不思議なお話NO29 日本人の特殊性T

 今日は、日本人に関するちょっと刺激的なお話しを紹介しようと思います。それは日本人の国民性にも関係してくるのですが、最近の中国或いは韓国の国民性を眺めていると、日本の文化的源流が古代中国に発生した文明であり、朝鮮を経由して伝播したと言う彼らの主張には、どうも首を傾げたくなるのは、僕だけではないと思うのです。文化的には同じように釈迦や孔子・老子の教えが入って来たというのに、日本人と彼らの感性、或いはその精神性といったものが、行って帰ってくるほど異なっていいるのですから。
 最初に日本と中国・韓国との文化の違いに気付き言及したのは、十数年前に世界的なベストセラーになったサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」でした。ハンチントンは、これまでの日本の文化を中国・韓国文明圏の亜流という位置づけから一歩踏みだし、日本文明という言葉を初めて使い、その特殊性を主張したのです。文明の衝突論の詳細については記憶が曖昧になっていますが、日本に関する彼の文明論だけは強く印象に残っています。

 では、日本人の特殊性という本題に入ります。実は日本人の脳は近隣アジア諸国の、また白人諸国の人々の脳とは少し違うという事実なのです。(ただ、その研究成果を発表した学者も世界中の全ての民族の脳を検査したわけではないでしょうから、或いはどこか山奥の原住民の中に日本人と同じ脳をもっている方々がいるかもしれません)そして、それは日本語にも関係してくるのです。

 脳は右と左に別れておりますが、右は感性を左は理性を司ります。西洋人の論理的な思考は左脳によるところが多く、東洋人の情緒的な思考は右脳によることが多いと言われており、これは一般論としても世界的に受け入れられてきた文明論なのです。
 しかし、東洋人のなかでも日本人だけが特種な右脳の働きを持っていることが近年発見されたのです。どこが、どう違うかと言いますと、一つには、日本人だけが動物や、虫の鳴き声を右脳で聞くということ事実があげられます。
 西洋人も他の東洋人もこれらの音を意味のない機械音として左脳で反応しますが、日本人だけがそれを単なる音としてではなく、意味を感じる右脳で反応するのです。動物、或は虫の鳴き声を意志のある生物の言葉として認めているということでしょうか、或いは日本人の祖先は徹底したエコロジストだったのでしょうか?

 いま一つの特殊性があります。それは、日本人だけが母音を右脳で感じるという事実です。西洋人も他の東洋人も母音を意味のない音として左脳で感じるというのに、日本人だけが右脳で反応するのですから、日本人の際だった特殊性がご理解頂けたかと思います。
 これらの事実は不思議としか言いようがありません。 この違いは何処から来たのでしょうか? 或いは、日本人の脳の違いが独特の日本文明を創造したと考えれば、我々日本人が中国人・韓国人に感じる違和感も何となく納得されるのではないかと思います。
 
 さて、次に日本語がこの脳の違いに関係してくるのかどうかを考えてみたいと思います。これから述べる見解ですが、これは、僕の想像に過ぎませんので、軽く受け流していただいてけっこうです。とにかく、僕は言語学については全くの素人なのですから・・・。

 『あ、い、う、え、お、』と言う母音は西洋人にも他の東洋人にも、意味のない音として知覚されるというのですが、日本語の場合、『あ』と言う音は『彼(あれ)』『吾(わたし)』や『おいっ(呼びかけ)』『あっ(感嘆)』『はい(応答)』『あし(足)』等の様々な意味が含まれています。それは他の母音についても同じです。まず、このことを頭に刻み込んでおいて下さい。
 次に、読んで字のごとく母音は、全ての音の『母』、つまり言葉の基礎であるのです。何故なら、英語でもフランス語でもその発音記号を見てください。必ず「A」「i」「u」「e」「o」という母音が入っているはずです。これなくして言語は成立しないのです。
 また、子音を持続音で叫んでみれば分かることですが、例えば「馬鹿やロー」と叫んでみますと、最終的には「オー」という母音になっています。つまり子音はこの基礎となる母音の前に置いて、口の内側と外側を何らかの形で変形させて短音として発生させているのですが、母音は顎と唇を変形させるだけで、喉を開いて発生させることにより、短音或いは持続音でも、変わらぬ音を発生し続けることが出来ます。

 では、ここで、僕の意図する結論に近づくために、一つの思考実験をしてみたいと思います。次のようなシチュエーションを思い浮かべてみてください。
 人類がまだ言語を持っていなかった時代、貴方は家族とともに、今日、久々に捕らえた獲物を前に夕食に臨もうとしています。そこに見ず知らずの男が近づいて来ます。さて、貴方はどうするでしょうか?

