多くが紛失しているため、2039年に公開されても完全に真実が明らかになるかどうかは未知数である。』

 この事実を知るに至り、僕は、幼少の頃、突如目の前に出現したれたテレビという媒体に洗脳されていた、そして騙されていたと実感したのです。どこまでも善良で、正義感に溢れ、信念を貫き通すというアメリカ人のイメージは崩れ去りました。いや、そのような庶民が多いことは経験上分かっているのですが、そうした人々も、僕たちと同じように洗脳されているのだということが厳然たる事実として僕の脳に刻まれたのです。

 あの暗殺事件から半世紀がたちました。あの当時、怒りに震え、正義が執行されることを熱望したアメリカの同胞達はどう生きたのでしょうか? テレビ画面一杯に「SHAME」という文字を映し出させたマスコミ人は、その後どう厳しい現実と折り合いをつけたのでしょうか? 彼らの絶望と苦悩は、僕を遙かに上回るものであったことは容易に想像がつきます。
 恐らく、彼らは、家族を、そして愛する人を守るために、知らず知らずのうちに自分の良心を麻痺させる道を選んだと思います。ユリウス・カエサルはこう言っています。「人は自分の見たいと思う現実しか見ようとしない」と。つまり、彼らは見たくない現実を意識から遠ざけたのです。
 何故なら、彼らが直面した現実は僕らの想像を絶するほど厳しいものだったからです。ケネディ暗殺の証人達が申し合わせたように次々とあの世へと旅立ち(その数12人)、ケネディ暗殺からわずか5年後、1968年にはケネディの弟・ロバート・ケネディも兄同様銃弾に倒れるのですから。あの映像に接した我が同胞達の衝撃を思うと同情に堪えません。

 皆さんはアトミックソウルジャーという言葉をご存じでしょうか? この単語をインターネットで調べてみて下さい。動画も見ることができます。とりあえず、ウィキペディアの以下の解説文を掲載しておきます。

『1945年〜1960年代にかけて核実験演習に参加し、キノコ雲への突撃行為等によって放射線に被爆した兵士たちのこと。兵士たちには線量を測るフィルムバッジが付けられたが、被爆したアルファ線のみが測定された。また、兵士たちは事前に筆記テストを通じて、放射線の影響は取るに足らないものであると学習させられていた。』
 
 僕の思い過ごしでしょうか? 悪魔の所行とも思われるこの実験が中止されるのは1960年。そしてジョン・F・ケネディが第35代大統領宣誓就任をしたのが1961年1月20日。ケネディ暗殺はそのおよそ3年後です。

 さて、ここまで読んだ皆さんは、以上のお話と「トンデモナイお話」を好む僕の性向がどう結びつくのかという疑問を抱いていると思います。でも、極めて密接な関係があることだけを、ここでは述べておくにとどめます。
 この続きは次章にて・・・。

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