不思議なお話NO11 古代史の迷宮へ、ようこそ               
 今回はちょっと話題を変えまして古代史の話になります。
 17年前に書いた、僕の最初の小説について何度か触れましたが、その書き出しの章を要約してここに紹介します。書いた本人は大変な発見をしたと思っていたのですが、古代史の迷宮に迷い込むきっかけになった文章です。
 以前に僕の1000ページにも及ぶ小説を読まされた友人はさぞかし迷惑しただろうと書きましたが、のっけからこれですから、この章を読み終えた友人は、残されたページを暗澹とした気持ちで眺めたかもしれません。ですので、人類の歴史に興味のない方はパスして頂いてけっこうです。恨みません・・・ので。

1)この文章の結論

 『竹内文書』に始まり、ついでシュメール人、ドゴン蔟、古代バビロニア人そして『古事記』と、それぞれの神話が一つにつながったお話です。その神話は天孫降臨、つまり神が人間の前に降り立ち、文明を授けたということを記述しているということです。(ちなみに、ウィキペディアでは、この章を書いたH25年1月14日時点では、ドゴン族の神話は、「現在確認することが出来ず、研究者たちの勘違いとされている」とあったが、H25年12月4日4現在では「本当に古来からあったものかどうかについての結論は出ていない」とある)

2)竹内文書 とシュメール神話の共通項

 主人公島野が手に取っているのは偽書中の偽書と言われる「竹内文書」。まずここから推論が始まります。長いですがそのまま掲載します。

 『竹内文書』は第二五代武烈天皇が、竹内宿禰の孫にあたる平群真鳥に勅命を下し、密かに編纂させた歴史書と伝えられている。しかし、日本の正史といわれる古事記、日本書紀(以下記紀と記す)の記述によれば、この武烈天皇は、およそ歴史書編纂という文化事業を思い立つ人ではありえない。
 彼の所業の数々を聞けば誰でも身の毛のよだつ思いに駆られるであろう。例えば自分の部下を木に登らせ弓で射るとか、妊婦の腹を裂き嬰児を引き出したとか、およそ人間性のかけらも感じられないような残虐非道をやってのける人物として描かれているからである。
 万世一系の天皇崇拝を確立するための歴史書にしては、記紀における武烈天皇の残忍さの記述は尋常ではない。記紀を編纂させた当時の為政者は、200年以上も前に存在した武烈天皇をことのほか憎んでいたことになる。
 確かに、一部の学者は天皇家の万世一系が中断したとすれば、この武烈のときだろうと推定している。つまり、この『竹内文書』は、記紀とは別系統の天皇の歴史書の可能性もあることになる。
 もともと『竹内文書』には、島野の持論である超古代文明の滅亡に関する記述は随所にみられる。しかし人類の宇宙人起源説、日本の天皇の世界統治、さらに万教同根ともいうべき世界宗教家の日本での修行など驚天動地ともいうべき諸説は、当然のことながら歴史学者から全く無視されている。
 その歴史的記述が事実か否かは検証不可能であリ、信憑性も疑わしいとなれば、文献をそのまま鵜呑みにすることなど出来ない。信じるか否かという問題である。しかし語り継がれた昔物語には、何らかの事実の反映があることは間違いない。そして島野はそのひとつを捜し当てたと思っているのである。
 島野の興味を惹いたのは、『竹内文書』のこの一文である。 「その最高神は、ナンム、或はナンモと呼ばれた。」  
  この『ナンム』が問題であった。というのはこの言葉と同じ発音の神をもった民族がかつて存在し、また6000年という悠久の時を隔てた現在にも存在するという事実である。一つは太古シュメール民族であり、そしていま一つは現在西アフリカに住むドゴン族である。   

