不思議なお話No38 「巨石文明…その沈黙の彼方にU」 


 今回のお話は、前章「不思議なお話 No37」の続きですので、お読みでない方は一度お戻りになってご一読下さい。とは言っても、この章だけでも意味は分かりますので、面倒な方はここからお読みになっても一向にかまいません。

 前章では、宇宙考古学者の巨石遺跡の製作者は宇宙人であるという主張に反論して、その可能性はあるとしても、巨石遺跡が過去の大洪水等による大災害によって、人類が失ってしまった文明の痕跡であるという可能性を提示しました。僕としては、いきなり宇宙人を想定するより、その方が自然に感じたからです。
 それでは、最初に僕が宇宙人についてどう思っているかをお話したいと思います。実は宇宙人は地球を訪れているといると思っているのです。それも何億年も前に。以前、「不思議なお話NO21 ロシアの隕石とUFOについて」でサンダル(僕には踵があることから靴だと思いますが)に踏み潰された三葉虫の化石の話を紹介しました。その頃は写真掲載のしかたが分からなかったのですが、今は出来ますので下に写真を掲載しておきました。この写真は「Whoの日記」というホームページから借りてきたものです。その中の記事に興味深いことが書いてあります。写真をクリックすると飛んでゆきますので、是非お読み下さい。
 
 さて、これをどう解釈すればよいのでしょう?三葉虫はカンブリア紀に現れて古生代の終期(2億5千年前)に絶滅した節足動物ですから、それ以前に踵のある靴を履いた人間がこの付近を歩き回っていたことになります。これを、貴方ならどう解釈しますか? どうします?貴方はこの化石を見なかったことにして無視しますか? それも良いアイディアだと思うのですが、毎朝の寝覚めが悪くなると思いますよ。一度見てしまったのですから、この際ですから思い切って一歩踏み出してみたらいかがですか。こんな時代に人類は存在していないのですから、これは宇宙人の足跡に違いないと。
 実は、この足跡の化石と、そして今から十数年前に見た或るテレビ番組の内容が僕の頭の中で繋がってしまったのです。僕の頭は実に単純明快な作りになっておりますので。そのテレビ番組はNHKのドキュメンタリーで、カンブリア爆発(生物の種が爆発的に増え、現在生息する動物の種の殆どはこの時に生まれた)を題材にしていたのです。その中でナレーターが語った言葉が今でも僕の記憶におぼろげながら残っています。こんな感じだったと思います。
「このカンブリア紀に、地球が生命の一大実験場になったようかのような様相を帯び、突如として生命の種が爆発的に増加したのです」
 そして様々な形態の生物が現れては消えてゆき、現在まで続く基本的生命の形が出来上がったのです。つまり、人類の祖先となる種がこの時に創られたのですが、このカンブリア爆発にこのサンダルを履いた宇宙人が関与していたのではないかと思っているのです。このサンダルの大きさは26センチだと言いますから、標準的な人類と変わりません。恐らく人類と同じ顔かたち、そして体の作りも同じでしょう。旧約聖書、創世記にこうありますから。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」と。
 宇宙人達が、現代のバイオテクノロジーの研究者が随喜の涙を流すであろう巨大な実験場で全てをやり終えてから数億年単位の月日が流れ、類人猿が現れると、辛抱堪らず思わずそのその遺伝子を操作して人類を創造したのだと思います。僕だったらそうしますから。とにかく僕は待つのが嫌いな質なのです。数億年は待てても、すぐそこがゴールだと思うと心が焦れて、つい手を出してしまったのだと思います(笑い)。

 となると、人類の歴史は何時始まったのでしょう? 常識的に考えれば人類の歴史はネアンデルタールの出現をもって始まるとするなら30万年ということになります。骨の出土した地層の地質学的年代を否定することは出来ないと思うのですが、これにも僕は疑問を持っているのです。僕は地質学の斉一説を否定するつもりはなく、それは大異変後の地質構造を説明するためには有用であると考えています。
 そして、大異変などそうそう起こりませんから、それを前提にする必要もないのでしょうが、僕は10万年単位でみれば大異変は何度も起こっていると思っていますので、人類の歴史はこの30万年より古いのではないかと考えているのです。かつての海岸線、今は海の底にある大陸棚に、或いはその真逆の高い山脈の頂上付近に、その痕跡があるような気がするのです。

