不思議なお話No37 「巨石文明…その沈黙の彼方にT」 

 

 このお話は、「不思議なお話No35 人類の隠された歴史」「No36 石器時代に戻る? 常識の壁?」の続きです。もし、お読みでない方は是非ご一読下さい。そして今回は、No35で述べたとおりゼカリア・シッチンの著書に基づいて話を展開します。まずは巨石文明です。

 いきなり写真というのも何ですが、まずは下の写真をご覧下さい。この写真は旅行会社「Travel.jp」の「クスコ旅行クチコミガイド」から勝手にお借りしたものです。とくとご覧あれ。なんと角が12角も取られ、それに接する周囲の石もその角にぴったり納まるよう加工されているのも驚異的ですが、赤丸と赤四角にご注目頂きたいのです。ほんの僅かにカーブを描くラインにも対応しているのです。まさに寸分の狂いもない精巧さです。僕の好きなトンデモ本では、「石をまるでバターを切るように加工している」と表現されます。
 このカミソリ一枚通さないといわれるこの石組みは、それを土台としてその上にクスコの街を築いたスペイン人達がやってくる遙か以前から、この地に根が生えているごとく存在し続けていたのです。いや、そのスペイン人が滅ぼしたインカ帝国の民でさえ、悠久の時を眠り続けた遺跡の新参者に過ぎなかったのかもしれません。新参者である彼らが積み上げた粗雑な石組みを見れば一目瞭然です。彼らががクスコにたどり着く以前から、それは厳然と存在していたものと思われます。
 今ではすっかり観光地になり、日本からの観光客もかなりの数に上るようで、このような貴重な写真を、金も暇もない僕に提供してくれています。実に有り難いことです。この写真を必ずクリックして「Travel.jp」にアクセスしてください。写真を使わせて頂いたせめてものお礼をしたいのです。

 

 次の写真はクスコを見下ろす山上に築かれた要塞跡とされたサクサイワマン遺跡です。この写真を掲載しているのは「マヤ インカ」というホームページです。非常に興味深い記事がありますので、写真をクリックしてHPにアクセスし、是非ご一読下さい。




 次の写真も「マヤ インカ」から拝借したものです。まさに巨石文明たる所以、その石の巨大さ、圧倒されるような威圧感、それらを肌で感じ取れると思い掲載しました。



 このホームページ「マヤ インカ」で以下の記述を見つけました。
 石の加工技術について 「1986年米国ミネソタ州のセント・クラウド州立大地球科学部教授のアイヴォン・ワトキンズ博士は、既存の諸説を否定して、超高熱加熱説を発表している。これは、多くのインカの切石の表面に鉱物成分と結晶構造の変容が発見された事から発表された仮説である」

 実は、この仮説は正鵠を射ている可能性大なのです。右下の写真をご覧下さい。これはメキシコ国立博物館に展示してあるアステカの古代都市トランで発見された5メートル近い石像ですが、この戦士像と言われる男性が右手で握っている道具にご注目下さい。この道具は学者達を悩ませてきたものです。
展示品 第6室トルテカ トゥーラの戦士像 - メキシコシティ、 メキシコ国立人類学博物館の写真 取って(把手)に続く六角形の部位、その先には細い銃身のようなものが付いています。いったいこれは何なのでしょう?
 これに対する答えが、僕の手元にあるゼカリア・シッチン著「神々の起源と宇宙人 マヤ・アステカ・インカ (5次元文庫) 」の中で語られていました。シッチンは、その道具は岩を加工するプラズマ・ピストルだとしています。驚いたことに、その著書にはこの石像の他に、一人の人物がボンベのような物を背負い、この戦士像と同じ形状の取っ手を握って、壁、或いは岩? に向かって火炎を噴射している姿が彫られた石版の写真も掲載されています。(800円の文庫本ですので、写真と言っても目の粗いものです)。残念ながら、このメキシコ国立博物館提供の写真を隅から隅まで見ましたが、これを発見することは出来ませんでした。(多分現物はあるはず)
メキシコ国立人類学博物館 (トリップアドバイザー提供)
 もし、ご興味があれば、著書名にアマゾンのリンクを貼っておきましたので、ご購入のうえご確認ください。火炎を噴射している姿が彫られた石版の写真は147ページと235ページにあります。
 でも、この著書をお読みになる前に、巻末の地球・先史文明研究家、浅川嘉富氏の解説からお読みになることをお勧めします。と言うのは、シッチンの説ではクスコの年代を紀元前2500年としていますが、シッチンの死後発見された遺跡の古さから、その年代を遙かに遡らなければならないことが分かっているからです。シッチンは何としても旧約聖書の神が、シッチンのご先祖様である古代ユダヤ民族と接触した時代に合わせたかったようです。 
 