 紀元前4000年紀、メソポタミアに世界最古の文明を築いたシュメール民族の神話には様々な神が登場するが、その中でエンキと呼ばれる神は地球に最初に降り立ち開拓にあたった有力な神である。このエンキ神の母の名が、やはり『ナンムゥ』と呼ばれ、聖母マリアのごとく崇められたのである。その発音はまったく同じといってよい。
 このエンキ神は、後から天上より下って来た異母弟の皇太子、エン・リルによって地球の指導者の地位を奪われる。この神話は日本の国譲り神話のパターンと同じである。スサノオノミコトの子孫である国津神(地上の神)オオクニヌシノミコトは、天津神(天上の神)ニニギノミコトの降臨に際し、国譲りを迫られ、それまで開拓し統治してきた国を奪われるのである。同様にエンキ神も神々の会議によってそれまで開拓してきた地域をエン・リルに譲り渡している。それ以外にもこのエンキ神はスサノオノミコトによく似ているのである。
 さてこのシュメール民族は、中央アジアからメソポタミア入植し、突如として高い文明をもって栄えた謎の民族である。
 そこには銀行、商社、予備校、大学といった現在社会を構成する要素のルーツが、全てここで発生したと言われるほど複雑な社会を形成していたのである。つまり、彼らの文明は後に栄える古代文明より多くの点で高度に進んでおり、むしろ現代に近い社会構造を持っていたとされている。
 この他にも、例えば現在使われている星座の形と名称はすべて彼らからそっくり借用しているのである。その星座の呼称が世界的に共通していることを考慮すれば、その文化的影響はたんに中東だけにとどまらず世界に広がっていたとも考えられる。
 また地球の公転軌道と地軸の傾きによって生じる歳差運動も熟知しており、このずれが2160年で30度になることから、現在星占いに使用される黄道を12星座に分割したのも彼らである(30×12=360)。更に、近年コンピュータの出現をもって初めて解き明かされた太陽系の全ての惑星の公転周期の公倍数と一致するニネバ聖数などはその文明の高さを示す最たるものであろう。このシュメール民族は文献によるとビールを飲みながら、酢だこをつっついたとも言われている。実に興味深い。

3)竹内文書、シュメール、アフリカドゴン族との共通項

 次にこの『ナンム』或は『ナンモ』に似た発音の神を崇める今ひとつの民族が現代のアフリカにいるのである。それは、西アフリカの少数民族ドゴン族である。
 彼らはその元始神を『ノンモ』と呼んでいる。発音してみれば分かるが、竹内文書の『ナンム』『ナンモ』、或はシュメールの『ナンムゥ』と殆ど同じように聞こえる。彼らも、シュメール人同様、驚くべき天文学知識をもっていた。彼らの神話的伝承に基ずく信仰儀式とそれを表現した彫刻のなかに、未開人には入手不可能な知識が含まれていたのである。
 その知識とは、シリウスの伴星、シリウスBの軌道と周期である。その存在が現代人に確認されたのは1824年である。彼らの祖先の残した木彫にはこのシリウスBに関する記述があり、調査によるとその木彫の古さは12世紀にまで遡ってしまうのである。
 シリウス自体は肉眼でも確認でき、ドゴン族ははっきりとこの星を指し示したという。問題は、この木彫には肉眼では見えるはずのない伴星、シリウスBの軌道と周期に関する記述があることである。勿論この木彫は何度も彫り替えられてきたものであり、彼らがその知識をいつ頃から持っていたのかは定かではなく、12世紀以前にさかのぼることもあり得る。そして彼らの伝承によると今一つの伴星があるという。
 実は、イギリスの権威ある科学雑誌『ネイチャー』がドゴン族を取り上げた理由が、この今ひとつの伴星にある。最近この新たな伴星の存在を示唆する仮説が天文学者から提出されていたのである。従ってもし今一つの伴星が発見されればドゴン族の伝承が未開人の妄想と一笑に付すことが出来なくなる。
 このように、両者つまりシュメール民族とドゴン族との共通項は現代に匹敵するか、或はそれ以上の高い天文学的知識をもっていたということである。そして、次にシュエール文明の正当な後継者と言われる古代バビロニア王国を築いたアモリ人の神話に出て来る『オアネス』が、このドゴン族の『ノンモ』と、その神話や描かれた絵を比較すると、表現の違いはあれ、全く同じ神を指しているとしか思えないほど似ている。
 例えば、神が日が昇ると海から現れ人間と語らい、知識を授けたという伝承も同じだし、その神の姿さえ共通するものを持っている。バビロニア神話によれば神は魚形の両性生物とされ、ドゴン族の伝承でも「魚の土地に住む両性人」と表現されている。
 その具体的に描かれた神の姿は巧拙の差はあるが、前者が『魚の頭の下の別な頭』を持つ神と命名され、後者は『ヘルメットを被った魚』のように描かれてている。単なる偶然の一致とは思えない。
 このドゴン族の『ノンモ』と同じ神話、そして姿を持つ神『オアネス』は、シュメール文明の正当な後継者とされる古代バビロニア人の神である。どこが正当な後継者かと言うと、シュメール、アッカド、古バビロニアの順でメソポタミアの地に国が興りそして滅びるのだが、旧約聖書によればシュメールと古バビロニアは同じ種族、ハム語族だと言うのである。これに対しアッカドは、旧約聖書の民へブライ人と同じセム語族だと言う。
 つまり、先のシュメール神話のエンキ神は、異母弟であるエンリルが天から降臨したため支配者としての地位と開拓地を奪われるのだが、唯一割り当てられた領地がアフリカであった。つまりエンキ神とアフリカのドゴン族との文化的脈絡を感じさせるし、ハム語族をエンキ神の率いた民と考えればアフリカのドゴン族と古バビロニアの民が同じ神話を持っていたとしてもおかしくはない。
 エンリルはエンキ神が開拓した中東、地中海、ペルシャを得たというが、中東最古の都市エリドゥで発見された神殿にはエンリルではなくエンキ神が祭られていた。つまりエンキ神こそ中東最古の神なのである。そして彼の母の名は『ナンムゥ』となる。

