不思議なお話NO30 日本人の特殊性U ノアの箱舟伝説

  今回は、「不思議なお話No29 日本人の特殊性T」の続きになりますので、お読みでない方は、上(又は左)の青文字のリンクをクリックして、ご一読後、再び戻ってきてください。読んでいませんと、この先へは進めませんので、ご面倒でも宜しくお願い申し上げます。
  前回の僕の結論は、次の2点です。
1)『人類の原初の言葉は、5母音プラス「ん」であったこと』
2)『日本人には人類の原初の言葉、まだ言語が発達する以前の、母音にも意味があった時代の右脳の働きがそのまま残されている』
  1)については、あくまでも僕の想像でしかありませんし、今回の、「何故、日本人は母音を右脳で反応するのか」というテーマとは直接関係ありませんので、脇に置いておくことにします。
  そして2)については、原初の言葉、つまり母音は、全人類が共通語として持っていたもので、民族や地域の独自の言語はそこから派生したと仮定して話を進めます。つまり、日本語は現代に至るまで、この原始人類の共通語を残している言語であることを前提とし、次に、他の近隣アジア諸国の、また白人諸国の言語から、何故この母音の意味が抜け落ちてしまったのかを推理します。
  これはいわゆるトンデモ本の手法と同じです。このトンデモ本の手法とは、ある仮説を、○○は××であるに違いない、とか、○○は××だとしか思えない、というように断定的に記述し、さらにそれを前提とした新たな仮説を立ててゆくという手法ですが、何故日本人にそのような特殊な脳が残っているのか、という想像を絶する、しかも検証不可能な問題について,、考古学者でもなく言語学者でもない僕が、ただただ想像を逞しくしてこの仮説に挑むのですからトンデモ本の同じ手法を取らざるを得ないのです。まずは、その辺をご理解の上お読み下さい。

  最初に取り上げるのは世界各地に残される洪水伝説です。というのは、日本人の脳の特殊性は、かつて存在した文明の名残ではないかと考えているからです。ここでも、一つの仮説を前提に話を進めます。その仮説とは、洪水前にも、それなりの文明があったということ。どの程度の文明であったかは分かりません。
  そして次に、あるいはご存じの方もおられるかもしれませんが、大洪水が実際に起こったことの明白な証拠を提示致します。この事実を知れば、これまで鼻で笑っていた方も考え直さざるを得ないでしょう。


  まず、洪水伝説で誰もが思い浮かべるのはノアの箱舟伝説です。これは神が堕落した人類を滅ぼすと決め、神に従う無垢な人、ノアとその一族のみを洪水から救うという旧約聖書・創世記の物語です。この物語はシュメールの洪水伝説を元にして書かれたと言われていますが、シュメール伝説でも神が人類を滅ぼすという設定であることと、神が箱舟の制作方法をこと細かく指示するところまでは一緒です。
  旧約聖書では、ノアは唯一神ヤハウエから箱舟制作の教えを受けますが、シュメール伝説では、ジウスドゥラ(旧約聖書のノアにあたる人物)は神々の一人であるエンキ神(不思議なお話で、僕が時々取り上げている神様です)から、指示を受けることになります。しかし、選ばれた少数の人だけが生き延びて、その後の人類の祖となることは共通しています。
  次に僕としては、その巨石遺構を見れば誰でも、現代文明を超える古代文明が存在したと認めざるを得ないペルーのインカ文明の洪水伝説に触れないわけにはいきません。(巨石遺構にご興味のある方は、「サクサイワマン」「オリャンタイタンボ遺跡」「クスコ」等をインターネットで検索してみてください。特に巨石の組み合わせにご注目。また、巨石と巨石を繋ぐ特殊な合金も発見されています)