 こう考えてきますと、人類って幼いですよね。それに比べて人類を創造した宇宙人が未だに健在なら、彼らは神の知恵に少し近づいていると思います。僕達人類より数億年の知識と体験を積み重ねてきたのですから。僕のホームページのテーマである不思議についても、物理学的アプローチがなされ、その結論を見いだしているかもしれません。我々の現代物理学の常識など彼らにとって生まれたての赤ん坊の知恵くらいにしか思えないでしょう。そうお思いになりませんか?
 えっ、この宇宙人は、今どうしているか、ですって? そんなこと僕に聞かれても分かるはずもありません。今、飛んでるUFOは、彼らが運転しているのか、ですって? それも同様です。

 さて、そろそろ本題に入りたいと思いま。今回のテーマは僕の頭を長年悩まし続けた古代の神々の残虐性という問題を取り上げます。題材は旧約聖書、そしてこの不思議なお話シリーズで何度も取り上げているゼカリア・シッチンの著書から引用します。

 旧約の神ヤハウエはカナン人を心から憎んでおりました。カナン人の都市、ソドムとゴモラに硫黄の火を降らせて滅亡させましたし、ユダヤの民を導いて約束の地として与えたえましたが、そこはカナンの人々が平和に暮らす土地でした。そしてヤハウエはこうも言っています。「あなたがたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさなければならない」と。
 またヤハウエの憎んだバール神(カナン人の神)は赤子の生け贄を要求しました。その信奉者であったカルタゴ人は、ポエニ戦役の末期、それまで奴隷の赤子を犠牲にしてきたことがバール神を怒らせ、このような悲劇を招いたに違いないと解釈し、自らの赤子を猛火の海に投げ込んだと言います。しかし、彼らの思いは神には届かず、ローマによって滅ぼされます。このように人の血を求める神々の残忍性はどこからきたのでしょうか。それが僕の長年の悩みの種だったのです。
 でも、よくよく考えてみれば、これと同じような現象は現代でも見られるのです。例えば自爆テロですが、無辜な市民、まして女や子供まで犠牲にしたとしても、それが正義の戦い、聖戦であるかぎり実行者は天国に召され、永遠の命を与えられることになります。
 また、時代を遡れば中世に始まった魔女狩りでは数万人もの女性が残酷な刑罰の犠牲になったとされていますが、これはローマカトリックの本山が魔女の存在を認め、その弊害を説いたことに始まるのです。これらの現象の陰に見え隠れするのは聖職者の存在です。神の意志を人々に伝える存在としての聖職者がいるのです。
 実は、不思議なお話No37で何度も紹介したゼカリア・シッチンの著書「神々の起源と宇宙人 マヤ・アステカ・インカ (5次元文庫)」で興味深い記事を見つけました。要約するとこうなります。
 「紀元987年、聖職者達の抗争があり、トルテカの王トピルツイン・ケツアルコアトルはトランを去った。その抗争の原因は、『戦いの神』をなだめるための人間の生け贄を要求する聖職者の勢力が強くなったことが原因である」
 トルテカの聖職者は本当に神々の声を聞いたのでしょうか? 神々が生きた人間の心臓を取り出して捧げよと本当に要求したのでしょうか? いずれにせよ、これ以降、神を讃え崇める祭日は血塗られたものに変貌したのです。街中が血に染まったという記事を何処かで読んだ気がします。その犠牲者のことを思うと心が凍る思いです。
 
 それでは古代の神話のルーツとされるシュメール人の神話の元々の神々はどんな神様だったのでしょうか。彼らの後継者とされる神々と同じように残忍だったのでしょうか?残念ながら現在遺されているシュメールの神話(粘土板)は、彼らが力を失い、アッカド等のセム系諸部族と混血して以降のものが大半で、既に初期の伝承からかけ離れたものになっていると思われます。
 実を言いますと、僕は、シュメール神話には、先に述べたサンダルを履いた宇宙人の伝承が含くまれていたと考えているのです。何故ならシュメールの人類創造神話には、現代の遺伝子工学に通じると思われる記述が存在するからです。その記述とは、神々の血(精子?)と地上の粘土(猿人の卵子?)を混ぜあわせた物を女神達の子宮に入れ(代理母)、10ヶ月で人類を誕生させたと書かれています。
 しかし、当初の人類は生殖機能を持っていなかったようで、この後はゼカリ・アシッチンの解釈なのですが、クローン技術による量産、次いで完全なる人類、つまりアダムとイブを創造したと言うのです。クローン人間量産については、シッチンは南エラムで発見された、同じ形の人類が列をなす構図の岩絵を参考として掲載しています。
 実は、シュメール神話において人類創世にに関わった神は、「不思議なお話NO11 古代史の迷宮へ、ようこそ」で紹介した日本神話のスサノオノミコトにそっくりなエンキ神なのですが、その岩絵にはエンキ神とニンフルサグ女神と思われる夫婦神が描かれています。ニンフルサグは、クローン技術による量産以前に、エンキ神に説得されて、実験のために神の血と地上の粘土をその子宮に入れた最初の女神なのです。