 きっと貴方は家族を守るため、或いは久々に捕らえた獲物を奪われないため、「ウー」と唸って相手を威嚇すると思うのです。そう、犬が人間様を威嚇するときに発する唸り声です。貴方は必死で、或いは冷や汗をかきながら唸り続けます。
 この場合、音声は貴方の強い意志を示すために持続音でなければなりません。何故なら、まだ言葉がないのですから、「この野郎、一歩でも近づいてみろ、ひどい目に遭わせてやるぞ」などと自分の意志を言葉で相手に伝えられないのですから、唸り続けなければなりません。つまり、原初の言葉は持続音でなければ意志を伝えられなかったのです。つまり、母音です。
 では、近づいてくる男の場合はどうでしょう? 獲物を奪うつもりなら、相手の「ウー」に輪をかけて「ウー」と大きな唸り声を発するはずです。でも、腹が空いて腹が空いて、戦う気力もなく、「どうか少しでも分け前を頂けないでしょうか?」と、相手に阿(おもね)る意志を伝える音は何なのか考えました。威嚇の「ウー」はすぐ分かりましたが、これが難問でした。これには僕も思わず腕を組んで唸りました。「ウーン」と。・・・・「ん」!?
 この時、閃いたのです。近づいてくる相手に攻撃の意図ががないと知って、貴方は腕を組んで考え込みます。「ウーン?」と。
 もしかしたら、最後の「ン」は、「ウー」に対する否定語?相手に阿(おも)ねる音声は、子犬がそうするように、鼻に抜けるような「ウーン」或いは「ウン」ではないか?

 実は言語の発達過程を考えると、口の内側と外側を何らかの形で変形させて短音として発生させる子音は、その複雑さを考慮すると、単純に顎と唇を変形させて発声する母音の発生の後に来ると考えていました。従って原初の言葉は全て母音ではなかったかと考えたわけですから、相手に阿(おも)ねる音も、「ウ」以外の母音に違いないと思っていたのです。でも、「う」以外の「あ」「い」「え」「お」を何度となく発声してみたのですが、ぴったりとくる音がなかったのです。
 でも、思いあぐねていると、先程述べたように特殊な音「ン」があることに気付きました。そこで、「ン」は否定語の原形ではないかと思ったのです。つまり、「ウー」の威嚇に否定の語尾「ン」をつけて、「奴は威嚇するつもりじゃないのかも?」と考え込んだり、「私は威嚇などしておりません」と相手に阿る、鼻に抜ける「ウーン」や「ウン」になるのではないかと考えたのです。
 これにボディランゲージである、必死で首を横に振る動作を加えれば完璧です。

 例えば、日本語では「僕は男ではありません」と「ん」でそれ以前の文章を否定します。お隣の韓国語では「チアン」、そのまたお隣の中国語では「ピンイン」と「ン」の発音を伴うと辞書に書いてありす。そう、原初の言葉は、「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」の母音プラス否定語「ン」ではなかったかと思い当たったのです。
 でも、中には、世界共通語である英語の「ノー」には「ン」が含まれていないと反論する方がいるかもしれませんので、これについても検討しておきましょう。

 言うまでもなく、西欧諸国の言語の源は古代ローマ帝国の公用語であったラテン語です。ローマ帝国が滅んだ後にもヨーロッパ諸国では公用語として使われ続けました。その中で、ローマ帝国が最初に同盟国として組み入れたのは、当時はガリアと呼ばれ現在のフランスですが、このローマ帝国の優等生と言われるフランス(ガリア)の否定語は「ノン」で、この言葉はラテン語をそのまま引き継いでいます。
 これに対し英語の「ノー」には確かに「ン」が抜け落ちていますが、これについては歴史を振り返って見る必要があります。
 
 実は古代ローマ帝国は、その滅びる半世紀も前、西暦410年から英語発祥の地、ブリタニアから、既に引き上げています。時の皇帝、ホノリウスは360年にわたって常駐させてきた3個軍団に撤退を命じていますので、当時の公用語を使っていた人々が消え去ってしまったのです。
 つまり、この時からブリタニアでは西欧諸国のように公用語としてラテン語を使用することもなく、島国であるという地理的条件が重なって、諸部族(アングロ族、サクソン族、ケルト族)の独自の言語的な共通化が進んだ過程に置いてラテン語の「ノン」の「ン」が欠落して「ノー」という否定語になったと考えられるのです。
 誇り高き大英帝国の首相・チャーチルは、ドイツ民族をローマ帝国の文明化に浴さなかった野蛮人と揶揄しましたが、その歴史を振り返ってみると、ローマ帝国の文明化とその継承という点からみれば、ローマ帝国滅亡後、それを受け継いだ期間はドイツの方が歴史は長く、イギリスがドイツを馬鹿にするのもおかしな話ということになります。まして、ドイツ語の否定語は「ナイン」ですから。
 
 長い道程でしたが、ようやく当初の目的に近づくことが出来ました。つまりこういうことです。人類の原初の言葉は、5母音プラス「ん」であったこと。そしてひとつの母音には、表情、イントネーション、長さ、高低によって様々な意味が含まれていて、最初に僕が「頭に刻み込んで欲しい」と言いましたが、それは日本語の場合、『あ』と言う音は様々な意味が含まれていることに通じることなのです。つまり、日本人には人類の原初の言葉、母音にも意味があった時代の右脳の働きがそのまま残されていると言うことになります。

 ちょっと文章が長くなりすぎました。と、いうより、既に0時を回り、しかも酔いも相当回ってきていますので、次回「何故、日本人に原初の言葉に感応する右脳が残されたのか」というテーマを書くとお約束して、この章を閉じたいと思います。
皆さん、お休みなさい。

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