 

 次に紹介するのはメキシコはラ・ベンダーで発見されたオルメカ文明の遺跡です。そのオルメカ人の人頭像は有名ですから、ご覧になられた方も多いと思います。明らかにアフリカの黒人と思える顔、それにヘルメットを被っているとしか見えません。
 メキシコ国立人類学博物館の写真この人頭像は、高さが2.5メートル、周囲が6.3メートル、重さが24トンにもなります。(現在まで16個の巨大な人頭像が発見されています)。
 シッチンが言うには、彼らの暦からその起源は紀元前3115年まで遡り、遺跡の石柱に彫られた日付から、彼らの末裔が紀元前31年まで生存していたことが分かっていると言います。
 このラ・ベンダの遺跡には、これら人頭像だけではなく、ピラミッドを含む神殿建築物、舗装された広場、祭壇、記念石柱などが、5キロにも及ぶ北から南への軸線にそって高度に地理的正確さで配置されており、オルメカ人の遺した暦からすれば(紀元前3115年)、明らかにインカ、マヤ・アステカ文明の先駆けであり、これら文明に大きな影響を与えたことは間違いないものと思われますが、シッチンはその逞しい想像力で、それぞれ文明の興亡に関する新たな仮説を展開しています。僕以上に想像力が逞しく、その牽強付会としか思えない記述が随所に見られますが、圧倒的な情報量の多さには驚くべきものがあり、思わず感嘆の声を発している自分がいました。シッチンさんには全く敵いません。
  メキシコ国立人類学博物館 (トリップアドバイザー提供)

 それらシッチンの新たな仮説については、お読みになった皆様にその判断を委ねたいと思いますが、その著書「神々の起源と宇宙人 マヤ・アステカ・インカ (5次元文庫)」の393ページににちょと気になる写真を見つけました。シッチンはマヤ・インカの文明に、彼の属するセム族ないし白人種が関与したと述べていますが、アンデス文明の母胎とされるチャビン文明においても、これこそ白人種がこの文明に関与した証拠としてこの胸像の写真を掲載していたのです。
 僕は、この写真はどう見てもアイヌにしか見えません。以前に「不思議なお話15 スクナヒコナのDNA」で、インカ帝国とアイヌの関わりを述べさせて頂きましたが、この証拠として使いたいくらいですが、皆さんはどうお感じになるのでしょうか? その写真は393ページに掲載されています。

 これまで、ゼカリア・シッチンの著書に基づいて、巨石文明の足跡を駆け足でみてきましたが、ゼカリア・シッチン著「神々の起源と宇宙人 マヤ・アステカ・インカ (5次元文庫)」にはそれぞれの遺跡について信じられないような事実(特に構造とその規模)が記されています。ずいぶんと前から、噂には聞いていましたがこれほどとはと驚くばかりです。ですが、何故かインターネットで検索してもヒットしません。僕はこの十年古代史の著作探しはやめておりましたので、はっきりととは言えないのですが、もしかしたらこれらの情報は出版界に流れていないなのでは、と思ってしまいます。(出版界、頑張ってください)