 シュメール人達は、チグリス・ユーフラテスの河畔辿り着き、定住していたウバイド人達にどのような神を語っていたかを探るのは容易ではありません。ゼカリア・シッチンの著書にそれを求めるのは無理というものです。でも、手だてがないわけではないのです。それは庶民の声を拾い上げることです。しかし、残念ながら僕の持っている筑摩書房の「古代オリエント集(厚さ5センチ)」の格言集は数ページしかなく、しかも神に言及しているものが全くありませんでした。近くの書店(僕の住む町では最も大きな書店)で探したのですが見つからず、かといって東京まで行くのは面倒で…。
 そんなとき、幸いにもツイッターで古代シュメール人達の呟きをツイーツ(古代シュメール人たちのつぶやき)する人がいることを知り、早速フォローしました。(もし、皆さんもツイターをやっておられるなら、是非フォローしてみてください。数千年前の古代人の呟きを読むことが出来ます) そして見つけたのです。たった二つしかありませんでしたが、それは僕の想像していたことを裏付けているものだったのです。古代シュメール人の呟きをお聞き(お読み)下さい。
 その1
「信頼できる船に、ウトゥ神(太陽神、正義の神)は信頼できる港を探し出してくれます。信頼できない船は座礁するのです」
シュメール格言集より。
何となく意味は解るような・・・・解らないような・・・

 これは「信頼できる船」を、「ウトゥ神を信じる船長の船」はと解すれば理解できます。つまり、ウトゥ神を信じていれば、それに応えてくれると…。
 その2
「物陰に隠れる事もせずに、日中に堂々とディープキスをする事。それはウトゥ神の忌み嫌う行為なのですよ」 シュメール格言集より。 人前でイチャイチャするな!という事か? ウトゥ神=太陽神、正義の神。
 どう、お思いになります?これを読めば、ゼカリア・シッチンが主張するように、神々が人類の前に君臨していた、つまりすぐ近くに建立されていた荘厳な神殿に実際にお住まいになられていたなんて、思いもしないでしょう?明らかに、古代シュメール人達は自分たちのウトゥ神を絶対服従を強いる神ではなく、自分たちの守り神として捉えていたし、今様の若者達の放埒さに苦笑いしながら天から眺める神でしかありません。
 もう一つ例をあげます。それは僕の持っている佑学社「古代メソポタミア文明の源流 シュメール文明」に収録された叙事詩です。主人公はウルク第一王朝の二代目の王、太陽神ウトゥの息子にしてイアンナ女神の寵愛を受けたとされるエンメルカルです。彼はペルシャの豊かな町、アラッタの攻略に手を染めますが、最初は交渉から入ります。エンメルカルの使者はアラッタの王にこう切り出します。
「イアンナ女神がアラッタの民に対して武器を手に持って立ち上がったのだ。宣告を下し、アラッタを拒絶したのだ」と。
 つまり、女神が金銀財宝を差し出せと命令していると言うのですが、アラッタの王は、自分達こそイアンナ女神の保護下にあるのだと言って、エンメルカルの要求を退けるのです。この叙事詩は、ウルク第一王朝時代のものですから恐らく紀元前3000年紀の初期のものと思われます。残念ながらゼカリア・シッチィンの著作の中のイアンナ女神のようにシェム(UFO)に乗って活躍することはありません。
 それはともかく、僕にとってこのツイッターの情報での最大の収穫は、シュメール人の主神がウトゥらしいということだったのです。何故なら、僕の18年前に書いた最初の小説、1000ページのうち半分は古代史というとんでもない小説の中で、僕は旧約聖書の神、ヤハウエが実はシュメール神話の、ウトゥだったのではないかと推測しているのです。その小説の旧約聖書に関する章の最後にこう書いています。
「ヤハウエはウトゥではないのか? ヤハウエと発音される神聖四文字『YHWH』をウトゥと読めないものか?ヤハウエは或はウトゥの子孫なのか? 島野はいまだに悩んでいる」