  インカは13世紀から16世紀にペルーで栄えた文明ですが、かの巨石文明の担い手だったとは思いませんが、その知識・文化を色濃く受け継いだ人々だったようです。その伝説に語られた神ピラコチャが白い肌をし、髭をたくわえていたことから、黄金を求めるスペイン人を神の再来と信じたため、みずからの文明に終止符をうってしまったことで知られていいます。
  神ピラコチャは大洪水を起こした神としてではなく、その後の人類に文明をもたらした神とされていることから、南米の洪水伝説は自然災害として捉えられているようです。その洪水は全ての人間と動物を飲み込んでしまい、その水流は世界の最も高い山々をも覆い尽くしたと表現されています。伝説によれば、ある一つの箱の中に、或いは別の言い伝えによれば、ある一つの洞窟の中に、隠れていた一組の男女が生き延びたことになっています。これもシュメール、旧約の洪水伝説と同系統のストーリーだと言えます。
  こうした洪水伝説、とりわけ人類の滅亡と再生の物語は、世界の神話に見られる共通のテーマであり、そのことから世界的な大洪水が実際に起こったと信ずる人々は後を絶ちません。実は、かく言う僕もその一人なのです。
 
 それでは、上述したように、僕がその未曾有の大洪水が実際に起こったと信じるに至ったある事実について、これから述べることにします。以下の文章は、何度かお話している僕の最初の1000ページに及ぶ小説からの引用です。

 『この世界的規模の洪水が1万年数千年前に起こったことを裏付ける証拠が北の果ての大地に残されています。それは北極圏のいたる所で発見される動物の死骸の堆積です。何百万という動物たちが突然死滅し、永久凍土層の泥と水の中に急速冷凍されてとじこめられているのです。
  カナダ北部、アラスカ、シベリアでは、馬、野牛、剣歯虎、ライオン、鹿、熊、そしてマンモスの死骸が無残に引きちぎられ、集積した骨あるいは毛皮や肉が付いた状態で発見されています。さらに北極海に浮かぶ小島、リアコフ島はほとんど全体が巨大なマンモスの牙と骨によって構成されているです。&lt;br&gt;<br>
  マンモスの絶滅の時期については諸説ありますが、1万年前後とするのが通説です。その原因については、人間の大量殺戮が原因とする学説が主流うのようですが、上述の事実を見る限り、マンモス達は、突然襲った津波にさらわれ、潮流の最前部に乗って押し流され、そこに置き去りにされたとしか解釈しようがありません。&lt;br&gt; そしてこのマンモスが生存していたのはヴュルム氷期とされていることから、つまり最後の氷河期であるヴュルム氷期が終わり地球が温暖化すると同時にマンモスは突然姿を消したことになります。このヴュルム氷期が終わったのは1万2千年前のことです』

  いかがでしょうか。この事実を皆様はどのようにお考えになるのでしょうか?この大惨事を引き起こした原因はともかく、この事実を説明するとするなら世界的規模の大洪水以外の仮説が考えられるのでしょうか。もし別の仮説がおありなら、是非、僕にご一報下さい。
  ただし、動物たちの遺骸が北半球に集中していることから、この洪水の方向が南半球から北半球へと押し寄せたという前提に立たねばなりません。それと、突然濁流に呑まれ永久凍土に閉じこめられたマンモスの胃袋から発見された亜熱帯のシダ類の植物についても、ついでに謎解きをしていただければ有り難いと思います。

  さて、次にこの大洪水と日本人について述べたいと思います。先ほど、僕はその未曾有の大洪水が実際に起こったと信じていると述べましたが、もしそうなら、その時、人類は滅亡の危機に瀕したわけですが、僕はさらに、日本ではその危機に際し、他の国々に比べて生き残った人数が幸いにして多かった、と信じているのです。

  とはいえ、残念ながら日本の記紀(古事記日本書紀)には洪水伝説はありません。僅かに南方諸島の伝承として残されているのと、偽書として学会からは無視されている東日流外三郡史に記されているだけです。
  その東日流外三郡史にはこうあります。『かつて日本と中国は陸続きであった。人々は日輪(太陽)を父なる神、大地を母なる神として崇めた。誰一人、海を神として崇めるものはなかった。そこで怒った海の神は、自分の力を示威し、大津波(大洪水)を起こし、日本を大陸から分離した。』と。
  実は、この東日流外三郡史が編纂された200年前には、日本と大陸が地続きであったという地質学的知識はありませんでしでたから、学者達はこの文書が近年に書き替えられたに違いないと考えたのでしょう。しかし、津軽の三内丸山遺跡の発掘によって、これまでの狩猟採集で細々と血を繋いでいたという縄文時代のイメージが激変したのですから、この古代の歴史を詳述する文献をもう一度見直しする必要が生じているのではないかと思っております。
  ちょっと話が横道に逸れていまいましたが、実を言いますと、僕が注目しているのはこの縄文人達なのです。縄文人は大陸からの渡来した弥生人にとって代わられたような印象を持っている方が多いと思いますが、実際は違うのです。
 確かに当初、縄文人と弥生人は戦争状態に突入しますが、弥生人達が近畿に定住すると、その後、東北や新潟その他の各地からその近畿周辺に縄文人達が集まります。そして最終的には融合するのです。これは土器の発掘によって知られるようになった事実です。
  縄文人達は水田耕作という生産性の高いテクノロジーを学びに日本各地から遠く近畿の地までやってきて定住していたのです。どうです、縄文人って今の日本人の原形だとは思いませんか?日本人はテクノロジーに関して貪欲なのです。また、混血することについても何の躊躇もなかったようです。この傾向はこれ以降の時代も続いています。
  