 さて、以上紹介した巨石文明ですが、シッチンはクスコ及びサクサイワマンの巨石については「あらゆる研究から分かったように、この巨大な石の塊は、はるか遠くで切り離され、幾多のの山脈や谷や山間、そして、ほとばしる川の流れを越えてこの場所に運ばれてきた」と書いています。また、オルメカの人頭像は、花崗岩とは比べようもなく固く、鉄の鑿(ノミ)でも筋をつけるのがやっとという玄武岩で製作されており、しかも、その石切場からは100キロ近い距離をジャングルや湿地帯を経て運ばれてきたということです。
 
 ここまで書いても、「いや、いや、石器、青銅器、或いは鉄器しかなかったとしても、根気よくやれば巨石だって削れるし、ロープで引っ張れば300トンくらい何とかなるはず」、と主張する頑固者の貴方に対しては、もう何も言いません。貴方の頑固さは尊敬に値します。でも、せめて僕がこれから展開する仮説には最後までおつき合い下さい。宜しくお願い申し上げます。
 
 
 前回「不思議なお話No36 石器時代に戻る? 常識の壁?」において、二つの非常識をあげました。一つは「過去、人類は何度も絶滅の危機を迎えた可能性について」です。そしてもう一つは、「過去には現在の知識を上回る文明が存在した可能性について」です。この前の不思議なお話No36では、隕石が落下し大津波を引き起こした場合を想定し、現代人が容易に石器時代に舞い戻るという仮説を述べさせて頂き、こうした人類絶滅の危機は何度も襲った可能性を示唆しました。
 今回は、二つ目のテーマ「過去には現在の知識を上回る文明が存在した可能性について」ですが、写真付きで縷々述べてきたにも関わらず、これら巨石文明が現代科学を越えるとする僕の主張をお認めにならないお方がおりますので、彼のために彼が理解しやすい思考実験を用意しました。それは以下の通りです。
 
 「時代は西暦2050年(今から37年後)、科学文明は飛躍的な進歩を遂げ、地球の周回軌道に250名を越えるスタッフを常駐させる宇宙ステーションを完成させており、さらにもう一機の宇宙ステーションも建設途中でした。宇宙時代の幕開けと世界の人々がうかれ、その宇宙ステーションの建設のニュース映像に人々が注目する中、信じられない情報が世界連邦政府にもたらされたのです。巨大隕石が突如軌道を変え、1年後、地球に衝突するという衝撃的な情報でした。隕石が海に落ちれば、津波の高さは300メートルを越えることになります。人類はまさに滅亡の危機を迎えていたのです」

 さてこれからが、いわゆる思考実験です。貴方は世界連邦政府のリーダーです。貴方は人類のために何をすべきでしょうか?

 僕なら間違いなくこうするでしょう。人類の種を安全の場所に移すこと、これあるのみです。まずは宇宙ステーションの完成を急ぎます。と言っても、そこに送り込めるのは250名でしかありません。世界中から優秀な人材5250人が集められ、選抜された250名は宇宙へと旅立ちます。残された5000名の人々は、3000メートルから4000メートルの標高に築かれた要塞に収容されました。この際、一般人は見捨てられるか、或いは高い山に非難するよう警告されるかもしれません。
 その要塞は巨石の自重のみならず角を幾つも形成して構造的に補強して作られました。その要塞の地に選ばれたのは、アンデス山脈山頂近く、周囲を山に囲まれたチチカカ湖で、ここが収容人口最大で3000人、残りの2000人は、ヒマラヤ山脈の麓、そしてアララト山の中腹に、それぞれ1000名づつ収容されたのです。(シッチンによれば、アンデスの全ての文明の母胎は、ここチチカカ湖岸から発しているそうです) 