4)竹内文書、シュメール、アフリカドゴン族、そして古事記

 こうして『竹内文書』の最高神の名前から、日本、シュメール、古代バビロニアそしてドゴンというつながりが見えてくる。
 そしてこれらの神話の底辺には、常にシュメールの悲劇の神、異母弟に開拓地を終われ、アフリカに追いやられたエンキ神が見え隠れする。もし、日本の神スサノオノミコトをエンキ神と関連付ければ、日本、シュメール、ドゴン、バビロニアそして再び日本と結び付くのだが、そうはうまくいかない。単に似ているだけなら世界の神話はみんな似ているからだ。
 次にスサノオノミコトをエンキ神と関連付け出来ないとすると、この不思議な輪は完成されない。しかし、スサノオノミコト以外の根拠を以てシュメールと日本を結びつければ、遠く離れた土地で作られた神話が一つの輪を形成する。その根拠は出来れば偽書扱いされている古文書ではなく、国史扱いの歴史書が理想的である。
 ところでその『竹内文書』は記紀の伝承と重なる部分も相当含んでいる。イザナギ、イザナミ、アマテラス、或はスサノオなどの記紀と共通する神々が登場するのである。また記紀には名前しか出て来ない神々が『竹内文書』のなかでその活躍がいきいきと語られることすらある。従ってその成立年代からいって『竹内文書』を古事記の原本の一つと指摘する研究者もいる。
 次に我々は古事記の解釈なり、読み方が確定しているかのように思っているが、実は変体の漢字で記された散文をいかに訓み下すかは推定でしかない。つまり古事記は、神代の言葉で伝承していたものを漢字に置き換えたものであるが、古事記編纂の当時、既に古い言葉で意味不明になってしまったもの、また漢字のどの音を当てたのか分からなくなっているものもあったと編者は前文で述べている。
 つまり発音も訳もどちらも推定でしかない。従って、一部の学者が、古事記を古代朝鮮語或は古代アイヌ語での解釈しようとしているが、これも可能かもしれないのだ。つまり漢字で書き換えられる、或は書かれる以前の古代日本語は未だ解明されていないのが現状なのである。
 さて、古代日本語は古代何語なのか。古代世界で話された言葉の源流をたどるとどこに行き着くのか。島野が今発見したと思っている結論を述べよう。実は、この古事記をシュメール語で読んだ学者がいたのである。繰り返すが、シュメール語である。つまりここで、シュメールと日本が結び付き不思議な輪が完成されるのである。
 そのある学者とは、満州教育専門学校校長 前波仲尾で、昭和17年、彼は『復元された古事記』と題して本を発行しようとするが、不敬罪を恐れて世に問うことを断念した。しかし最近、秘密裡に印刷されたものが研究家の手にはいり、一部引用され始めた。これによると記紀はシュメール語および一部チュルケ語(古代トルコ語)によって語り継がれたものを漢字の音で記したもとだという。 前波仲尾は古事記を全文解読したが、それには従来の不自然な解釈が全くないという。今後改めてその真価が問われることになる。
 かつて学習院大学の教授がインドの少数民族トラビダ人の方言、タミール語に日本の古語と共通する語を続々と発見し話題をまいたが、トラビダ人はシュメールの一支族であることを考慮すれば、古事記をシュメール語で読むことも十分可能なのかもしれない。
 (このタミール人は謎に包まれた古代遺跡、モヘンジョダーロやハラッパーを残した民族の末裔と言われている。これら遺跡が何故、突然放棄されたのかは未だ謎とされている)

 『竹内文書』に始まり、ついでシュメール人、ドゴン蔟、古代バビロニア人そして『古事記』と、一つの関連の輪が成立しました。しかも日本を除いたそれぞれの民族は、天体望遠鏡がない時代であったにもかかわらず、驚くべき天文学的知識を有していたという証拠を残しています。その知識はどこから来たのか未だ謎です。ただ、それぞれの神話は、天孫降臨、つまり神が人間の前に降り立ち、文明を授けたという過去の出来事を記述しているのです。

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