 島野というのはこの小説の主人公の名前です。神聖文字「YHWH」は何かの暗号でそれを入れ替えればヤハウエではなくウトゥと読めないものかと悩んでいるのです。
 でも不思議に思いませんか。これは偶然は単なる偶然でしょうか? 僕は古代の神々の残酷さはその神を崇めた民族の、というよりその聖職者達の心を写したものではないかという考えを随分前から抱いていました。しかし、それをどう証明したらいいのか全く分からなかったのです。
 でも、ある時、古代シュメール神話の原形は、どのようなものであったのか? という疑問が湧いてきました。僕の仮説、シュメール神話にサンダルの神の伝承が伝えられていたとすれば、その神はもっと穏やかで優しい神であったはずだという思いがあったからです。シュメール神話はバビロニア、アッシリア、エジプト、それぞれの神話の、そして旧約聖書の源なのです。シュメール神話の原形を知ることが是非とも必要だと感じました。それを知るにはシュメールの庶民が神をどう語っているかを知るのが一番だと気付いたのです。
 それが、たまたまツイッター登録した直後だったのです。そうです、ツイッターでシュメールを検索し、あの呟きの主を見つけたのです。そればかりではありません。なんと、シュメール人の主神がウトゥだと言うのですから驚くばかりです。これは、またしても僕の妄執が引き寄せたカスの情報なでしょうか、いまだに悩んでいます。

 というわけで、もし、ヤハウエがウトゥであるとすれば、とんでもない事実が浮かび上がってきます。長年僕を悩ませ続けた旧約聖書のある記述の謎を解く鍵が隠されていたのです。その記述は以下の通りです。
「カナンは呪われよ
    奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ」
 これは洪水伝説の主役、ノアが酔いから覚めると、末の息子(ハム)がしたことを知り思わず口走った言葉です。でも、これだけでは何のことなのかさっぱり分かりませんから、僕が18年前に書いた文章を添えておきます。
『ノアの息子は3人いた。セム、ハム、ヤペテである。あるときハムはノアの裸を見て二人の兄弟に告げた。セムとヤペテの二人は父の裸を見ないようにして着物で父の裸を覆った。
 ノアは眠りから覚めハムのしたことを知り、こう言う。「カナンは呪われよ、奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。』と。この言葉は、現代も生きており、カナン人を黒人と解釈し、差別主義者の理論的根拠になっている。カナンとはこのノアの裸を見て兄弟に告げたハムの子孫なのである。
 ハムの子孫とは、旧約聖書によれば、クシュ、エジプト、プト、カナンとある。ましてノアの裸に何が隠されているのかは分からないが、秘密を見たのはハムであり、カナンではない。従ってここでノアは「ハムは呪われよ。」と言うべきであり、もしその子孫も呪われるほどの悪事であるなら、ハムと、そのすべての子孫が呪われるべきである。しかし、どうした訳かノアが呪ったのはカナンなのである。
 旧約聖書は編纂されたのは紀元前10世紀前後と言われるが、エジプトの地からヤハウエによって救い出されたユダヤ民族が、約束の地カナンに至り、先住民であるカナン人を滅ぼしたのもその頃であろう。つまりカナン人は、ユダヤの民を率いたヤハウエがどうしても滅ぼさねばならない敵であったのであり、実はそれなりの理由があったはずでである。カナン人の祖先であるハムが、ノアの裸を見たからではない。そして自ら『妬みの神』と名乗るこの神は復讐をとげた。カナン人が何をしたのか。何に対する復讐か。それは聖書には書かれてはいない』

 
 そろそろお休みの時間が迫ってきました。僕の思考回路にまでアルコールが回っているようです。文章も相当の長さになりましたので(原稿用紙21枚)この章を閉じたいと思います。続きは次回「巨石文明…その沈黙の彼方にV」にて…。
 そうそう、この続きが出来上がる前に読んで頂きたい論文があります。この章で述べたカンブリア爆発について、いずれ僕の仮説を書きたいと思っていたのですが、以前からその論拠にしようと思っていた生物を詳しく調べてみると、僕の思惑が外れていることに気付きました。当分書けそうもないと落胆していた時に出合ったのが、下に記載したのホームページの論文です。
 その論拠にしようとしていた生物の実体が僕の思惑通りだったとしても、これほど説得力のある文章は書けなかったと思います。ダーウインの進化論に対する痛烈な批判と人類の誕生に関する秘められた真実に近づく道筋が示されています。是非、ご一読下さい。何時になるか分からない、僕の次なる妄想には不可欠な知識です。
URL:http://www14.plala.or.jp/tm86/newpage3.html

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