 そして、世界は壊滅しました。一般の人に関して言えば、高地にしがみついていた僅かな人々だけが生き延びることができました。そして「不思議なお話No36 石器時代に戻る? 常識の壁?」で述べたように、彼らは石器時代へと突入したのです。彼らが歩んだ悲惨な運命については、不思議なお話No36をお読みの貴方にはくだくだと述べる必要もないと思います。彼らが文明という言葉を知るのに12000年も要したのです。
 一方、要塞でその命を繋いでいた人々が地上へ降り立ったのは大洪水から数千年経ってからです。地上は世界各地で破壊された原子力発電所から放出される放射能によって空気も水も汚染されていました。しかし、彼らを育んだ金属製のドーム型要塞も錆ついて破損がひどくなり、食料を供給していた施設も機能を失って地上に降り立つしかなかったのです。
 アララト山から降り立った人々はそれぞれの民族のリーダになるべく、聖書の記述に沿ってセム(中東)・ハム(アフリカ)・ヤペテ(白人)の地に散って行ったことにしましょう。しかし、その知識と技術を以てしても、野蛮人と化した人々を制御するのは難しく、時と共に生存競争という自然の摂理に巻き込まれ、そして野蛮人に同化してゆきました。
 ヒマラヤ中腹からシュメールの地に降り立った人々も、その言語と楔形文字を野蛮人達に遺すことは出来ましたが、結局、アララト山の人々と同様な運命が待ち受けていました。ただ、チチカカ湖の一部の人々だけは、シッチンの著書を考慮すれば、収容人口に比例してその知識と技術の担い手が多かったこともあり、野蛮人と化した人類の教化に成功したようです。そして各地に人類のための巨石設備を建設するところまでこぎ着けたのです。しかし、そこでも指導者達の人種的な争いが後を絶たず、戦争に訴えるという事態が頻発し、自らの力を削ぐことになります。そして他の地域同様野蛮人達に同化せざるを得ず、歴史の闇に消えてゆきました。

 ところで、シッチンの著書「神々の起源と宇宙人 マヤ・アステカ・インカ (5次元文庫)」には、黒人のオルメカ人だけではなく、明らかに白人やセム系と思われる人物が彫られた石版が数多く掲載されています。もし、紀元前にこれらの人々が南米にいたという事実と認めるなら、数千年間、チチカカ湖の要塞に避難していた人々が混血せずに人種的特徴を保持していたというのもおかしな話ですから、僕のこの物語は事実に則していないことになります。
 ただ、ここまでのお話は、先の12000年前の大洪水後の世界の歴史を解明する意図で述べたのではありません。大洪水後にこのようなことが起きたかもしれないという単なる思考実験にすぎません。とにかく頑なな頑固者のために、彼が知っている知識に基づき、先の大洪水にあわせて物語を再構築して彼の理解を促すためのものなのです。
 この物語で僕が最も強調したかったのは、先の大洪水、或いはそれよりずっと以前に宇宙に逃れた人類がいたかもしれないということです。そして彼らは宇宙という実験場としては最適な環境の中で科学技術を飛躍的に発展させていた可能性もあり得るのです。UFOを開発することも含めて…。
 宇宙考古学者は、これまで述べてきた巨石遺跡に関して、古代人がこれほど高度な技術を持っていたはずはないのだから、これらの文明を築いたのは宇宙人に違いないという主張を繰り返していますが、その前に、滅んだ人類が遺した遺物かもしれないと思う方が自然ではないかと思うのです。如何お思いでしょうか?
 
 おや、例の頑固者の姿が見えませんが?僕の主張に呆れて姿を消した?ふむふむ。どうやら、僕の文章力では彼を納得させることは出来なかったようです。

 実は、この不思議なお話No37は一度完結しているのですが、もう少し詳しく書きたいという思いを押さえられませんでした。ここまでで、既に原稿用紙換算で20枚ほどになっておりますので、章を別にして続きを書きたいと思います。次も是非お読み下さい。

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