  またしても横道に逸れてしまいましたが、そろそろこれまで述べてきた洪水伝説と日本人(縄文人)についての僕の考えを披露したいと思います。先ほど、人類滅亡の危機に際し、日本では他の国々に比べて生き残った人数が幸いにして多かったのではないかと述べましたが、その証拠が実は縄文土器なのです。

  縄文土器は世界最古の土器として知られておりましたが、最近、中国で縄文土器よりも古い土器が発見され、世界最古の地位を失いました。中国の研究者達が、最古の土器は中国で発見されるはずだと予言しておりましたが、苦節数十年、彼らの執念が実ったのですから、「おめでとう」と声をかけてあげたいと思います。
  さて、ここで僕が問題にしているのは、中国の学者達がこだわっている東アジア、シベリア等で発見されているサンプル数の少ない土器群や中国の世界最古の土器の破片などの源流が何処かということではありません。あくまでも、縄文土器の質と量が抜きん出ていることを問題にしているのです。 
 徐々に技術的に進歩してゆく過程、実用的なものからさらに芸術的にも優れたものを生み出していった情熱、そして、ついには異民族の侵入に際しては彼らの持ち込んだ新たな弥生式土器との融合という、連綿と続く縄文土器文化の歴史なのです。
  何故それが可能だったのか?答えは簡単です。他の国々に比べて縄文土器文化の担い手がずば抜けて多かったということです。何故多かったのか?この答えも簡単です。ヴュルム氷期 が終わった1万2千年前、地球は世界的な規模の大洪水に見舞われましたが、その時、日本ではたまたま各地に集団で生き延びた人々がいたと言うことです。
  
  あまりにとっぴな仮説をさらりと述べましたが、まず、信じろと言う方が無理難題を押しつけていると思われるかもしれません。でも、考えてみてください。大地は泥の海になりました。食べ物・飲み水のことががまず頭に浮かびます。それを確保しなければ待つのは死のみです。仲間がいれば、全員でない知恵を絞って、まず、煮炊きしたり、水を貯める土器制作に取りかかるでしょう。飯盒と飲み水はキャンプの必須アイティムですから。
  次に、調理や狩りに欠かせない刃物制作です。誰かが「石器を作ればいい」と叫べば、誰もが血眼になって石を探しに駆け回ります。とにかく、本能で高い山の頂に逃げていた動物たちが山からぞくぞくと下りてくるのです。それを見て誰かが「弓だ」と叫べば、何人もの人が木によじ登り、弾力性があるか否かを確かめるために枝にぶる下がり、その枝が折れて地面に叩きつけられて骨折する始末です。
 こうして、武器を手に入れた男達が、狩りに出かける姿を、そして木の実やキノコを採取した女達が、煮炊き用の土器の下に薪をくべる姿を思い浮かべてください。うーん、ちょっとありそうかも、とお思いになりませんか?
  
  以上は、もし、集団で生き延びた人々がいたとしたら、このようなことが起こったのではないかという想像ですが、実は縄文時代の創生期、つまり、ヴュルム氷期 の終焉とともに、日本の各地にその土器制作の萌芽が見られます。つまり一カ所ではなく複数の地域で、このような集団が動き出していたとしか思えないのです。ですからこそ、日本列島に質量ともに世界に類をみない文化が花開いたのではないかと思うのです。

  どうです、世界に冠たる縄文土器文化は、大洪水に際し、他の地域よりも、たまたま集団で生き延びた人々が多かったために、この日本で世界に先駆けて花開き、そして発展していったという、僕の仮説は間違っているでしょうか?

  それでは、最後の難問にに挑みます。「何故、日本人は母音を右脳で反応するのか」という問題です。このテーマに入る前に、最初にお断りした僕の仮説の前提について、再度確認します。それは「原初の言葉、つまり母音は、全人類が共通語として持っていたもので、民族や地域の独自の言語はそこから派生したと仮定して話を進めます」ということです。この前提を頭にたたき込んでおいて下さい。
  では、「何故、日本人は母音を右脳で反応するのか」という問いの答えを述べたいと思います。その答えは、先ほど縄文土器こそがその証拠であるとした仮説、日本人だけが、大洪水に際して、各地で集団で生き延びることが出来たということです。


  またしても言語学者でもない僕が、言語について偉そうに述べるのは心苦しいのですが、ここは一つ目をつぶってお許し頂きたいと思います。
  まず、以前、何かの本で読んだ言語に関するエピソードを紹介いたします。それはこういう話です。
  ある商社マンが、南洋の島に赴任して営業活動を始めました。とはいえ、のんびりとした土地柄故の失敗談には事欠きません。最初の失敗は言語に関する知識不足によるものだったのです。明日来ると約束したお客がとうとうやって来ませんでした。仕方なく翌日電話すると。またしても「明日、必ず行く」と言うのです。
  今度こそと、翌日、そわそわして待っていたのですが、やはり来ませんでした。その夜、バーで同業者にその話をすると、こう言われたそうです。この南洋の国では「明日」という言葉は、我々文明人が考える明日ではなく、明日から1週間の間だと教えられたというエピソードです。
  つまり、言語は社会或いは文化の成熟度や複雑さによって形成されると言うことです。従って、このエピソードのように、幼い言語もあるし成熟した言語もあるということです。そして、言語の形成はその文化を共有する構成員相互のコミュニケーションによって成されるのです。

  ここで、大洪水後の人々の言語に思いを馳せてください。グループで生き残った人々と、少人数で生き残った人々の差です。少数で生き残った人たちは組織を形成できません。兎に角、食や水の確保もままならないのですから、生き続けることで精一杯です。コミュニケーションの機会にも恵まれませんから、言語は減少の一途を辿らざるを得ません。そして、先祖から受け継いだ、母音に意味のあった時代の言語を忘れてしまい、母音を右脳で反応する機能の失われたのです。
  これに反し、グループで生き残った人々には、雨露をしのぐ小屋の制作、その材料の確保、粘土採取、土器制作、弓・矢・槍制作、石の採取、石器制作、狩り、水の確保等、思いつくだけでもこれだけの職能や役割が生まれます。つまり、集団で生き残った人々にしても、原初の状態に戻されたわけですから、言語数は減少したはずです。でも、ある程度は以前から持っていた言語を保持することが出来、母音を右脳で感じる機能がたまたま残されたのです。これが、日本人だけが母音を右脳で反応することの理由です。

  如何でしたでしょうか?よくもまあ、長々とした屁理屈を考え出したものだ、ですって? まあ、何とでも言ってください。とにかく、今回は、いつもの通り、漠然と考えていることまとめる作業だったのですが、思いの外時間がかかってしまいました。振り返ってみれば、最初の書き出しは遙か彼方です。途中で脱落した人々もいるかと思うとちょっと反省しています。そして、最後まで読んでくれた貴方に心より感謝申し上げます。

※僕がこれまで記憶していたヴュルム氷期終焉と縄文時代の始まりは12000年前と一致していたと記憶していたのですが、最近になってインターネットで調べてみると、縄文時代の始まりは13000年前〜16000年前となっており、書き手によってかなり違うようです。いずれにせよ、僕は、大洪水はヴュルム氷期の終焉の時代であり、縄文土器はその大洪水の後に創生期を迎えたと考えています。
  とにかく、氷河期の海水面は現在より100メートル以上低く、大陸棚は広大な陸地でした。現在世界の大都市が海岸沿に集中しているように、かつてもそうであったはずです。僕は、氷河がゆっくりと解け海水面も徐々に上昇していた時期、突如、何か地球的規模の大異変があったと考えているのです。
 


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